第43話「戦場」

 飛び、すんでのところでかわし、かろうじて生まれる隙へ魔術を打ち込む。

 最後の切り札として残しておいたアルマージからの魔力供給を受け、らしくなく粗っぽい術式を編んで放った魔術も、その黒竜の鱗には――


 ――こんなにも。


 傷一つつけられなかった。


 圧倒的。

 竜の竜たる所以。

 竜という種族の、本来持ちうるポテンシャル。


『避けます!』

「くッ……!」


 弄ばれている。

 アルマージの自律機動がなければとっくに撃ち落とされていた。

 黒竜は自分たちの周りをさまざまな軌道でまわりながら、子どもが蟻を弄ぶかのようにちょっかいを入れてくる。

 その一撃一撃は蟻からすれば死の気配を漂わせていて。


「私のことを気にしなくていい。自由に飛んでくれ、アルマージ」


 アルマージはフレデリクの耐えられる速度で飛んでいる。

 そんなことはフレデリクとてとっくに知っている。


「私に気を遣って竜が撃ち落とされたのではドラグーンの名が廃る」


 そう言いつつ、フレデリクの言いたいことがそんなことではないことをアルマージもわかっていた。


『わたしはレイデュラント公爵の竜です。あなたが死線に赴くのであれば、どこまでも共に』

「……私の周りには言うことを聞かない跳ねっ返りが多くて困る」


 その間にも数発、黒竜が砲撃を仕掛けてくる。

 アルマージの自律機動と、長時間風に当てられた影響でフレデリクの四肢はとっくに限界を超えている。


『――無様なものだな』


 そのときアルマージの耳が、古めかしい竜語を捉えた。

 黒竜が天空へ陣取り、太陽を背にしながら言葉を紡いでいた。


◆◆◆


『あなたにはこの美しさがわからないのですね』

『美しさ? 他種を背に乗せ、その他種に気を遣うがために自由に空すら飛べない今のお前の姿が、美しい? ハハハ、笑わせるな』


 黒竜は笑った。

 竜の耳を持たないフレデリクにも、それはわかった。


『体躯も弱弱しい。人に合わせて進化したか。竜種の進化の早さが裏目に出たな』

『変化しない生き物はいずれ廃れるものです。かくいうあなたは古竜と見受けられますが、あなたとてわざわざこんなところにちょっかいを出しに来るということは、なんらかの変化を受け入れたのではないのでしょうか』


 古竜と呼ばれるかつての竜種のうち、黒き鱗を持つ竜は原始的な竜の在り方を貫こうとした一族だ。

 竜種の飢饉から目をそらし、すべてを喰らいつくすことを決めた。

 良くも悪くも、自由に世界を生き抜く決意をした者たち。

 そんな者たちが、なぜわざわざこんな人の催し事に乱入するのか。


『口を慎め、若造。我々は変化などしていない。我々は依然として竜としてこの世界に在る。すべてを喰らいつくし、最後に死ぬのは我々だ』

『――なるほど。ヨルンガルドの刃が喉元にちらついたものとお見受けします。フフ、あなたの強がりはかえって滑稽に見える。やはり我々の先祖の――白竜様の選択は正しかったようですね』


 アルマージが空を翔けながらあらんかぎりの皮肉を込めて言葉を紡ぐ。


『……よほど死にたいらしいな。あの蒙昧な白竜どもが消え、少しは新しい竜どもの目が覚めてきたかと思ったが思い違いだったらしい。お前はここで死んでいけ』


 黒竜が口の前に魔導式を編む。

 その瞬間。


『そこには大気の壁があるのでお気をつけて』


 高速で飛翔していた二体の竜のうち、黒竜だけがなにかに引っ掛かったように速度を緩める。

 そしてその瞬間にやや低い位置を飛翔していたアルマージは加速。


『先を急ぎます』


 生まれた隙にアルマージが魔導式でフレデリクに伝える。


「っ、だが王都へ近づけば被害が増える」

『ここで止める――止められるとお思いですか?』

「それは……」


 フレデリクの冷静な頭はすぐに答えを出した。


『ここで我々が倒れてもなにも状況は変わらない。あの黒竜は悠々と都へ赴き、好きに破壊をまき散らすでしょう。さきほどの反応を見ても、あの黒竜がヨルンガルドと手を組んでいるのは明白です。おそらくなんらかの取引が行われたのでしょう』


 ヨルンガルドの求める報酬はドラセリアの壊滅だろう。

 おそらくその切り札として投入されたのがあの黒竜だ。


『では、あの黒竜はその取引でなにを求めたのでしょうか』


 ヨルンガルドと黒竜の間にあるのが強制力を伴わない協力関係――取引であるのなら、たしかに黒竜がなにかを求めたはずだ。


「尾か?」


 レイデュラント家の屋敷にはあの悲劇の日に落ちてきた黒竜の尾が安置されている。


『それもあるでしょう。しかし、本来であれば尾が切れたとてしばらくすれば治るものです。竜ですから』


 そう言われ、フレデリクはハっとした。


「――白竜か」


 あの、ミアハが足を失った日、どうしてあの黒竜が尾が切れたのか。

 斬られたのだ。

 昔話の中で、黒い鱗の竜と敵対したと言われる、もう一つの竜の原点に。


「白竜による傷は治癒しないのか」

『そこまでは定かではありませんが、いずれにせよ黒竜の白竜への執着は尋常ではありません。生態系の頂点に位置する彼らにおいて、唯一、彼らを滅ぼしうる天敵同種なのですから』

「白竜がドラセリア領内のどこかにいるというのか」

『あるいは灰でしょうか。白竜様は灰から生まれ直すと言われています。知らずのうちに、灰から新しい白竜が生まれているのかもしれません』


 まあ、すべては憶測ですがね、とアルマージは加えて、さらに加速する。


『いずれにせよ、わたしたちだけであの黒竜に立ち向かっても状況は好転しません。もう少し都へ近づけばほかのドラグーンや魔導士部隊がいます。あなたは彼らを率い、戦場に立つのです』


 戦場と言われ、フレデリクはようやく気付いた。

 もう、これは儀式ではない。

 今、自分は戦場にいるのだ。

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隻翼のドラグーン 葵大和 @Aoi_Yamato

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