サトリとサトラレと

 病室で話していも迷惑になるので三人で部屋から出ることにした。リヒトさんには静かに休んでいてほしい。



「また来るよ」

「おじゃましました」



 千明さんと僕が声をかけるとリヒトさんは微かに頭を揺すって、ゆっくりと瞬きをした。



「俺はまた戻って来るから」



 1階にあるコンビニの袋をキャビネットに置いてマユルくんも言った。部屋を出ると千明さんがナースセンターに向かって手を挙げる。



「マユルも飯行くだろ?」

「俺は今日はリヒトに話聞くから」



 マユルくんの左腕に書かれた梵字のようなものが目に留まった。



「彫ったわけじゃないんだ。だんだん落ちて来るから消えそうになったら書き足しに行ってる」



 ああ、接触しなくても心が読めるのか。



「触んなきゃ見えないよ」


「―――——本当に?」



 じゃあ今のは、どうやって?



「勝手に心の中を覗いたりしないから心配しなくていい」

「夏海くん、今のは俺でもわかった」



 マユルくんが初めて少しだけ笑ってくれた。はにかんだような笑顔はあどけない。二十歳くらいだろうか、もっと若いのだろうか。

 三人で無言のまま廊下を歩いた。やはり建物ごと静かで、こんな山奥に本当は人なんかいないのではないかと考えて不安になる。それでも時々ドクターらしき人が部屋から出て来たりするから、ここは現実にある病院なのだと認識できた。これは現実なのだ。




「書きたいの?」

「・・・はい」



 僕と短冊を交互に見ながらマユルくんが吹き出す。最初の印象と違ってマユルくんはよく笑う。少しだけ待ってもらうことにして僕は「みんなよくなりますように」と走り書きをした。



「なんで俺の名前まで書くんだよ」

「これ吊るしてもらうから。手の届く限り一番高いところにお願いします」

「俺はもう書いたからいいよ」



 願いは少ない方が叶う、とマユルくんが言った気がした。

 千明さんが背伸びをすると、どの短冊よりも高い場所に届いた。自分の書いた短冊が一番上に飾られたのを見て僕は手を叩いて喜んだ。


 院内は快適だったから外に一歩踏み出すのには勇気が必要だ。首からネームホルダーを下げた人が入ってくる度に温度が一気に上昇するのが判る。自動ドアを通過することにこれほどの恐怖を感じたことは無かった。



「アイス買わなくて正解だったな」

「はい」



 自動ドアが開いた瞬間に熱風が入って来る。これではアイスなんか買っても公園に着くまでに溶けてしまうだろう。意を決して表へ出ると予想通り息苦しいほどの熱気と湿気に包まれた。まだ陽射しは強く、山奥だから涼しいなんていうことはない。



「そうだ」



 マユルくんの声に視線を辿ると、さっきの猫がいた。今度は三匹になっている。サビ達が日陰に並んでうつらうつらしているのを眺めながら、マユルくんの形の良い口元は緩んでいた。




「千明さんがデカいクシャミするから猫がビックリして逃げちゃったでしょうが」

「それはすまんかった」



 ああ、それでさっき猫とお話していたのだ。




********************




「ねえ千明さん、社長はこんな適合者どうやって見つけたの?」


 千明さんを挟んで人見知りが二人、さっきの公園のベンチで三人並んで座っている。コンビニで買ったアイスコーヒーがカラカラいっている内は良い。氷が残っている証なのだ。



「僕も知りたいです」

「内緒」

「何でも答えるって言ったじゃないですか」



 千明さんは「フッフフ」と不思議な音で笑う。

 


「俺も知らないんだよ。社長はそういう人いきなり連れてくるんだ」

「ああ、確かに」


 

 わかりみが深いとばかりにマユルくんが神妙な顔で頷いた。彼も身に覚えがあるのだろう。



「さっきの猫は何処にいたんだよ?」



 責任を感じているのだろうか。千明さんが聞くと、マユルくんがチラっと僕を見て目が合った。



「職員用の駐車場。そこらじゅうに“ビックリした”っていう思念が残ってたから割とすぐ見つけました」



 どうやって見つけたのだろうと気になったことが読まれたみたいで、心を見透かされたような気持ちになる。



「よっぽど怖い思いしたんだよ、あんなに強く残ってたんだ」

「謝っといてくれよ」

「悪気は無いとは伝えてある」



 可哀相にと言われて、千明さんの表情は申し訳なさそうにも、しょんぼりしているようにも見て取れた。暑いな、とマユルくんが呟く。座っているだけで汗が流れてくるようだった。屋根があるとは言っても30℃に近い屋外だ。コーヒーはカップを振っても無音で揺れるだけになっていた。

 どこからかチャイムが聞こえてくる。それから質の悪い外れた音で童謡が流れた。



「じゃあ、俺はリヒトのとこ戻るよ。次は一緒に連れてって」



 リヒトさんの点滴は特別に強いから当日は殆ど眠ったままになってしまう。それでも喉は渇くしお腹は減るから、目が覚めた時に流動食を摂っているのだとマユルくんが話してくれた。さっきのコンビニの袋がそれだったのだ。基本的には看護師さんがやってくれるけれど、リヒトさんが遠慮して眠っているふりをするのでマユルくんが看るようにしているのだそうだ。なるほど、彼なら狸寝入りなどお見通しだ。





