春は残酷だから

「好きだった子と卒業式の日に一緒に帰ったんです」


 彼女とは高校二年で同じクラスになった。同じ駅を使っていると知ったのは三年生の夏休み明けのことだ。その駅は学校から近いわけではないので利用している生徒は少なく、同級生に会うことはほとんど無かったと言っていい。部活を引退した彼女と帰り道で偶然会ったのがきっかけだった。二年生のまま同じクラスではあったが、それまで特別意識したことは無かった。バスケ部のキャプテンでクラスの女子で一番足が速い。成績も良い。廊下に貼り出される実力テストの結果では特別進学クラスに混じって常に上位で名を連ねている。その程度のことは知っていた。時々一緒に帰るようになり笑った顔が可愛らしいことに気付いた。明るい性格の彼女と話しているのは楽しい。特進クラスに入らなかったのは部活をやりたかったからだと知る。二学期と三学期なんかすぐに過ぎた。


 


「じゃあね」

「また明日ね」


 彼女はJR、彼は地下鉄を利用した。いつも地下鉄へ降りる階段の前で手を振って別れる。



「当時はせいぜい、PHSをイケてる層のクラスメイトが何人か持っているっていう感じでしたので。家の固定電話にまでかける熱量があったかと言われたら」

 

 彼はテーブルの上で麦焼酎の水割りを手から離す。


 


 初日三人目に会ったのは都内の出版社で営業をやっている会社員の清川係長、四十三歳。営業職と言われれば「なるほど」と思う人懐っい笑顔をする人だ。つい親しみを持ってしまうような、ふわふわした雰囲気が可愛らしい。


 待ち合わせたのは赤羽駅だった。あまりの人の多さに圧倒されて改札前に立っていることははばかられ、僕は控えめに太い柱の前で待っている旨を彼にメールした。との待ち合わせだとわかるようにと決めた目印を身に付けている。清川さんはすぐに気が付いてくれて近寄ってきた。


「まだ合言葉は決まってないんですよね?さっきまで飛行機だったからネット開けなくて」

「決まってません。Dダサ-1決定戦の会場は此処ですよ」

「清川です、よろしくお願いします」

「片石と申します。こちらこそよろしくお願いします」


 まさしく雑踏と呼ぶに相応しい人混みで顔も知らない人と巡り会えたことを僕は嬉しく思う。毎日どんどん知り合いが増える楽しさを知った、あの高校生になったばかりの春を思い出していた。罪悪感と希望の狭間で藻掻もがいた春を。



「今日はこのまま直帰するんで、お時間がよろしければお付き合いいただけませんか?」


 慣れた足取りで歩き出す彼について行くような形で僕も歩き始めた。それほど距離の無い横断歩道で信号が変わるのを待っている。出張の帰りだという清川さんは大きめのスーツケースを持っていた。海外へ行くような大きさだ。


「教科書のサンプルを学校とか代理店に見せに行くんですよ」

「教科書が出版社で作られているっていう概念がありませんでした」

「そうでしょう、そうでしょう。僕も就活するまで考えたこともありませんでした」

 

 駅を出たら早くも岐道ごとに立ち並ぶ商店街と、そこに点在する居酒屋が賑わっているのが見えていた。路上にも人が溢れている。清川さんと一緒に店は、というと語弊があるかもしれない。


「外のお席でも良いですか?」


 入った店で人数を告げると店員さんから遠慮がちにそう聞かれたのだ。景観を損なわないと判断されたのであれば光栄である。


「片石さん大丈夫ですか?」

「全く問題ないです」

 

 そうやって外へ追い出され、巨大な樽をテーブルにして清川さんと隣り合っての夕涼みを始めた。対面になれば歩道にはみ出してしまいそうだったのでそうしたのもあるが、この方が対面よりも気分的に楽なことが大きい。忘れてはいけない、僕は人見知りなのである。

 

 生温なまぬるい風に吹かれてあおるビールは僕を幸せにする。温野菜や自家製ベーコンが並ぶプレートは見た目にも楽しくて、二人で写真を撮って見せ合った。清川さんは中国地方と四国を担当する係にいるそうだ。残業や出張が多く、気が付けば独身のまま現在に至るという。



「こんな朝食が本当は毎日食べたいんです。あと玉子も」

「うん。僕は目玉焼きが好きです」

「私はゆでたまごかな。無限に食べられます」



 顔が見えなくても清川さんが嬉しそうなのが解る。その気持ちも理解できた。



「わかる。ゆでたまごも大好きです」


 好きすぎて慌てて食べて喉に詰まらせてしまうことが子供の頃に多々あった。ゆでたまごとサツマイモは危険な食べ物だという認識が僕の中に根付いているのはそのせいだ。それを話すと清川さんはそれ以上のエピソードを持っていた。


