タイムフライヤー

 六月某日 


 いかにも頑丈そうな高級車の横に立つ、ゴツゴツした大柄の男に僕は頭を下げる。金髪の色が抜けたような長めの髪と無精髭、赤いTシャツから伸びた太い腕はその気になれば僕を片手で放り投げるなんて容易いことだろう。別に因縁をつけられているというわけではないから心配はしないでほしい。



「いつも母がお世話になっております」

「いいえ、こちらこそ」


 

 意志の強そうな目力のせいか彼のその風貌にも浮ついたチャラさは感じなかった。その印象通り礼儀正しくキャップを脱いで挨拶してくれる。


 千明さんは派遣会社の運転手さんで、運び屋とも逃がし屋とも呼ばれている。僕はどちらかというと後者の方が気に入っているし千明さんには似合うとも思っている。千明さんに逃がしてもらえたらきっと物凄く心強い。そんな安心感があった。

 そして最近は僕の代わりに母のことをスーパーや病院まで送り迎えしてくれていた。その初日にご挨拶は済ませてあったが、今日は別件で僕自身を運んでもらうことになっている。


 

「お母さんが毎回お金渡そうとしてくるから辞めるように言ってください、それとなく」

「うわあ!ごめんなさい、申し訳ないです」




 どうせ千円だろう。千円くらい渡したところで何になると思っているのか。お金を受け取ってもらえないとなると、そのうちお弁当を渡そうとしたりしないか心配だ。



「気持ちは嬉しいんですよ、本当に」

「申し訳ないです」

「弁当ならもらいますけど」

「そんなこと言ったら作ってきちゃうから。ああ恥ずかしい、病院の送迎バスのノリなんです絶対」


 しかもこちらから御礼を渡したなんて知ったら鳥海社長のことだ、僕への賃金をもっと支払わなければならないとでも気を遣わせてしまうに決まっている。母さんにはよく言っておかなければならない。



「得ができない人っすからね」

「申し訳ないです」

「いいんですよ、社長は好きでやってんだもの。それに俺も受け取ったりしないから」

「申し訳ないです」


 



 僕も同じ埼玉県内に住んでいるけれど、窓の外を流れるのは見慣れない埼玉県けしきだった。うちは駅からも遠いし相当の田舎だと自覚していたのに、それよりも更に長閑のどかな風景が30分以上も続いている。駅どころか商店街すらも無い。山ばかりなのに緑は多くなく砂埃と乾燥が過酷だろうという印象だった。時々ぽつんと個人商店が現れる。多分あの靴屋さんの閉店セールは一年中やっている。



「ああいう肉屋のコロッケってウマいっすよね」



 千明さんが言った。

 舗装されていない道の先にお肉屋さんが見えた。そろそろお昼になるから僕も小腹が空き始めている。



「絶対ウマいです。お土産に買っていきますか?」

「いや、俺らで食いましょう」




 これから会う入院患者のは寝たきりに近い状態らしい。昨日急に鳥海社長から電話があって告げられた。



「明日タイムフライヤーに会っておいでよ、運転手を用意するから」


「――—タイム?」

「フライヤー」



 初めて聞いた言葉が頭に入って来なかった。改めてフライヤーと聞き取れて、先日ライブハウスで目にした物を僕は思い浮かべる。



「君を過去に送る人物だよ。僕も同席したいんだけど、ちょっと君のとこの社長と会うことになっててね。代わりの者が案内するから」

「承知しました」

「お母さんの方は別の社員を護衛にやるから心配しないで」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

  

 


 千明さんは安定した運転をしながらも淡々と話す。僕は一度に一つ以上のことをこなすのが下手だから運転中に人と話すのも苦手だった。そもそも人を乗せて走ること自体が怖くて、母さんを送迎するだけでも吐き気がする時があるくらい最初の頃は緊張していた。千明さんという存在に心から感謝する。彼がいてくれて良かった。




「お母さんにもう会わなくて良いんですか?」

「はい」

「寂しくならない?」


 

