第72話

「あ、これ、仕立ては母さんとばあさんがしてくれたんだ。

礼を言っておけよ」


「うん」


花嫁衣装は我が家に持って帰っても保管に困るので、その日まで実家で預かってもらうことにした。

そっか、この衣装、家族全員の愛情がこもっているんだ。

着る日が、楽しみだな。


「漸さん」


母屋に戻った途端、漸は祖母に連行された。

なにをやっているのか部屋を覗いたら、……採寸、されている。


「ばあちゃん、なにやってるの?」


「せっかくの晴れ舞台なんだから、漸さんの衣装も新調してあげたくて。

あとこれ、サイズも微妙にあってないし、仕立てが雑なのよね……」


はぁっ、と祖母が呆れるようにため息を落とす。


「サイズは……まあ、うちのものがやったのであれですが、仕立てが雑ですか?

それなりのところへ出しているのですが」


「そうよ。

こことか、袋ができているし」


「どこ……?」


祖母の指す場所をよく見たら、袖の部分が裏地と表地のサイズがあっていないのか僅かに表地に膨らみがある。

とはいえ、本当によく見ないとわからない程度だが。


「襟もここ、攣ってるし」


「どこ……?」


またよく見るが、全くもって私にはわかりません!


「まあ、安い仕立てなら仕方ないんでしょうけど……」


はぁっ、とまた、祖母の口からため息が落ちる。

いやいや、三橋呉服店の仕立てですよ?

客からはそれなりの仕立賃をとっているはずです。


「そうなんですね……」


祖母の言葉で漸はかなり、落ち込んでいる。

漸にしてみればショックだよね、そんな仕立てのものをお客様に出していたなんて。


「だから漸さんには、私が最高のものを作ってあげますからね」


「よろしくお願いします」


あたまを下げた漸はちょっと嬉しそうで、ほっとした。


「……はぁーっ」


祖母の仕事部屋から茶の間に戻りながら、漸が苦悩の多いため息を吐く。


「あの、漸!

祖母、和裁技能士の一級なんです!」


「三橋お抱えの和裁士は、和裁検定一級の保持者です」


「うっ」


フォローしようとしたのに不発に終わった。

和裁技能士一級より和裁検定一級の方が難易度は上……とかいう噂だ。

ちなみに祖母は試験会場が東京なのが面倒くさい、なくてもやっていけるし、という理由で和裁検定は受けていない。


「でも、その、祖母は花嫁衣装なんかの仕立ても頼まれるほどで、それで問屋のおじさんは祖母の仕立てが知っている中でピカイチだって褒めてくれていて、それで……」


祖母は規格外だからと納得してもらおうと言葉を尽くす。

私だって祖母に言われなければ、というか言われてもわからなかった。


「大丈夫ですよ、鹿乃子さん。

店の仕立てが不味いと落ち込んでいるのではありません。

和裁士も、店も、それなりの金を取っておきながら、見る人が見れば雑だとわかる仕立てをしているのに腹を立てているのです」


漸の怒りの理由がわかり、納得した。

もらった金額分の対価をはたしてないのは、商売としてはダメだ。

……もらった金額以上に対価を渡すのもダメだけれど。


「私の顧客の仕立てを、おばあ様に頼めないでしょうか。

ああでも、もうお年ですし……。

お母様ならどうでしょう?」


もう最善の方法を考えはじめた漸は、根っからの商売人なんだと思う。


「祖母と母に相談してみてください。

私ではお返事できませんから」


「そうですね」


気づき、は大事だ。

私も祖母や漸みたいに、小さなことにも気づけるようになりたい。


戻った茶の間には――カニがでーん!と鎮座していた。


「……カニですね」


「カニだ」


漸と祖父が目配せし、意味深に頷きあう。

東京でもカニは食べられただろうに、あれから漸はカニに嵌まっているのだ。

スーパーに行っては必ず、カニを買う。

おかげで我が家は週二ペースでカニが食卓にのっていた。


「飲むだろ」


「もちろんです」


ドン、ドン、と二本の一升瓶がテーブルの上に置かれる。

今日のために漸も、日本酒を買っていた。


「鹿乃子、コップもってこい!」


「はいはーい。

……漸、明日は東京なんですから、飲み過ぎないでくださいね」


持ってきたグラスをふたつ、漸に渡す。

ひとつを漸は、祖父に渡した。


「はい、ほどほどにしておきます」


なんて笑っているが、不安だなー。


「じいさん、飲む前にちょっと待てよ」


互いのグラスに酒を注いだところで、父に止められた。


「えーっと。

こほん」


父が改まり、全員が姿勢を正す。


「鹿乃子、漸くん。

結婚、おめでとう。

式は改めてするということだけど、まずは入籍のお祝いということで。

鹿乃子はこのとおり頑固だし、いろいろ大変だと思うけど……」


「なげぇよ」


待ちきれない祖父に遮られ、むすっ、と父が口を噤んだ。

しかし、すぐに気を取り直して再び開く。


「じゃあ。

ふたりとも、幸せにな。

か……」


「あー、すみません!

先に、ご報告しておきたいことが!」


今度は漸に遮られ、父はまたむすっ、と口を噤んだ。


「私、本日から有坂漸になりました。

よろしくお願いいたします」


「はぁっ!?」


漸は嬉しくて仕方なくてにこにこ笑っているが、父と祖父は同時に詰め寄った。


「だから養子にはしねぇってあれほど……!」


祖父なんてもう、襟を掴まんばかりだ。


「はい。

結婚後の姓を、妻方の姓にしただけです。

名前が三橋から有坂に変わっただけで、他はなにも変わっていません。

本当はお父様の息子にしていただきたかったですが」


はぁーっ、と漸が小首を傾げて物憂げにため息をつき、父と祖父は気が抜けたかのように座り込んだ。


「そんなに三橋が嫌か」


「はい、嫌ですね」


漸が即答し、父も祖父もそれ以上はなにも言う気がないようだ。


「まあ。

……かんぱい」


「……かんぱい」


なんだか微妙な空気の中、各々のグラスを上げる。


「ああ、有坂になって初めて飲むお酒は格別です」


漸はひとり、嬉しそうに笑っていた。


で、祖父と漸が飲むというのは、そういうことになるわけで。


「だからー、ほどほどにしてくださいって言ったじゃないですかー」


「おかしいですね、私、急にお酒に弱くなったんでしょうか?」


布団を引いた元私の部屋まで、父の支えがないと行けないほど漸は酔っていた。

部屋でふたりになり、漸は盛んに首を捻っている。


「あー、うん。

きっとそうですよ」


一升瓶はどちらも、半ばまでしか減っていなかった。

今日は多めに見積もってふたりで一升しか飲んでいないということだ。

確かに、いつもにしては少ない。

さらに祖父より早く漸がギブしたものだから、祖父は漸に勝ったと喜んでいた。


「これからは少し、考えないといけませんね……」


お風呂は明日にして、着替えて布団で横になる。

私を抱き締めたまま、漸はもううつらうつらしていた。

やっぱりいままで、常にどこか緊張していたから酔えなかっただけなんだろうな。


「はい。

これからは少し、控えてください」


もう、私の声は漸に届いていない。

すーすーと気持ちよさそうに寝息を立て眠っていた。


「おやすみなさい、漸」


そっと口付けを落とし、その温かい身体に身を寄せて目を閉じた。

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