第71話
「打ち掛けは譲った分、掛下は張り切らせてもらったけどな!」
ばさっと勢いよく、祖父が着物を広げる。
「……じいちゃん?」
「おじい様?」
漸も信じられなかったみたいで、何度もパチパチと瞬きをしてそれを見ていた。
「本当にじいちゃんが作ったの?」
「おう。
最近の花嫁衣装を研究してみたんだ。
こういうのもけっこう、面白いな!」
かっかっかっ、なんて祖父は豪快に笑っているが、……凄い。
この年になって新しいことにチャレンジできるなんて。
父の打ち掛けは確かに有坂工房では珍しい柄ではあるが、ありえない感じではない。
けれど祖父の振り袖は、これを祖父が作ったのだと言っても誰も信じないだろう。
それほどまでにポップだった。
「なんか俺の打ち掛けが霞む……」
「大丈夫だ、ちゃんと映えるように計算してあるからな!」
落ち込む父の背中をバンバン叩き、祖父は励ましている。
「……いつから作ってたの?」
「お前の大学卒業式用の小振りを作ったあとからだな。
大学卒業したんだから、次は嫁だなと思って。
作りながらこれを鹿乃子が着る日を楽しみにしながら、そんな日は永遠にこなくていい、これは無駄になった方がいいものだ、とかも考えたな……」
思いだしているのか、父は遠い目をしていた。
「こいつ、作業しながらたまに、鹿乃子、鹿乃子、ってぐずぐず泣いてたんだぞ」
「だから、じじぃ!」
茶々を入れてくる祖父を父は止めようとしたが、するりとかわされた。
私の前では結婚なんて好きにすればいい、なんて顔をしていた癖に、本当はそんなんだったんだ。
「じゃあ言うけどよ!
じじぃだって作業しながら、鹿乃子の花嫁衣装とか必要か?
鹿乃子は一生、この家にいるんだしよ……。
あー、でも、鹿乃子の花嫁姿は絶対綺麗だから見たいしな……とか、ずーっとブツブツ言っていたじゃないかよ!」
「うっ」
父の暴露で祖父が言葉を詰まらせる。
うん、それはもう、どっちもどっちです。
「父さん、じいちゃん。
こんなに素敵な花嫁衣装、ありがとうございます」
改めて、父と祖父にあたまを下げる。
漸も一緒にしてくれた。
「鹿乃子のためにしてやれるのはこれくらいしかないからな、すまない」
なんで父があやまるのだろう。
漸の親とは違い、私にちゃんと愛情を注いでくれた。
嫌なことを無理強いだってされたことはない。
工房を継ぐと言ったときも反対しながら条件付きで認めてくれた。
これくらいしか、じゃない。
こんなにいっぱい、私はもらっている。
「私は父さんと母さん、じいちゃんとばあちゃんからも抱えきれないほどいっぱい、もらったよ。
結婚したこのあとも、もらうことになるんだと思う。
でもこれからは少しでもいいから、返せるように頑張りたい」
「……返してくれなくていい。
鹿乃子が幸せならそれでいいんだ」
ぼりぼりと父がまた、首の後ろを掻く。
私、この家の子でよかったな。
隣に座っている漸も、もらい感動しているのかちょっと目が潤んでいる。
でも漸には私のように、思える家族がいない。
なら、初めは私が、漸の最高の家族になる。
それから少しずつ、漸の幸せを増やしていこう。
「それでね。
……もう一度、私に染めを一から教えてください」
「鹿乃子、なに言ってるんだ?」
私が床に額がつくほどあたまを下げ、父も祖父も怪訝そうだ。
「一通りは教えてもらったけど、それでも私のは趣味の延長線上でしかないでしょ?」
「ああ、……まあ」
父は歯切れ悪いが、思っていても正直に言えないのはわかるからいい。
「金池様に会って、じいちゃんの、父さんの作品がいかに素晴らしいのか再認識した」
