第74話

漸の事務所を借りるのにちょっと揉めたり、志芳の作る漸の衣装が私のに比べて地味で漸が拗ねたり。

祖父に怒られながらも必死に修行をしているうちに、……四月になった。




式は金澤神社で挙げる。

披露宴は開かずに親しい人たちだけでのお食事会にした。


「私の可愛い鹿乃子さん、準備はできましたか」


準備が済んで控え室で待っていたら、漸が顔を出した。


「ああ、本当に綺麗です」


リムレス眼鏡の奥で目を細め、漸がうっとりと笑う。


「そろそろ、行きますよ」


「……ううっ、私はこんなに緊張してるのに、なんでそんなに漸は余裕なんですか」


差しだされ手に自分の手をのせ、立ち上がる。


「私だって緊張していますよ」


嘘だ、嘘。

あのすました顔で緊張とか……あ。

でも、漸って感情を隠すのが上手いから、本当に緊張しているのかも。


「漸でも緊張、するんですね」


「はい、もちろんです」


私だけじゃないんだと気づき、少しだけ気が緩んだ。


「可愛いですね、本当に鹿乃子さんは」


それを見てころころと漸が笑っているということは……もしかして、緊張しているのは私だけなのか?

ううっ、相手が一回りも年上だと、その手のひらの上でいいように転がされる気がしないでもない……。


「では、行きますか」


「はい」


漸に促され、係の人に先導されて控え室を出る。

神殿へ進む私たちに神社へ来ていた人たちが注目した。


「素敵な打ち掛け」


ちらっ、とそんな声が聞こえて、頬が熱くなる。


「幸せそうな花嫁さんね」


さらに聞こえてきた声で、誇らしくなった。

これは父が私のために作ってくれた、特別な打ち掛けだ。

掛下だって祖父作だし。

さらに縫ったのは祖母と母なので、私は最高の花嫁だ。

それに、隣には最愛の人がいるのだから。


神殿で三三九度の杯を交わした。

もうすでに入籍は済ませたが、それでもこれで本当に漸の妻になったのだ、という気がする。


「鹿乃子さん」


「はい」


差しだした左手に、漸が指環を嵌めてくれる。

結婚指環は漸とふたりで幾つもサイトを見て、決めた。

実際に東京のお店まで行って、細かい打ち合わせもした。

婚約指環も順番が前後したけれど、と一緒にオーダーしてくれた。

セミオーダーだから私の指環のサイズも心配しなくていいです、なんて真面目に言っていた漸が、おかしかったな。


「漸」


「はい」


差しだされる漸の左手へ今度は私が指環を嵌める。

とりあえず、じゃなく正式な私のものだという印。

これをもう一生、外させたりしないし、外したりしない。


式が終わり料亭の予約時間まで時間があるので、そのあいだを写真撮影に当てた。


「モデルさん、なのかな?」


「結婚式場のプロモーション撮影とか?」


すぐに視線が、漸に集まりだす。

なんだかそれに、だんだん腹が立ってきた。


「漸」


「なんですか。

今日は特に、可愛い鹿乃子さん」


ちょいちょい、と手招きしたら、漸が身を屈めて顔を寄せてくれる。

背伸びをしてその首へ手を回した。

唇を重ねた瞬間、周囲が息を飲むのがわかった。


「……ったく。

いったい、なにをやっているんですか、貴方は」


はぁーっ、と呆れてため息をつきながらも、漸の姿勢は変わらない。


「だって、漸は私のものなんだもん」


拗ねて唇を尖らせたら、ちゅっ、と唇が触れた。


「そうですね、先ほどから私に向かう視線が嫌ですし、……鹿乃子さんに向かう視線も不愉快です」


「……!」


今度は眼鏡を外した漸の方から唇が重なる。

しかも彼は身内……どころか知らない人もたくさんいる前で、がっつり舌まで入れてきた。


「……俺は鹿乃子のものだし、鹿乃子も一生、俺のものだ。

もう、神に誓ったしな」


ぺろり、と濡れた唇を舐める漸を、熱に浮かされた目で見ていた。


食事会は何事もなく終わった。

ただ、結婚式、食事会とずっと、祖父と父が男泣きしていて困ったけれど。

ええ、祖父はわかるが、父も泣いていたんだよあの、私に一歩、引いているような父が!

なんだあれは、ただの演技か、ずっと祖父に遠慮していただけなのか?

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