n回目の終末

さめしま

第1話

世界は五分後に終わるらしい。

 ベランダから身を乗り出して、眼下の町並みをぼんやりと眺める。町中は意外と静かで落ち着いている…なんてことはなく、そこかしこでらんちき騒ぎが始まっていた。まるでニューイヤーパーティーのようだ。世界終末まであと五分、とかどこからともなく誰かが叫ぶ。まあ実際お祭りのようなものか。世界に終末が訪れるのは、何も今回だけの話じゃない。

 ぷるるる、と懐が震える。世界に終末が訪れても携帯の電波はつつがなく通じていて、管理局の人たちには頭が下がる。私たち一般人のように記憶消去と人体リソースの回収が行われないから世界が終わっても働き続けるのだ。いや、むしろ世界が終わってからの方が本番かも。一度世界が終了してから再実装されるまで、旧世界の欠陥やバグや不審な挙動を全て洗いだし、アップデートパッチを作成して適用しなければいけない。時間の概念が消えた狭間の時空での作業となるから正確な時給も支払われないと聞く。そんな過酷な職場でも働きたい人は後を絶たないと言うから不思議なものだ。そんなことを考えながら私は耳元に電話を当てた。

「よう」

「…やっぱり黒野か。こんな電話かけてる暇あるの?」

「そんな冷たいこと言ってくれるなよ。世界の最後なんだから電話ぐらいいいだろ」

「その世界の最後を取り仕切る管理局の職員様でしょ。作業に忙殺されてなきゃおかしいじゃん」

「優秀な後輩が後学のために是非やらせてくださいと涙ながらに頼んできたから仕方なくな」

「うわサイテー。ひどい先輩だよ。今度会ったら後輩君の愚痴聞いてあげなきゃ」

「無理だろ。次会うときって、お前はもう覚えてないんだから」

「まーねー。あーあ、次はどんな姿に生まれるのかな」

 ベランダの手すりから身を起こし、思いっきり後ろに身体を反る。この身体になってから何年経っただろう。確か二十年だったか。今回の世界は随分と短かった。以前は確か七十年、その前は百五十年以上続いたと聞く。今回の世界はよほど欠陥だらけの不良品だったらしい。確かに最後の方とか税金が上がりすぎて生活が完全に立ちゆかなくなってたし、そのせいで生活も治安もひどいものだった。世界終末が発表されたときは皆が諸手を挙げて歓迎したぐらいだ。一週間前の狂乱ぶりを思い出す。それと同時に今までの日々が走馬燈のように頭をよぎって、私は思わず笑みを漏らした。

「黒野、ありがとうね」

 電話口の向こうで黒野が驚いている気配がする。どんな顔をしているのかありありと想像がついた。この二十年間ずっと隣にいたものだから、彼の表情のバリエーションは大抵私の記憶野に収まっている。

「この世界、ずいぶんと酷い有様だったけど、それでもここまで生きてこれたのは黒野がずっと側にいてくれたからだと思う。だからありがとう。こんな世界だったけど、私ずっと幸せだったよ」

 臭いことを言ってしまっている自覚はあったが、それでも止まらなかった。何せ世界は終わるのだ。あと五分−もう五分もない、せいぜい三分−経てば世界の端から分解の波がやってきて、少しずつ私たちの身体を溶かしていく。痛みはなく恐怖もなく、ただ静かに世界の一部へと還元されて。最後に残った魂の核、それだけを残して私はこの世から消えるのだ。記憶も思い出も何もかも持ち越すことは出来ずに私はまた新しく生まれ変わる。だから黒野にお礼を言えるのは今が最後。そう思えばこそどんな臭い台詞だろうとぬけぬけと言ってしまえた。

「黒野に会えてなかったらこんな風に思えてなかったよ。世界終末、大変なお仕事だけど頑張ってね。後輩君あんまり苛めちゃダメだよ。あと、それから…無理だと思うけど、次の世界でもまた会えたら嬉しいかな。なんちゃって。無理か。記憶も姿も何もかも、全部変わっちゃうんだもんね」

 当たり前のこととはいえ少し悲しい。でも折角最後だから笑ってお別れしたかった。あくまで軽く、明るく語りかける。電話口の向こうの黒野もきっといつもの顔で笑い飛ばしてくれるはずだ。

「会えるよ」

 ぴたりと私の口が止まった。目をぱちぱちと瞬いて、思わず目の前を凝視する。別に黒野の姿が見えるわけじゃないのに。それでも確かめずにいられなかった。私の見知った黒野とは違う、真剣な声音。

「また見つけるよ。絶対に。それでまたお前と一緒に居る。だから安心しろ。だって」

 黒野、と思わず声が出た。だけど黒野は止まらなかった。一度小さく息を吸って、少しだけ間を開けてからこう言った。

「お前が好きだ」

 世界が終わったかと思った。現実には世界の終末まではあと一分、始まるまでにはそれなりに猶予があった。それでもそれぐらいの衝撃で、私は驚きに固まってしまった。黒野はそれ以上答えない。今彼がどんな表情をしているのか少しも検討がつかなかった。だって二十年、ずっと一緒に居たのに、そんなこと一度も。震える手で携帯を持ち直す。何か言わなければ。何か。

「なんで今言うの…?」

 だって。私だって。黒野のこと。

 その時。町の端で光が上がった。時計を見れば時刻は深夜零時。終末が始まったのだ。じわじわゆっくりした速度でこちらに迫ってくる光の波を見て、初めて恐怖を感じた。やだ。待って。来て欲しくない。だってあの波に飲み込まれたら、黒野のこと、忘れてしまう。

「黒野…!」

 それが最後、私の発せた言葉の全て。

 白い光が何もかもを飲み込んだ。



 電話口から届くのは虚しく響く電子音のみで、何か意味のある言葉を発することはついぞ無かった。画面に表示されているのはこの二十年間慣れ親しんだ名。この世界でのあいつの名前。その前も、更にその前も、もっとずっと昔の名前だって、全部思い出せる。忘れていない。忘れられなんかしない。強制的に通話を打ち切られた通話画面を見つめて、携帯を胸に抱え込んだ。

「次も絶対見つけ出すから…」

 一度強く手を握りしめて、そして懐に携帯をしまう。顔を上げて管理局の廊下を歩いた。またあいつに出会うために世界を作らなければ。あいつを覚えたまま世界の終わりを越えて、あいつに何度でも巡り会うために。そのためだけに今日もこの施設で働いている。

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