漸はまだ三、四軒しか回っていないが、どこでも祖父どころか父の作品も大絶賛だったと聞いている。
私はどんな形でも有坂染色が残せればいいと思っていた。
それこそ、子鹿工房と形を変えてでも。
でも、それは違う。
有坂染色は有坂染色として、未来に繋いでいかなければならない。
「私はじいちゃんの、父さんの技術を継いで、残したい。
子鹿工房としてじゃなく、有坂染色として。
だから私にもう一度、一から染めを教えてください」
古希を迎えた祖父ですら、新しいことに挑戦しているのだ。
なら、まだ二十代も半ばの私に、遅いなんてないはず。
「うちは金がねぇ。
給料なんて出ないぞ」
こんなことを言うなんて父はやはり、反対なんだろうか。
「給料はいらない。
……漸には迷惑、かけるけど」
視線を向けると、目のあった漸は静かに頷いてくれた。
「かまいません。
鹿乃子さんひとりを養うくらい、できます」
「うちはこんな状況だ、問屋にも切られた。
仕事はねぇかもしれないぞ」
「自分で仕事を探す。
いまは問屋を通してじゃないと商売できない時代じゃない。
だから、大丈夫」
父の気持ちはわかる。
それでなくても後継者を雇えないほどの経営だったうえに、この状況だ。
私だって親なら、反対するだろう。
それでも私は、有坂染色を継ぐと決めたのだ。
「父さん。
お願い、します」
再び、深く深くあたまを下げた。
「私からもよろしくお願いします」
漸も一緒に、あたまを下げてくれる。
そのまま父の返事を待った。
「鹿乃子の頑固は俺譲りだ。
好きにさせてやれ」
「じじぃはいつも、鹿乃子に甘すぎるんだよ」
祖父と父の声が聞こえてきて、あたまを上げた。
「鹿乃子の食い扶持くらい俺が……って、いまは漸がいるじゃねぇかよ」
言いかけた祖父か、へへっ、と照れくさそうに笑った。
「はい、鹿乃子さんは私がしっかり養いますので大丈夫です」
うん、と力強く、漸が頷く。
「鹿乃子はまだ若いからいいが、漸くんにはそのあいだ、子供を待たせることになるんだぞ」
父に言われてようやく気づいた。
漸は早く、子供が欲しいと言っていたのに。
「あー、……考えてなかった。
会員資格が取れるようになるまで、最低五年の修行が必要だったっけ?」
と、いうことは、私の修行が終わる頃には漸は四十一歳なのか……。
「私は別に、かまいません。
鹿乃子さんには鹿乃子さんの好きなことをしてもらいたいので」
「漸……」
私の手を握り、漸が頷いてくれる。
その気持ちは嬉しいが、私も漸と一緒で漸の願いは叶えてあげたいのだ。
「あ、じゃあ、先に子供産んで子育てしてから修行するとか?
あー、でもそれだと、じいちゃんから教えてもらえなくなるかも……」
こんなとき、女の自分が恨めしい。
男ならそんなこと関係なく、修行ができるのに。
「けっ、俺は百まで現役で続けるからな、問題ねぇ」
吐き捨てるように言う、祖父が頼もしい。
それでも祖父にはいつまでの元気でいてもらいたいが、百まで現役はさすがに難しいだろう。
「莫迦か、そんなに簡単に子供が授かれたら苦労はない。
できるまでじいさんにガンガン詰め込んでもらえ。
それで落ち着いてから再開すればいい。
人よりは時間がかかるだろうがな」
「父さん……」
また父は首の後ろを掻いている。
なんとしてでも絶対反対なんだと思っていた。
「鹿乃子はこうと決めたらてこでも動かないからな。
仕方ない」
「ありがとう、父さん、じいちゃん。
漸も!」
きっとこれから困難ばかりなんだろう。
でも、私は頑張るんだ。
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