「私もゆでたまごで同じことをしたことがあって、母親が救急車呼んじゃったんですよ。母は保険技師・・ああ、看護師でもあるのにテンパっちゃって」



 目の前で喉に玉子を詰まらせる患者は稀であろうから母君の戸惑いを想像できないわけではない。もしくは誤嚥を疑ったのかもしれない。いずれにせよ救急車を呼んだ瞬発力と危機察知能力はむしろ優秀だと賞賛されるべきではないか。


「それを阻止してくれば良いんですか?」

「いえ、待って。もっと重大なことがあったんですよ」


 ちゃんと聞いて。とおどける清川さんを僕は気に入っていた。そんな言い方は失礼なのかもしれないけれど、好きになっていた。


「今思えば吸い出すんじゃなくて水飲ませて流し込めば良いんじゃないの?って思うんですけど」

「ああ、確かに」


 でも教訓にはなったな。そう呟く横顔に、何からでも学ぼうという姿勢が見られる。清川さんは職業から察するに大変に頭の良い方だ。教科書を作る会社って、あんた。 

 

 

 高校三年生の最後の日、彼女と一緒に帰る最後の日。

 卒業式が午前中に終わりクラスが解散になると、お互い別々のグループで遊びに出かけた。いつもお弁当を一緒に食べていた同性の友人たちともお別れを惜しんだ。焼肉とカラオケで高校最後のバカ騒ぎを終えた清川さんは、同じように高校生活を閉じた彼女と夕方いつも帰るような時間に待ち合わせをしていた。今はもう使われていない踏切近くにあるパン屋さんの前が、初めて二人で一緒に帰り始めた地点になる。後ろから彼女に声をかけられて同じ駅を使っていることを知った場所だった。大きな声で名前を呼ばれて振り向くと彼女がいた。何がそんなに楽しいのか、夏だからなのか、顔にいっぱいの笑顔で白い腕を天へ向かって伸ばしていた。まだ髪は短かった。



「ヒューッ!」

「あんた若いのに!いや、そういうんじゃなかったんですよ!」


 

 部活を終えるまでショートカットだった彼女の髪は顎まで伸びている。初めてホームまで見送りに行くことを申し出たのは前回一緒に帰った日のことだ。なんとなく、どちらともなく、卒業式の日は一緒に帰ろうという話になっていた。時間よりも少し早めに着くかと腕時計を見る清川さんの背中を叩いた人がいた。二人はパン屋さんよりも手前で合流した。

 夕方で混み始めていた時間だったが、清川さんはJRの入場券を買ってホームまでの階段を一段ずつゆっくりと昇る。彼女もそうしていた。それはかなりの脈ありと思って良い案件ではないだろうか。自分のことではないのに期待してしまう。頑張れ、上手くいけ。リア充爆発しろ。

 


 清川さんは都内の大学に進学が決まっていた。彼女は国立の医学部へ進む予定だった。二次試験は残されていたが、頑張り屋さんの彼女ならきっと進むのだろう。高校生だった清川さんは声を振り絞る。


「頑張ってね」

「ありがとう、キヨもね」



 電車に乗った彼女がこっちを向いて手を振りかけた。ドアがしまろうという、その瞬間。



「後ろ向いちゃったんです私、耐えきれなくて」

「何してんですか!」

「何してんでしょうね」


 彼は泣き笑いの表情を浮かべる。その瞬間に彼女を好きだという自分の気持ちにも気が付いてしまった。そんな動揺もあったというのが清川さんの自己分析だった。そんな話を聞いてしまっては、なんだかもう飲まなければやっていられない。



「もう一軒行きたい店があるんです。お時間は大丈夫ですか?」

「ええ、是非」

「本当はその店で飲みたくて飲みに繰り出すんですけど、この時間では入れないんですよ。だからいつも平日とか終電間際を狙うんです、三軒目くらいに」

「おうち近いんですもんね」

「そう、電車がなくなっても歩いて帰れるんです」



 平日にも終電まで飲むなんて仕事で車を運転する僕は考えたこともなかったから楽しそうで羨ましいと思う。だってほら、道中だけでもこんなに楽しい。そこは清川係長の手腕かもしれないが。




