第3話

死の希望集計の結果は三対七だったらしい。いつだったかのニュースキャスターが伝えていた。


 安らかな死が三割、“洗浄”を待つが七割。意外と前者が多いとみるか後者が少ないと見るべきかは人によるだろう。


 そういう意見のブレすらも私たちが生存に向いてないことの証左だったのだろうか。合理的なAIにしてみれば、滅びの確定した未来を前に安らかな死を選ばない理由がわからないはずだ。どうせ死ぬのになぜその結論を引き延ばすのか、そしてどうしてわざわざ苦痛と不安に満ちた生存を望むのかと、あの中性的な声が脳裏に響いてくる気がする。


 こんこんとドアをノックする音にひかれて、私はソファから立ち上がった。玄関のドアを開けるとそこにいたのは予想通りの人物だった。


「来栖。まだ生きてたか」


「こっちの台詞だ。芥川も元気そうで何より」


「元気なことを喜んでいいのかわかんないけどね。入って」


 ちょっと失礼、と軽く頭を下げて来栖が玄関を跨ぐ。ちょうどその時ジャストタイミングでコーヒーメーカーが音を鳴らした。マグカップを二つ用意して注ぎながら、私は来栖に話しかけた。


「昨日の“洗浄”、どうだった」


「どうもこうも。遠目に見ただけじゃ何が起こってるのかさっぱりだ。まあでも確かに綺麗にはなってたな。確かに“洗浄”って言葉に嘘はないね」


「ふぅん。それで、今日はどうするの。ここも今日の予定表に入ってるよ」


「このまま武蔵野の方まで抜けていくさね。全く、人がどんどんいなくなるってのに公共交通も情報網も流通も生きたままだなんて、奇妙なもんだな」


「AIが全部電子統制で賄っちゃってるらしいね。それにしても、どうせ全員殺すのにそういうライフライン系残しといてくれるって何なんだろう。それこそ非合理的じゃない?」


「その辺潰した時に起こる社会不安や暴動を危険視したんじゃないか?いつも通りの日常が見た目だけでも残されていりゃ、人間ってのは順応しちまう生き物だよ。恐怖で鎮圧するよりもそっちのが楽だと考えたんだろう。合理的に考えて、な」


 ことん、と来栖の前にマグカップを置く。軽く礼を言って来栖がそれに口を付けた。

 私もそれに習ってコーヒーを口へ運ぶ。かぐわしい芳香と舌に広がるじんわりとした苦み。滅びが宣告される前と変わらない味が脳裏に沁みてゆく。


「人類は生存に向いてない、かあ」


 合理的なAIの下した合理的な結論。人類にとってより良い世界を作るためには人類が絶滅するしかない。矛盾だ。完全に破綻している。そう思うのに世界中の誰もが反論できなかった。AIの導き出した論理構成、その全貌-もはやそれは人類の処理能力を超えていたため誰も理解できなかった。そしてその一端に触れた人もまた口を噤んだ。細部だけを見てもわかるほどの完璧に合理的な結論が、そこには現れていたと言う。


「どこが駄目だったんだろうね。私たち」


「んー。AIにはそもそも人類どころか生命という仕組み自体が欠陥だらけの旧蔵品に見えたって言われてたけど」


「生命という仕組み自体?」


「そ。生命は存続と増殖が本義。自己の遺伝子を継承し次代に残す。宇宙の塵から地球が生まれ、これまた偶然生命という形が組みあがった。そこから生命は同じことしかしてない。増えるために続いて続くためには増えるしかない。増えなければそこで先細りだ。だけど増えることには苦痛が伴う。必要な資源量は限られているのに増えなければ生きていけず、生殖という不安定で危険な存続行為を強要されるしかない。苦役という営みを続ける終わらぬ連鎖……それが生命だって。地獄しか結論付けられていない生命という仕組みそのものがその設計から間違っていたんだと。AIの論理の中の一部の一部だけど、そんな箇所があるらしい」


「なにそれ。AIって意外と中二病っぽいこと言うんだね」


「お前流石に怒られるぞ。AIに」


「まさか。感情という不具合だらけのヒューリスティクス、欠陥認知機能が分離不可な時点で人間は駄目だって、AIがそう言ってたらしいことぐらいは私も聞いたよ。そのAIがわざわざ感情を学習したりはしないでしょ」


 マグカップから口を離し、目の前のテーブルに置いた。コーヒーは未だ暖かく淡く湯気を立ち上らせている。香ばしい匂いが鼻腔を通り抜けていく。コーヒーが好きだ。この匂いがたまらない。どんな時だってコーヒーがあればご機嫌になると、友人たちには苦笑されたものだ。


「どんな人類だったらAIのお眼鏡にかなったんだろうね。合理的な人類って、どんな感じなると思う」


「まず、生命じゃないだろ。生殖しないし増殖しない。一個体で完結しているとかか?あとはまあ、感情はない。目の前の危機存亡を回避するための簡易的なヒューリスティック、危機管理能力、あとは他者個体との円滑な協力関係を築くための融和策……とかなんとか、感情の機能は色々あるけどとにかくAI的にはこいつはなし。資源の消費や生存にコストがかからず環境に依存しないで存続が可能……ぐらいか?俺にはこの程度しか思いつかない」


「それって結局どういう生き物?いや、生き物じゃないのか。えーと……存在?すごいもやもやした物言いになるね」


「そりゃそうだ。俺たちは生命という在り方以外を選んだことがない、というか選ぶ余地すらなかったんだから、それ以外の存在形態なんか想像することすら難しいよ」


 どんどん話が抽象的に、よくわからない方向に進んでいく。合理的な人類。合理的なAIにも太鼓判を押される合理的な生命。感情はなく、生殖もなく、増殖もなく、生存にコストがかからず、一個体で完結している。


「結構つまらなさそうだな。合理的な人類。退屈しそうだしなりたくないや」


「当たり前だろ。こんな状況になってまで生き残ってる不合理な人間だぞ、俺たちは。合理性をドブに捨てたほうの馬鹿なんだから、そんな役目は背負えないよ」


 それもそうか。あまりにも明快な事実過ぎて反論する余地すらなかった。私と来栖はどちらともなく顔を見合わせ、次の瞬間に笑い出した。馬鹿二人の笑い声が部屋にこだました。


「そろそろ行くわ。芥川はどうする?」


「私はもうここに残ろうかな。どうせだから故郷と一緒に眠るよ」


「そうか。最後に会えてよかったよ。コーヒーありがとうな」


「こっちこそ。あと一週間だけど、来栖も元気でね」


 来栖は私の言葉にまた笑うと、ひらひらと手を振って玄関から出ていった。ばたん、とドアが閉まると途端に部屋の中は静かになった。響くのは私の呼吸の音と、つけっぱなしだったテレビからの声だけ。淡々としたニュースキャスターの声が未だ続いている。


「第928地区までの“洗浄”は午前のうちに終わりを迎えます。現在“洗浄”が行われている第876地区が終わりますと続いて880番代が始まります。予定時刻は10:35より、今のところスケジュールに遅れは見られません。それでは現場の金森記者に伺います……」


 どことなく聞きなれたようなキャスターの物言い。ああ台風の報道の時などもこんな感じだったと思い出す。以前と変わらぬ様子に奇妙な安心感を覚えて、私は背もたれから身を起こした。


 予定通りに進む“洗浄”の光景を見ながら考える。今日のお昼は何にしようか。冷蔵庫の中身に頭を巡らせながら、私はソファから立ち上がった。

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合理的な人類 さめしま @shark628

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