 千明さんは幼い頃に家族で不慮の事故に遭っていて孤児となり、鳥海社長と同じ施設で育ったのだと聞いた。詮索はすまい。もっとも鳥海社長から聞いた限り施設での生活は善いものだったように思える。週末にはミサがあり近所の楽団がボランティアで演奏に来て一緒に讃美歌を歌う。山に登ったりキャンプをしたり、僕はそんな子供時代が羨ましかった。




「会おうと思えば向こうで若い頃の母に会えますし」

「ああ、確かに」



「・・・・・母さんは寂しそうですか?」





 千明さんがブッと鼻を鳴らした後で「ごめん」と笑いをこらえるから僕は安心する。イケメンでロン毛の、しかもムキムキマッチョがかっこいい車で買い物にも病院にも連れて行ってくれるのだと、母は最後に会った時とても喜んでいた。何故か誇らしげですらあった。僕は引っ越しの準備や仕事の引継ぎで忙しいという設定になっている。







 ********************




 訪れたのは山に囲まれた場所にある総合病院だった。川口駅から出ているバスに乗ると一時間以上はかかるらしく、もはや何市なのかもわからない距離にある。そこに僕を過去へ送り込む能力者がいるという。鳥海社長の派遣会社に属する能力者だ。



「ずっと入院されてるんですか?」

「ええ、去年から」



 今日は点滴の日で話はできないから遠目に見るだけだと言われていた。点滴の日でなくても対話は難しいらしいのだ。



「だったら何故、社長は今日を指定したのでしょ。う?」

「説明するの面倒になったんじゃないですか?」

「ひどい」

「冗談です」



 病院の駐車所に車を停めて、買ってもらったコロッケを食べていた。熱々でソースをかけなくても美味しくて、猫舌なのか千明さんはやたらと息を吹きかけているのが可愛らしい。今日は豪遊しておいでと経費を渡されている上に、夜には高級焼肉店を予約してくれたそうだ。楽しみではあるが社長からはどんなことを託されるのかと恐ろしい気持ちもある。この優遇の裏側には何があるのか。コロッケの油で高級レザーのシートを汚さないように僕は細心の注意を払う。


 ただ、今日のことは、千明さんという人が母さんを任せるに足る人物であると鳥海社長が僕に伝えたかったのではないかと考えている。もしそうであったとしても、千明さんに確認してみたところで「そうだ」とは回答しないだろう。彼は照れ屋さんなのだと母が言っていた。




「千明さんにはお礼を言いたかったので、ちょうどよかったです」

「お礼なんて。律儀な親子だ」

「申し訳ないです」



 

 それに遅かれ早かれタイムフライヤーさんには会っておく必要はあるのだろう、それは僕にもなんとなく判っていた。






 ********************






 千明さんから渡されたプラスチックのネームホルダーには病室と患者の名前が印刷された紙が入っている。



【503号室 植村理人 27歳】



 入院患者との面会に必要とのことだ。背面にはセキュリティカードも入っていた。



 

 病院内だからか無言で進む千明さんの背中を速足で追って、くすんだピンクが基調の廊下を歩く。千明さんの一歩は大きくて力強い。

 ほとんど人とすれ違うことは無かった。そういえば駐車場にも車は他に停まっていなかった。建物全体が静かなようだ。時々窓から山並みが見えて、何回か曲がり角を通過すると千明さんが足を止めて僕を振り返る。




「ここっす」

「はい」



 

 千明さんが少し背中を曲げて、壁に取り付けられたセンサーにセキュリティカードをかざす。ちゃんと首からぶら下げているのが微笑ましい。電子音と同時に自動扉が開いた。エレベーターの中で見た、階ごとの案内には器官名や何科であるというような区分が書かれていたが5階は空白だった。病室にも表記は見当たらない。もしかしたら、と考えてみる。この階は鳥海社長が貸し切っているのではないか。あるいはこの病院ごと社長の持ち物かもしれない。そんな想像をして楽しんでいた。まだそうやって半信半疑に面白がりながらも、自分が飛び込んだ案件とそれを取り巻く環境を現実として受け入れつつはあった。


