第76話
――漸と出会った夏が、また巡ってきた。
私の朝はちょっと遅い。
旦那様が最近、甘やかせているからだ。
『おはようございます、可愛い私の鹿乃子さん。
朝食ができましたよ』
「……はい」
スピーカーから漸の声が聞こえてきて、もそもそと布団から出る。
「んーっ!」
大きく背伸びをし、洗面所へ向かう。
歯磨きと洗顔だけ済ませて、食卓に着いた。
「おはようございます、鹿乃子さん」
「漸、おはようございます」
キスをもらって食卓に着く。
トーストとサラダ、目玉焼きと毎日同じメニューだけど……漸はこれしかできないから仕方ない。
料理はできる、上手いとか言っていたのは、見栄だったらしい。
『一緒に暮らすようになるまでに練習しておくつもりだったんです……』
しゅん、と項垂れて、なんてなにがどうしてそうなったのか全く不明な、謎の物体の前で言われたときは、怒るというよりももう、笑った。
だって東京のあのキッチンで、料理が得意だとか信じられるわけがない。
冷蔵庫だって立本さんが買って置いたくらいだ。
それから少し練習して、簡単な朝食くらいは作れるようになった。
それだけでも大変、助かるのでいい。
「今日は健診でしたっけ」
「はい」
GWが終わってまもなく、妊娠がわかった。
どうも、初夜に身籠もったらしい。
『はえぇよ!』
と祖父と父からツッコまれたのはいうまでもない。
けれど、先に出産済ませて修行というプランからしたらラッキーじゃないかな?
子供は祖母と母が見てくれるって言っていたし。
恵まれた環境には感謝しかない。
それにこの子は大変いい子らしくつわりも軽く済んでいるので、修行は継続中だ。
まあ、なんかあっても職場は実家だし、先輩ママがふたりもいるんだからなんとかなる。
「時間ができましたら私もご一緒しますね」
「無理はしないでいいですからね」
漸はこちらで事務所を開いてから、少しずつ金沢近郊からの依頼も増えてきて忙しい。
三橋呉服店からは完全に手を引いた。
「じゃあ、帰りはまた、連絡します」
「はい、いってらっしゃい」
玄関で口付けをかわし、漸を見送る。
「さてと。
私も準備しなきゃ。
……あっ」
いま、ぽこってお腹を蹴られた気がするんだけど……?
これって、胎動なのかな?
「早く貴方の、宮参り着を作ってしまわないと、間に合いませんねー」
漸は家族が増えると喜んでいる。
妊娠がわかった日、涙ぐんでいたくらいだ。
「さーてと。
お母さんも貴方のために頑張りますよー」
見上げた真夏の空が眩しくて遮った私の左手薬指には、漸のものだという印が光っていた。
【終】
あなた色に染まり……ません!~呉服屋若旦那は年下彼女に独占宣言される~ 霧内杳@めがじょ @kiriuti-haruka
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