人間になりたくて

こーの新

人間になりたくて


 昨日の朝ぺちゃんこでやってきたはずなのに、すでにパンパンに詰められて積み重ねられた段ボール。



 その隙間に敷かれた布団からむくりと起きて台所に立った彼。



 眠たい目で時計を見ると朝の六時。



 彼が俺よりも早く起きるなんて、合宿の日の朝ぶりだ。



 確かあの日は五時には起きてたか。



 前の日からソワソワしっぱなしで、見ていてすごく面白かった。



 よく転んで、朝ご飯のトーストを焦がしてた。



 目玉焼きも、もはやスクランブルエッグみたいになってたっけ。







 今日の彼は、唇を噛み締めながら目玉焼きを丁寧に焼き上げていく。



 トーストも絶妙な仕上がりでこんがりきつね色。



 彼はよく焼けたパンが大好物で、出会ったばかりのころは二日に一回は必ずパンを食べていた。



 でも、実家が米農家らしくて、送られてくる米も食べなくてはいけなくて。



 ご飯の日は必ずと言っていいほど、山のようにのりたまふりかけをかけて食べていた。



 好き嫌い激しそうだな、なんて思って、でも、そんなところも可愛いなと思えてしまった。



 そんな彼もやっぱり大学生で、日に日に忙しくなっていって寝るのが遅くなった。



 毎朝寝坊をしては焼いていないパンか白米をかき込んで、寝癖もそのままに飛び出していった。



 寝癖ぐらい直せよって言いたかったけど、毎日違う髪型の彼は新鮮で、面白かったから何も言わなかった。



 そういえば最近、寝癖のまま飛び出していく彼を見ていないなと思って気が付いた。



 彼は最近学校へ行っていないらしい。



 スーツを身にまとって、ネクタイまで締めて、俺が聞いたこともない場所へ行く。



 そして、まっすぐ帰ってきた日はのんびりと夕食を作って美味しそうに頬張る。



 まっすぐに帰ってこない日は、甘ったるい匂いかお酒臭さを身にまとって帰ってくる。



 そんな日は俺の機嫌は最高潮に悪くなるから、いたるところで足を引っかけてやる。



 お湯なんて出ないように給湯器の電源を切ってやる。



 どうせ翌朝目を覚ました君は何にも覚えていないんだ。







 最近の彼は外でご飯を食べて帰ってくることも多くなって、その度に自分のふがいなさに嫌気がさした。



 どうして彼が俺のそばに、誰よりも俺のそばにいたいって思えるようなやつじゃないんだろうって苦しくなった。



 最近彼からする甘い匂いは一つだけ。



 だからこそ、昔大好きだった人たちが俺の元を去って行ったときよりももっと嫌な気分になる。



 どうして俺以外の元へ行ってしまうんだ。



 俺には彼しか見えないのに。



 ずっとそう思っていて、でも、彼には何も伝えられなかった。






 情けない自分を思い返しているうちに、彼は食事を終えて食器も洗い終えていた。



 それらを思い出と一緒に最後の段ボールに仕舞い込んでしまう。



 彼は手にした掃除機で部屋の中を念入りに、隅々までかけていく。



 おかしい。



 彼の掃除はいつも円を描くようにまぁるく、ほとんど形だけなような時がほとんどで、俺はもっとちゃんとやってよって思ってた。



 思いがようやく伝わったっていうのなら嬉しいけど、きっとそうじゃない。



 いつの間にか涙を流し始めた彼に俺は嫌な予感が当たってしまったと唇を噛む。



 彼と出会う少し前まで俺が大好きだった相手。



 あの人も俺から離れていったとき、部屋を綺麗にしてから出ていった。



 彼も俺のもとからいなくなってしまうんだって、分かってはいても目を逸らしていた現実を突きつけられて、俺もそっと心の中で涙を流した。



 掃除を終えた彼の涙はもう止まっていて、大きなカバンとたくさんの段ボールを玄関まで運んで行った。



 そのうちに一人の男がやってきて、彼の荷物を運ぶのを手伝った。



 あいつは確か、彼の親友。



 何度か会ったことはある優しくて気が利くやつ。



 だけど俺なんかよりも彼のことをよく知っているような話しぶりが大嫌いだ。



 どんどん運び出されていく彼の荷物。



 一つ運び出されるごとに俺の心にもぽっかりと穴が開いていくようだった。






 最後の荷物、リュックサックを背負った彼が俺に向かって深々と頭を下げた。



「今までありがとう」



 顔を上げた彼の顔は、初めて出会ったときの笑顔と同じで、俺の心に焼き付いた。



 消えた電気、閉まるドア、ガチャリとかけられたカギ。



 彼と二度と会えないことを告げるその音が、再び俺を無の沼に突き落とす。






 今までは誰かのほっとできる場所でいられることに誇りを持ってきた。



 でも今は、大切な人に声を掛けることも引き留めることも出来ないことが歯痒くて、苦しくなる。



 もしも人間に生まれ変わったら、その声でたくさん愛していると伝えたい。



 その腕で大切な人を抱きしめたい。


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