第12話 夏月ちゃんも乙女だねえ

「位置について、ヨーイ」


 パンッと乾いた火薬の音が響く。続いてザっと地面を一斉に蹴る音。


 今は体力測定の時間だ。

 俺と拓海は50メートル走を終わらせ、グラウンドに座り込んでいる。


「拓海、お前、速いな」


「当たり前だ。こちとら小学校からスポーツやってんだぞ。帰宅部のお前に負けたら洒落にならん」


 梨沙姉のトレーニングで体力は上がっているけど、まだまだだ。50メートル走では拓海に引き離されていくばかりだったな。


「まあ、それでもお前も十分速いよ。本当にスポーツやってないのか?」


「小学校位の時は体育得意だったけどね。それ以来、特にやってなかったからなあ。最近、梨沙姉と一緒にランニングとかしてるけど」


 梨沙姉とのトレーニングや一緒の登下校は今も続いている。心配していたような危ない事態は今のところ無く、一安心だが、気を緩めるわけにはいかない。


 さて、目の前では男子に続いて女子の50メートル走が始まっていた。

 通常であれば、体育の授業は男女別だが、今日は体力測定のため一緒である。


 最初の走者の一人は夏月だった。

 艶やかな長い黒髪を後ろで束ね、体操着に身を包んだすらりとした肢体は感嘆するほど美しい。


 その綺麗な足が地を蹴った……と言う間もなく加速していく。

 速い。

 そう言えば、小学校の時、あいつ勉強だけでなく、体育も得意だったっけ。オールAの通知表なんて、後にも先にもあいつのしか見ていない。俺は音楽と図工壊滅だったしな。


 視線の先では、ゴールした夏月がこっちを見ていた。思わず親指を立てて健闘を湛える。なんか向こうは苦笑いしているような気がするけど。


 夏月は、こっちにやって来ると、俺の隣に腰を下ろした。


「女子が走ってるのを厭らしい目で見てるんじゃないでしょうね」


「な訳無いだろ」


「ふふん、どうだか」


 そ、そりゃ、夏月が走ってる姿、綺麗だなって思ったりしたけど、厭らしい気持ちになったりは……胸に視線が行ったりはしたけど、それは男の性だ、うん。


 ……すみません、厭らしい目で見てました。


「そ、それにしても彩名さん、速かったな。記録いくらくらいだったんだ」


 話題を逸らそうと、今の記録について話を振ってみたが、少し反応が薄い。


「うーん、7秒8かな」


「女子にしてはかなり速いんじゃないの?」


「それでも中学の時より遅くなってるし」


 確か高校生女子の平均って8秒代後半くらいだったはずだから、相当に速いはずだが、本人的には不満のようだ。


「まあ、女子は高校生になって中学の時より記録落ちるのは珍しくないんだけど。……でも」


 そう言うと視線を上げる。


「そうで無い子もいるんだよね」


 その視線を追って先を見ると、ひとりの女の子がスタートラインに立ったところだった。


 少し小柄。150センチ台半ばくらいだろうか。

 それと不釣り合いな長い手足、引き締まった身体。


 彼女はクラウチングスタートから、ピストルの号令と共に走り出した……いや、飛び出した。


「あいつ、無茶苦茶速いな」


 隣で拓海が驚いたように呟いている。その気持ちは俺も同じだった。


 まるでロケットのような加速は衰えることは無い。

 ゴールを通過した際、タイムを計測していた教師の「おおっ」という声が聞こえた。続いて黙っていられなかったのだろう。「6秒7!」という驚愕のタイムを告げる声も。


 マジかよ。男の俺と同タイム。何者だ、あいつ?