「その雑居ビルの3階の焼き鳥屋が旨いんですよ」


 洒落ているとは言い難い薄汚れた方形のビルを清川さんが指差す。民家のような3階の窓から煙が漏れている。わかる、瞬時に察した。あの店は絶対に美味うまい。 



「いいなあ。焼き鳥好きです」

「じゃあ次回行きますか」


 そう言ってから清川さんの足取りが一瞬だけ重くなる。


「———またお会いできますよね?」

「ええ、今月いっぱいはにいます」

「じゃあ、また飲みましょう。勿論でも」


 それが営業さんの巧さなのか単なる飲み好きなのかは判らない。でも僕は単純に嬉しかった。きっと酔っていなくても嬉しかったんだと思う。

 




「泣いちゃったんです。後ろ向いた途端に涙が溢れてきて。見られたくなかったのかな、咄嗟だったから何が理由はわからないんですけど」


 もう会えないと考えたら。眩しかった半年間にも満たない時間が胸に溢れた。

 その頃に携帯電話が普及されていれば何か違ったのだろうかと思わずにいられない。僕は史実よりも早く携帯電話を普及させれば良いのだろうか。


 終電近くだというのに店は満席に近いのではなかろうか。お酒の種類も多く、この時間にちょうどいいさっぱりしたさかなが充実している。それでいて店の雰囲気はアメ横のようなわけでもなく、洒落すぎて敷居が高いわけでもない。清川さんのお知り合いも来るようで二組ほどと手を上げて挨拶を交わしていた。



「お付き合いしたかったとまでは、そんな大それたことは思わないんです。でもせめて最後にきちんとお別れをしたかったなって後になって思ってしまって」

「電車に乗ってた人、みんな“あっ・・!”って思ったでしょうね」

 

 あっ、って声に出ちゃった人もいるかもしれない。


「おいバカ!とかね。僕もそう思ってるんです。あの時、僕は外にいたから聞こえなかったけれど電車に乗っていた彼女は」

「あっ、」


 そこまで考えが及んでいなかった。ただでさえそのような甘酸っぱい気持ちなんて想像するだけで精一杯なのに、とてもじゃないが彼女の気持ちにまでは気が回らない。おまけに酔っ払っている。


「僕のせいでって、この四半世紀ずっと思ってるんです。いえ、ずっとというわけではないんですけど時々ふっと思うんだ。せっかくの門出の日に余計な思い出を残したなら申し訳ないことをしてしまった」

「第一志望の国立に入学したとは聞いたことがあるんですけど、大変な時に雑念を与えてしまっていたらと心配だったんです」



 四半世紀前の春、京浜東北線の西日暮里駅。任せろ、僕ならばまだ間に合う。きっと何とかしてみせる。この羊みたいな優しいひとの浮かべる困ったような笑顔を救わなければならない。



「本当はもっとたくさん話をしてみたかったな」

「バーバリーのマフラーを巻いていました。彼女のはグレーで、あんまり巻いている人がいなかったからか時々友達と交換して使っていたみたいです」



 清川さんは僕の丸めたストールに視線をやった。待ち合わせの目印にしている季節外れの淡い桜色をしたストール。いつだったか池袋へ出かけた時、予想よりも冷え込んだ夜にその場凌ぎでP'Parcoピーパルで買った。春は失敗するものなのだ。きっと油断しているか肩に力が入り過ぎているか。



「お願いします」



 別れ際に清川さんは両手で僕の手を握って深々と頭を下げる。僕もその手を握り返した。今日は深々とお辞儀をすることが多い。それに一日に二度も人から握手を求められるのなんて多分初めてだ。握手をして力を貯めた分だけ時間を止められる男が出て来る小説を思い出していた。もしも同じチャージ方法を使うとしたら35年を遡るのにはどれほどの握手が必要なんだろうか。そんなことを考えたが、僕にはそんな能力があるわけでもないので意味の無い疑問である。



「任せてください」



 手に負えそうな案件に俄然やる気になっている自分がいる。生まれて初めての抜擢に改めて使命感を燃やしているんだ。よし、救うぞ!みんなまとめて!

 

 うん、酔っ払ってるな。酔っているついでに踏み込んでしまえ。



「清川さん、もしも彼女と上手くいくとしたらどうしますか?」

「あっ・・」

「考えておいてください、次に会う時まで」


 こんなことが無ければ出会うこともなかったであろうエリートサラリーマンが交差点の向こうで手を振っている。やっぱり泣き笑いの顔だけれど、さっきよりも嬉しそうな表情に見えた。





 







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 ここまでお読みいただきありがとうございます!


“あのスレ”に居合わせた彼らを繋ぐ合言葉をひっそり募集します。チーム名みたいになると嬉しいですが、そうでなくても何でも結構ですのでダサいのください。後半の大事な場面クライマックスで登場させたいので思い付いた方はコメント欄にご記入いただければ幸いです。

 一番ダサいことを言った方が優勝です。




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