「そうだな。遅くとも来週また来るから」



 それを聞いて千明さんが毎週ここを訪れているのだと気が付いた。病院の駐車所には何台か車が停まっている。パート帰りの見舞客といった層だろうか。



「またね、夏海くん」

「うん、また」



 反対方向へ歩き出した時、すれ違いざまにマユルくんは僕の手をキュッと握った。心を覗かれたのかと一瞬だけ思った。千明さんが吹き出す。



「随分と気に入られたみたいだね」

「そうなんですか?」



 指先が温かい。あれは心を覗かれたという感覚ではなかった。

 乗り込んだ車の中はサウナのように蒸し暑くて、「暑い」と言う時間さえ省きたいという勢いで千明さんが慌ててエアコンを作動させる。



「マユルはなんて?」

「よろしくって」



 さっき手に触れた時に流れ込んで来た。送りこんで来たと言うべきなのだろうか。マユルくんは人の心を読むだけでなく書き込むこともできるようだ。



「はっきりと、言葉で?」

「はい」



 脳内に直接・・!という感覚だった。それを言うと千明さんの無精髭が歪み、「ふっ」と息が漏れる。



「まさに適合者だったな」



 さっきと同じ景色を戻っていることは理解しているのだが、同じような景色が続くので見分けは付きそうもない。ただただ流れてゆく山並みは頭に入って来なかった。千明さんが聞かせてくれた話に耳を傾けていたせいもある。


 

 マユルくんは波長を合わせることで相手の考えていることを読み取るのだそうだ。なんとかコントロールできるようになるまでは苦労したらしい。それはそうだろう。

 抑えが利くようになり始めたのは祈祷師のような人から梵字を書いてもらうようになってからのことだ。それまでは見境なく、人に触れなくても考えていることが流れ込んで来てしまっていた。それだけではなく触れれば自分の思っていることも流れ出してしまっていたというのだから。




「そんなの気が狂ってしまいますよ」


「狂いかけてたよ。俺が初めて会った時なんか酷かったんだ、人間不信なんてもんじゃない」



 千明さんが頷く。さっきのお肉屋さんに何人か人が並んでいたのが見える。夕方ではあるが十分な明るさは、昼間に通った時と変わらない気がした。



「人殺しみたいな目ぇしてさ。真っ青な顔でゲッソリ痩せて、夏なのに手袋の上から軍手して」



 さぞかし見なくていいものを見ただろう。人に関わりたくなくなったとしても彼は何ひとつ悪くない。



「孤独でいたいって言ったんだ。人の気持ちなんか知りたくないって」


 

 能力者はその能力のせいで、背負うものも重いのだとも千明さんは教えてくれた。



「俺なんか何の能力もないのに社長が誘ってくれたから感謝しなくちゃな。車の免許だって取らせてくれたの社長だし」

「僕も、もう辞めたけどあの会社で免許を取らせてもらったんです」




 千明さんは頷いてニヤリと笑いを浮かべる。鳥海社長が千明さんを運び屋にしたのはきっと理由がある。何かが適材適所といえたのではないだろうか。うちの母さんがスーパーで買った荷物以外の何かを運ぶところを見たことはないが、千明さんは確実に届けるだろう。この男は信用できる。




「車置いて来るよ。俺も飲みたいんだ」

「飲みましょう、飲みましょう」


 


 人の運転で派遣会社を訪れるのは初めてだった。車を返しに行くのに一緒に会社まで行って、店までは歩いた。どちらも神田の外れにある。夜風はぬるかった。僕はあっちで思い出すだろうか、35年後の壮絶なまでの暑さを懐かしむのだろうか。




********************




 焼肉店は完全個室の予約制だというから畏れ多い。スーツでネクタイを着用した従業員さんが指紋一つ付いていないような銀のトレーでビールと肉を運んで来てくれて、恐ろしく丁寧に説明してくれる。写真を撮ってはいけないような厳かな雰囲気を感じていた。肉の写真を撮ったところでアップする先などないのだが。




「撮影禁止ではないよ?」

 


 そういえば入店する際も千明さんは「ドレスコードは無いよ?」と僕の考えていることを言い当てたのを思い出す。





「僕はもしかしてサトラレなんですか?」

 


 何の天才でもないのに。



「それだって能力だ」

「そこは否定してほしいです」




 キャップを脱いだ千明さんの顔には右側の額から頬にかけて火傷の痕がある。社用車が高級車であることは間違いないが右ハンドルだ。



「よし、食うぞ!」

「はい!」



 紙のエプロンをした運び屋はパン屋さんにいるみたいにトングの先をカチャカチャと鳴らす。

 わーい!と思わず声が漏れて、また千明さんをニヤつかせてしまった。僕はやっぱり、ある意味サトラレなのかもしれない。






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