 その彼女はニコニコしながら、こちらに小走りで向かって来る……と思ったら、夏月に飛びついた。


「夏月ちゃーん、見てた、見てた?」


「はいはい、見てたから離れて、うっとおしい」


 抱き着いて頬を摺り寄せてくる少女を夏月が一生懸命押しのけようとしている。

 だが、言葉とは裏腹に、夏月が本気で嫌がってる感じはない。仲の良い友達なのだろう。


「ええと……二人は知り合い?」


 そう問うと、彼女が初めて気付いたという感じで、こちらに向き直る。

 日焼けのせいか褐色の肌に赤みの強い茶髪のショートヘア。くりくり快活に動く瞳がこちらを見つめている。


「そうそう、中学校3年間一緒だったんだよ。あたし、神崎美奈。よろしくねー」


「あ、よろしく。俺はた……」


「高科君でしょ。君、有名人だもん。うちのクラスで知らない人いないよ」


 う、……それは初日のやらかしによるものか。


「で、そっちの男子は?」


「芳澤拓海だ。よろしくな」


「よろしく、よろしく。ねえ、君ってすごく速かったよね。タイムいくつ?」


 どんどん距離を詰めてくる彼女に拓海も苦笑気味だ。


「6秒1だよ」


「凄い! 陸上やらない?」


「あいにくサッカー部以外に入るつもりはねーよ」


「そっかあ、残念」


 そうは言いつつ、本当に残念という感じでは無い。恐らく断られることは想定したうえで言ってみたという感じなのだろう。


「そう言う神崎さんは陸上部?」


「そ、目指せ、インターハイ!」


 拓海の問いに、当然のごとく答えているが、あれだけ早ければ、まるで大言壮語に聞こえない。帰宅部の俺からすると眩しい限りだ。いや、俺は信念を持って帰宅部をやっているんだけど。


 一方、神崎さんの朗らかな声は続いていた。


「うん、芳澤君は確定として、高科君もまあまあ速いし、唾つけとこうかな」


「は?」


 何のこと?と思ったが、横からいきなり夏月が噛みついて来た。


「ちょっと美奈! 唾つけるってどういうこと⁉」


 その勢いに一瞬「へ?」という顔をした神崎さんだったが、何か思いついたように慌てて両手をブンブン振っていた。


「違う、違う。あたし、体育祭委員じゃ無い? だから、速い選手を確保しとかなきゃって」


 体育祭委員? そういや数日前に、クラス役員を決めてたな。体育祭委員はやけにテンション高い女の子だと思ってたが、神崎さんだったか。


 ちなみに夏月はクラス委員長になっていた……いや、押し付けられていた。え、俺? 絶賛無役ですが、それが何か?


 神崎さんの説明は続く。


「男女混合800mリレーにどうかなーって。女子はあたしと夏月ちゃんで、男子は芳澤君と高科君でどう?」


 ああ、そう言うことかと納得する。体育祭のリレー選手として唾をつけておく、ということ。


 ちなみに、群雲高校では、体育祭は6月。秋にやる学校が多いが、秋は文化祭もあるし、2年生は修学旅行もある。だから、梅雨に入る前の6月上旬にやってしまうのが、うちの高校の伝統なのだ。


 夏月は思い切り安堵したような表情を見せていた。


「もう、美奈、驚かさないで」


「そんな心配しなくたって、夏月ちゃんの彼氏取らないから」


「「は?」」


 夏月と声がハモってしまった。


「か、彼氏じゃ無いから!」


 真っ赤になって否定する夏月に、神崎さんは首を傾げると不思議そうな顔。


「え、違うの? いっつも二人でお弁当食べてるし、それに、以前、芳澤君と高科君話してたの聞いちゃったけど、高科君、小学校で夏月ちゃんと一緒だったんでしょう?」


「それが何で彼氏云々の話になる訳?」


「だって、夏月ちゃん、中学の頃、いっつも言ってたじゃん。『小学校の時、すっごいかっこいい男の子と仲良くて、離れ離れになっちゃったけど、今でもす……』」

「うわああああああああああ!!」

「モガガガガガっ⁉」


 目の前では、友達の口を塞いで押し倒している夏月と、もがいている神崎さん。

 ……お前らいったい何やってるんだ?


「はーはー、死ぬかと思った。酷いよ、夏月ちゃん」


「美奈、余計な事言わないでっ!」


 漸く夏月の軛から脱した神崎さんが文句を言ったが一喝されている。でも逆に神崎さんはニヤニヤ笑みを浮かべ始めた。


「ああ、そういうこと? そっかあ、夏月ちゃんも乙女だねえ」


「美奈ぁ……!」


「うんうん、頑張れ! 応援してるから」


 恨めしそうな夏月と、満面の笑みでその背中をバンバン叩いている神崎さん。

 ホントに何やってるんだろうな……。



========

<後書き>

次回は11月29日(金)20:00頃更新。

第13話「あの鈍感!」。お楽しみに。

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