第73話
入籍したあとはまあそれなりにいろいろあった。
加賀友禅師の修行をはじめたとはいえ子鹿工房を畳んだわけではないので、二足のわらじで忙しい。
漸はそんな人間と結納までしてしまった腹いせか、荒木田総理からあいつは不能だと言いふらされた。
さらにそうやって断られて煮え湯を飲まされた人たちが追従したものだから、お客ががくっ、と減った。
おかげで早く店を辞められそうだと喜んでいる。
「もう自宅事務所でいいんじゃねーか」
十二月になって初めて、立本さんが金沢に来た。
「嫌ですよ」
きょろきょろと物珍しそうに立本さんは家の中を見ている。
今日は今後の相談、なのらしい。
「まー、いいけどよ。
金沢って意外と近いのな。
しかも新幹線だからその日に急に乗れるし、駅から街にすぐだし、便利だからこれなら大丈夫だな」
ふたりの話を邪魔すると悪いので、私はお茶を出すだけして作業部屋に引っ込んだ。
これから、立本さんと漸の会社は東京と金沢の二拠点になるらしい。
今回はそれでもスムーズにやりとりできるかとかの確認もあったみたい。
「あ、志芳からだ」
携帯が通知音を立て、画面を見たら志芳からメッセが入っていた。
「おおっ、新作も可愛いぞ、と」
新しい服を作ったから見てほしいと幾つも画像が送られてくる。
可愛い、やっぱり可愛い。
……うん、こんなことを言ってにやけているから漸がヤキモチ妬くんだけれど。
志芳は金池さんが、女性の権利の侵害、人間の権利の侵害、ようするにあんたは毒親だと、早々に引き離した。
金池さん自身、小さい頃はそれこそ志芳のように育てられてきたが、ああいうサバサバした性格なので全くもって思い通りにはならなかったようだ。
そういうわけなので志芳のような境遇の子には心を痛めており、自分から助けを求める子に助力は惜しまないと協力してくれた。
「ん?
なになに?
ウェディングドレスのデザインができたから見てほしいとな?
……なにこれ、可愛いー!
てか、これを私が着るの……?」
式は和装なので……と言ったものの。
『どうしても私が鹿乃子お姉さまのウェディングドレス姿が見たいの!
材料費はもちろん、スタジオ代も私が払うから作らせて!』
と、押し切られた。
いや、材料費どころか製作費はちゃんと払うし、スタジオ代も出すけどね?
お金は湯水のように使えるものじゃないというのを、ちょっと教えないとダメだな、あれは。
「えーっと、可愛いけど私にはちょっと可愛すぎませんか、と」
私にはこのドレスを着こなせる自信はない。
非常に可愛くて好みではあるのだけれど。
「……鹿乃子お姉さまはこれくらい可愛いから、ってさ……。
あー、うーん。
でも志芳は喜ばせたい……」
しばらく考えて、また携帯に指を走らせる。
私の自信なんてきっとなんとかなる……だろう。
「よしっ、と、あとで漸の都合を確認しないとなー」
デザインが決定なら採寸させてほしいと言われた。
あれから志芳とは直接会っていないから、いいと思う。
『可愛い鹿乃子さん、いまはなにをしていますかー?』
作業をしていたらスピーカーから漸の声が響いてきた。
「作業をしていますが、もうすぐ一段落します」
『なら、食事に行きませんか。
一斗も一緒ですが』
『おい、そこでなんで、ちょっと残念そうなんだ!?
俺は客だぞ!』
思ったのと全く同じことを立本さんがツッコみ、つい笑ってしまった。
「あと十分くらいで終わるんで、いいですか」
『はーい、大丈夫ですよ。
じゃあ、終わるの待っています』
「さーてと」
さっさと終わらせないと、立本さんから遅い!なんて怒られかねない。
作業を終わらせ一緒に食事に来たのは、漸がお気に入りのあの寿司屋だった。
「旨いな」
「でしょう?」
立本さんが唸り、漸は喜んでいる。
「これなら週五で通える」
そんなにとは思うが、漸もマメに通っていたときは、帰ってきたときは必ず、だったもんね。
「いっそ、一斗ごと会社をこちらに移してしまってもいいんじゃないですが。
そうすれば週五で通えます」
いい考えだ、って漸は頷いているが、理由があまりにも雑すぎない?
「それはお断りだ。
俺はあの、雑多な東京が好きなんでな。
こんな田舎はお断りだ」
ぽいっ、とノドグロの握りを立本さんが口へ入れる。
田舎、といわれてムッとした。
ええ、確かに田舎ですけどね!
「金沢には金沢のいいところがあるんですよ。
私は好きですよ、金沢。
魚とカニが美味しいですから」
にっこりと漸が笑う。
「お前ってけっこう、食い意地張ってたんだな」
おかしそうに立本さんは笑っている。
どんな理由にしろ、漸がここを好きになってくれたんならいい。
立本さんはその日の新幹線で帰っていった。
駅まで見送り、家に帰ってきて漸がコーヒーを淹れてくれた。
それを飲みながら、志芳からの連絡を報告する。
「漸。
志芳が採寸したいから、一度会えませんか、って」
「そうですね、再来週くらいには東京へ行く予定ですので、そのときでよければ」
「了解です。
志芳に連絡して、そのつもりで私もスケジュールを空けておきます」
漸の東京行きは、前の半分くらいまで減っていた。
店での接客が激減したのもあるし、立本さんやコンサルのお客様とはリモートでのやりとりを増やしているのもある。
この先は月に数度程度でよくなるだろう、って言っていた。
「東京のあの部屋、いつまであのままにしておくんですか」
「そうですね……。
でも東京へ行ったときは便利ですし」
あの部屋は賃貸ではなく、漸が購入してあるものだ。
なので家賃が発生しないのはいいけれど、それでも維持費はかけるわけで。
「泊まれる貸倉庫を借りていると考えれば損ではないと思いますから、まだしばらくはあのままで」
「そう、ですね……」
漸がセールスで持ち歩く着物類はその都度、送って送り返してとしていたが、かさばる什器類はマンションに置いてある。
そのせいで若干、カオスになっているのが……。
もともと、自分の生活に無頓着な人だから、もうそこは諦めよう。
実家の作品は漸のおかげで、順調に売れている。
単価が上がったうえに問屋を通していないので、利益が……びっくりするくらい、増えた。
これなら私のお給料も出せる、と父は喜んでいる。
その問屋さんとの取り引きも最近、再開した。
祖父が回した三橋呉服店は職人を大事にしないという情報が少しずつ効いてきているようだ。
「これで一斗との会社の話もだいたい詰められましたし、安心して年が越せます」
「結婚式も日にち、押さえられましたしね」
入籍前後で式場探しをしたのだ。
漸は東京で宣言どおりに四月に式で手配をはじめていたようだが、こんな状態なのでそれは全部キャンセルになった。
改めてこちらで手配をはじめたのだけれど四月は時期がいいらしく、土日は、特に漸が希望した桜の時期はどこも埋まっていた。
しかしラッキーなことに、私たちは平日挙式でなんの問題もない人間ばかりなのだ。
そういうわけで例年桜の開花時期の平日に式を挙げるようになった。
「楽しみです、鹿乃子さんの花嫁姿」
「あ、志芳からウェディングドレスのデザインもあがってきたので、あとでお見せしますね」
いまから、春が楽しみだ。
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