 病室は9部屋あって楕円に配置されている。全て個室で、タイムフライヤーさんが眠っている部屋は中央にあるナースセンターの目の前だ。引き戸の出入り口は開けっ放しの状態で、常にこうしてあるのだという。


 個室に入ると当該能力者が―――――リヒトさん、と読むのだそうだ―――――記載されているよりも倍以上の年齢に見える男性が人工呼吸器と両腕からの点滴に繋がれて目を瞑っている。特段辛そうには見えない、穏やかな表情を浮かべて眠っているだけだ。しかし生命力を使い果たしてしまったみたいに生気は感じられなかった。HPは限りなく0に近いと見受けられる。



 すぐに千明さんから促されて、音を立てないように部屋を出て引き戸を閉めた。必要があればまた解放されるだろう。今はただ彼に静かに眠っていてほしい。きっととても疲れていて、やっと休めたのだ。そんな顔をしていた。




「外行きましょうか。コーヒーでも買いましょう」

「はい」



 ナースセンターで「外出するので点滴が終わったら連絡して欲しい」と千明さんが頼んでいた。看護師さん達とも面識があるようで、慣れた様子なのはきっと何度も来ているからなのだろう。千明さんは霜月社長の片腕なのだというのが僕の見解だった。



「何ですか、それ。フードコートみたい」

「ああ、たこ焼き買うと渡されるヤツですね。それだわ」



 ナースセンターで千明さんが受け取ったゲーム機サイズの電子機器には、“音が鳴ったら待合室に戻ってください”と書かれたテプラが貼られている。本来は手術を受けている患者の家族に渡されるもので、千明さんも見たのは今日が初めてなんだとか。



「これテプラっつうんですね」

「そこですか。欲しいなら社割で買えますよ」

「ノルマでもあんですか?」



 それは企業秘密である。正面玄関脇に設置された七夕飾りの短冊を読む気にはなれなかった。全部まとめて叶いますように。そっと心の中で手を合わせる。


 屋外に出ると蒸し暑さが戻って来て、急な気温差のせいか千明さんが何度か盛大にクシャミをした。山が多いから花粉も少しは飛んでいるのかもしれない。駐車場では男性がしゃがみこんでサビ柄の猫に話しかけている。声は聞こえず髪が長めなので表情もわからないが、伸ばした手は遠慮がちに見えた。指先で猫の耳の間に触れると、怯えて身構えていたように見えた猫が彼に近づいて鳴いた。同じ模様の猫が寄って来て、ハーフパンツから出た彼の膝に二匹の猫が顔を擦り付けている。




「千明さんは会ったことあるんですか?・・リヒトさんが、なる前に」

「何回かね。あれでも若返ったんすよ。去年の春先くらいに盛大に力を使い果たしちまって、一気に三倍くらいの年取ったみたいになって帰って来て」

 

 帰って来て、というのは過去からということだろう。未来に行けるのかどうかは試したことが無いと社長が言っていた。

 どちらにしても僕には返す言葉が見つからないが、鳥海社長から受けている概ねの説明とは合致する。



「リヒトさんは行ったり来たりできるんですか?・・・・・その、時間を」

「してましたよ」



 千明さんはやけにあっさり認めた。問い詰めたわけでもないのだから当然なのだが、それがかえって現実味を薄める。

 


「なんでも答えますよ」



 隣に座る千明さんは煙草の煙を吐くのに口を変な形に歪ませたりして遊んでいる。見かけによらず子供っぽいところがある。




「社長からそうやって指示されたけどさ、俺も何を説明したら良いのかわかんないし。知りたいことを聞いてもらった方が良いのかなって」

「うーん。僕も何がわからないかわからないという気分です。でも千明さんの提案が正しいのは解る」


「だろ?」




 1階のカフェでコーヒーを買って二人で近くの公園まで歩いてきた。病院の敷地内は全域において禁煙なのだ。公園には屋根のあるベンチがあってそこに座っていた。平日のせいか、遊具はあるが子供どころか人が通る様子も無い。車は走っているから人が住んでいないということはないだろう。


 


