第75話

今日は特別な日ですから、と夜は高級ホテルのスイートを取ってくれた。

新婚仕様なのか、お花なんかたくさん飾ってある。


「素敵です!」


「喜んでいただけてよかったです」


振り返ったらちゅっ、と唇が重なる。

それだけで幸せだ。


お風呂は一緒に入った。

後ろから抱き締められ、湯船に浸かる。


「いい式でしたね」


「本当に」


漸の側は一斗さんだけだったし、私の方もほぼ家族だけだったけど。

別に出席者の数が幸せのバロメーターじゃないからかまわない。


「鹿乃子さんはいつも可愛いですが、今日は特別に可愛かったです」


「……ん」


うなじに口付けが落とされ、甘い声が漏れる。

今日は一日中、なにかと漸は「今日は特に可愛い鹿乃子さん」と呼んでいた。


「今日は初夜じゃないですか。

鹿乃子さんのハジメテが欲しいんです」


「ハジメテ……?」


とは?

もう私は、処女ではないわけで。


「鹿乃子さんのここ。

私に愛させてくれませんか」


「えっ!?」


滑り落ちた漸の指先がつついたのは、……うん。

そこ、ですか?


「あの、でも、そこは……」


「鹿乃子さんはBLも嗜んでいらっしゃるので、ここでもできることはご存じでしょう?」


「うっ」


振り返ったら、なんでもお見通しですと漸の唇が僅かに持ち上がった。

なんで私の隠しコレクションを知っているんだ!

うーっ、隠し場所、変えておかないとな……。


「私は鹿乃子さんのハジメテの男になりたいんです。

もちろん、ここはハジメテですよね?」


「……当たり前です」


「だったら鹿乃子のハジメテ、俺にくれ」


耳もとで囁かれ、とうとう熱い顔で頷いた。


「今日の下着もとても扇情的です」


私のバスローブを脱がせ、漸が目尻を下げる。


「今日は思う存分、堪能したいので、ギリギリまで眼鏡をかけたままでいましょう」


「うっ」


それって、いつも以上に見えている、ってことですよね……?

しかも今日は、電気は落としてくれないし。


口付けを繰り返しながら、押し倒されていく。

あたまが枕についたところで、そっと頬を撫でられた。


「さて、鹿乃子さん。

鹿乃子さんの私の男は、私を除いていままで、何人いたんですか?」


「……え?」


漸はいったい、なにを訊いているのだろう?

眼鏡の向こうで僅かに笑った瞳、でもその奥深くでは仄暗い嫉妬の焔が燃えている。


「付き合ったのはひとりだけ、です」


「本当に?」


黙ってこくんと頷いた。


「あの、駿平……とかいう男は違うのですか?」


さらに漸の質問が続くが、彼はいったい誰に嫉妬を……あ。

もしかして、私の過去の男にヤキモチを妬いている?


「初恋は駿平さんだし、付き合ったのは就職したときの会社の先輩でハジメテもその人だったけど。

私の男は漸ひとりだけだし、私が心の底から愛したのは漸だけですよ」


駿平さんは初恋といっても、淡い憧れのようなものだった。

会社の先輩は告白されてそういうものなのだと思って付き合っただけで、本当は好きじゃなかったのかもしれない。

そうなると。


「私が本当に好きになったのは、漸が初めてですよ。

私が初めて好きになって、初めて愛してた私の男は漸だけです」


「本当に?」


「はい」


腕を伸ばし、漸を抱き締める。

過去の男になんて嫉妬しなくても大丈夫だよ。


私にとって漸が、全部初めてだから。


「鹿乃子さんは全部、隅から隅まで私のものですか」


答えなんてひとつしかない、それ以外の答えなんて許さない。

そんな目で漸は私を見ているが。


「はい。

私のすべては漸のものです。

誓い、ますから……」


自分から漸と唇を重ねる。

すぐに彼の方からぬるりと舌を侵入させてきた。

漸の舌が私に触れるだけで、歓喜で身体が震えた。

こんな喜びを与えてくれるのは漸だけ、だ。


「今日は鹿乃子さんを本当に全部、私のものにさせてください」


「全部、漸のものにしてください……」


そのあとは……。



漸の両手が私の頬に触れる。


「鹿乃子さんのハジメテを私にくださり、ありがとうございます」


意外とすんなりいって、漸の顔を見上げる。


「これで私のハジメテは、漸ですね」


「はい」


「ハジメテが漸でよかった」


漸の顔を見つめ、嬉しくて笑っていた。

本当のハジメテは漸ではないけれど。

それでも、私のハジメテを漸に捧げられたのが、こんなにも嬉しい。


「鹿乃子……!」


噛みつくみたいに漸の唇が重なった。

野獣モードに入った漸が、荒々しく口腔を蹂躙する。


「……優しくしてやりたいが、無理だ」


濡れた唇を舐める彼に、ううんと首を振る。


「大丈夫、だから」


「だからー、煽んな、鹿乃子」


漸が余裕なく動きだし、ついに……意識が、ショートした。



「……のこさん、鹿乃子さん」


「……あ?」


ぺしぺしと軽く頬を叩かれて、意識が戻ってくる。


「大丈夫、ですか」


「あー……。

なんか凄かった、です」


「本当に可愛いですね、鹿乃子さんは」


髪を撫でる手が、気持ちいい。

つい、このままうとうとしてしまいそうだったけれど。


「まだ、終わりじゃないですからね」


バサリ、と髪を掻き上げ、妖艶な瞳で私を見下ろす漸を、ただ見ていた。

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