「彼はどうやって・・その、時間を」

「目の前からふっと消えちまうんだよ。そんで何秒かしたら、ちょっと老けてまた同じ場所に現れんの」

「“ふっ”て?光ったりはしないんですか?」

「そう。言われてみれば光ったことはないかな」

「リヒトさんが過去で過ごしてきた時間の分だけ老けてしまうってことですか?」



 千明さんたちの何秒かの間に。

 相対性理論だったか、双子の片方だけが老けてしまう話が頭をよぎる。




「それも少しはあるんでしょうね。でも向こうでもそんなに長く滞在してないんです。せいぜい二日以内じゃないかな」

「目に見えて老けるような時間ではないですね」




 では、もっと他の要因はあるのだろうか。リヒトさん本人が理解していない限り誰にも解明なんてできないだろう。後ほど肉を焼きながら考察しようか。




 

「体質なのかもしれない。彼のお母さんという人も・・お、面会できそうだ。行きましょうか」

「はい」



 千明さんの手の中で、あのフードコートの呼び出し器みたいなものが鳴る。随分と陽気な音楽な上に、千明さんがボタンを押しても押しても止まらなくて笑いが込み上げてくる。千明さんの手も震えるから余計に止まらない。




「なんだこれ、止まんねえ」

「音大きくなってません?指の面積が大きいんじゃないですか?」

「そんなの一生止まんねえじゃん。うるせえなコレ」




 体質。それを聞いてホッとした。過去へ行くことで一気に年を取ってしまうのではないかと怖くなったのだ。まだ二十代でいたい。



「あ、止まった」

「あ、よかった」



 ようやく静かになったフードコートみたいなに、また二人で目を合わせて笑う。歩きながら僕は小さな声で千明さんに質問した。ジョギング風の老年夫婦とすれ違う。まだ時間はあるのだから後で肉を焼きながらでも聞けばいいのにと自分でも思う。焦っているのかもしれない。僕がにいられる時間は限られているという、その意識がリヒトさんの姿を見て急激に現実味を帯びた。




「リヒトさんが力を盛大に使ったというのは?」




 

 鳥海社長が誰かに向かって、自らを削るような無茶を要求するようには思えなかった。



「時間を遡った先で寄り道したか、もっと先までお出かけしてしまったかと言われています。憶測だけどね。本人があの状態だからまだ詳しい話は聞けてないんです」

「それなのに僕を送り出して大丈夫なんですか?」

「自分で行くよりは負担が少ないらしいから」

「意思の疎通はできるんですね」

「できる奴がいるんだよ」

「ははあ!!!」



 なんと、そうきたか。



「でも本人が、回復したら自分で社長に話したいって」



 彼の遡った先での動向を見て来るのも僕に課せられたミッションの一つだった。それを記録に残して未来に伝えるのだ。なんだかバックトゥザフューチャーみたいでワクワクする。


 なだらかではあるが坂道を下って歩いたせいで汗ばんでいる。院内に入った途端、鳥肌が立つほどの冷気に包まれるのが心地いい。


 部屋に戻るとリヒトさんが目を覚ましていた。呼吸器と片方の点滴を外されている。千明さんが名前を呼ぶとゆっくりとした動きでこっちを見た。千明さんに頷くようにして、僕にも目を細める。とても優しそうな人だ。帰りに短冊を書こうか、色とりどりの小さな紙が「ご自由にお取りください」と受付に置かれていたのをさっき見た。




「千明さん」



 背後から声がして振り返る。千明さんが「よ」と手を上げると、近づいてきた人物が頭を下げた。柑橘系の香りがふわりと匂い立つ。




「彼は夏海くん。代理タイムフライヤー」

「よろしくお願いします」


 紹介にあずかり僕も頭を下げた。「どうも」と呟いた若い男性は真っ白い顔で黒目が大きい。端正な顔立ちの割に不愛想で―――――いや、多分だが不器用なのだ。千明さんが僕の方を向き直した。


 

「夏海くん、真緩マユルです。うちの社員。さっき話したできる人」


「あ、」



 駐車場で猫と話していた彼は僕から目を逸らすみたいに少し顎を引いて、長い前髪がふわりと流れる。また柑橘系の匂いがした。






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