第9話 この変態どもめ!
高校に向かう遊歩道。
街路脇の桜は、満開の頃を過ぎたとはいえ、まだ葉桜には遠い、そんな季節。
入学式を昨日終え、今日から実質的な始業の日。
夏月によって過去の罪から赦され、心軽く学校へと向かうことができる日。
これから始まる高校生活に希望の翼をはためかせ、舞い散る花弁は、そんな俺の前途を祝福してくれている。
──はずなのだが、俺はさっきから居心地の悪い思いを抱き続けていた。
「ねえ、梨沙姉、もっと離れて」
「いや」
「じゃあ、せめて手を離して」
「いや」
家からずっと梨沙姉が密着して、それどころか手をぎゅっと握って離してくれない。
周り中から好奇の目が向けられ、ひそひそ話をしている光景があちこちに見られる。
この遊歩道は駅から高校への一本道。つまり、この町に住んでいる生徒だけでなく、電車通学の生徒も全員、この遊歩道を通るわけで──。
ほぼ全校生徒の視線にさらされながら歩く通学路は、なかなかに忍耐を要求してくるものであった。
そんな俺たちに後ろから掛けられる声がある。
「高科君、りっちゃん、おはよう」
「ああ、彩名さん、おはよう」
振り向くと夏月の笑顔。だが、梨沙姉からの返事が無い。
……と思ったら、一瞬、握られた手が離された。
これは流石に知っている人の前で、恥ずかしかったか、と思ったが、甘かった。
離された手は、握り方を変えて、またすぐ握られた。指を絡めて。
……えええっ⁉ これって、いわゆる恋人繋ぎって奴?
ピクッと一瞬引きつった笑顔を浮かべた夏月に向かい、梨沙姉がにっこり笑った。
「おはよう、なっちゃん」
「え、ええ、おはよう」
一瞬交錯した視線に殺意がこもったような気がするけど、気のせいだよね……。
しばらく俺たちを何とも言えない表情で見ていた夏月だったが、これ以上かかわらないことに決めたようだ。
「じゃあ、私、先に行くね」
一人でスタスタと歩いていく。
おおい、夏月、助けてくれないのかよ……。
仕方ないので、周囲の視線に耐えつつ、そのまま校門をくぐる。
そこでも状況は変わらない。
遠巻きにしつつ、ひそひそと囁かれる内緒話。
そんな中、ひときわ大きな声。
「春日さん!」
見ると、一人の男が足早にやってくる。
長身で、少しチャラい感じもするが、かなりのイケメン。
誰かは知らないが、梨沙姉の知り合いだろう。
梨沙姉もごく普通に笑顔を向けている。
「あ、中野君、おはよう」
一方、中野君と呼ばれた男は、挨拶を返すことも無く、梨沙姉の前に立った。
その顔が紅潮している。
「ん、どうしたの?」
「か、春日さん、そ、その少年とは、ど、どう言うご関係で⁉」
どもりながら問われた言葉に、ああ、そう言うことか、と理解する。
つまり、この中野君、いや、梨沙姉の知り合いなんだから中野先輩か。彼は梨沙姉のことが好きなんだろう。いきなり梨沙姉と恋人繋ぎでやって来た男が誰なのか気になったに違いない。
今すぐ誤解を解いてあげたいが、聞かれたのは梨沙姉だ。横から勝手にしゃべるわけにもいくまい。──と思っていたら、梨沙姉がにっこり笑って、腕を絡ませ、さらに密着してきた。
「私たち、今、一緒に暮らしてるの!」
えええええええええええっ!という大声が、そこら中で響き渡り、中野先輩が膝から崩れ落ちる。
俺はと言うと、これから起こるであろう事態を想像して、頭を抱えたのだった。
案の定、教室に入り、席に着くと同時に数人の男子生徒に取り囲まれた。
他の生徒も、男女を問わず、遠巻きにこちらを見ている。
「高科と言ったか。どういうことだよ」
「どういうことって、どういうことだよ」
何を聞かれたか自明なのだが、あえて問い直す。
「春日先輩のことだよ。お前一緒に住んでるって」
「いや、逆になんでお前が梨沙ね……春日先輩のこと知ってるんだよ?」
「は? 春日先輩って言ったら有名人だろ! 『ミス群雲』とか、『群雲高校1の美少女』とか言われて。ファンクラブだってあるんだぞ!」
入学したばかりの彼らがなぜ梨沙姉のことを知っているのか疑問に思って聞いたら、スマホの画面を見せつけてくる。
それは学校裏サイト的なところだろうか。
今朝の動画がアップされており、阿鼻叫喚のコメントが並んでいた。
と言うより、「死ね!」とか「この男、殺す!」とか書かれている。
──いつの間にか殺害予告の対象だった。
しかし、これはまずい事態だ。
俺だけが悪意にさらされるのはいい。いや、良くはないけど、まだ許容範囲だ。
でも、世の中には「可愛さ余って憎さ百倍」という言葉がある。
万が一、梨沙姉に悪意が向けられたら、彼女が傷つけられたりでもしたら、取り返しがつかない。
そうならないためにも、誤解を生まないよう、きちんと説明しておくべきなのだろう。
「……従姉弟なんだよ」
「は?」
「だから春日先輩……って言うか、俺は『梨沙姉』って呼んでるから、そう呼ぶな。梨沙姉と俺は従姉弟同士だ。俺は両親が海外赴任して、日本にいなくなったから、叔母さんの家にご厄介になることになったの。梨沙姉はそこの娘さんだ」
「つまり?」
「確かに俺は梨沙姉と一緒に住んでるけど、お前たちが想像するような関係じゃない。ただの同居人だ」
「そうなんだ」
安堵したような空気がそこらに流れた。
男子だけでなく、女子までホッとしたような表情を浮かべているのが理解できないけど。
でも、まだ納得できない人はいるらしい。
「そうは言ってもよ。同居してるからにはあるんじゃねーの?」
「何が?」
「ほら、あれだよ、あれ。ラッキースケベ的なやつ。脱衣所やトイレでご対面とか、良くあるじゃん」
脱力してしまった。
「あるわけ無いだろ! お話と現実をごっちゃにするな。扉を開ける時とかはノックするし、声をかけるよ。他人のご家庭に厄介になってるんだ。当然だろう?」
まったく、世の中には想像たくましい奴がいるもんだ。
「でもよう……」
ん、まだ何かあるのか?
「朝起こしてもらったりはしてるんじゃねーの?」
「あ、えと……」
いきなり核心を突かれてしまい、思い切りどもる。一方、その反応を見た彼らは勢い込んできた。
「やっぱり、そうなのかよ! どうやって起こしてもらってるんだ? まさか、毎朝『おはようのキス』とかしてもらってるんじゃねえだろうな⁉」
「んな訳ねーだろ!!」
……うう、恥ずかしいが、ここは正確な情報を与えないと、むしろ変な憶測を呼びかねないか。
「そんな大したことはされてねーよ。ただ、ほっぺたツンツンされたり、とか……」
「……とか?」
「耳たぶ引っ張られたり、とか……」
「……とか?」
「耳に息吹きかけられたり……とか」
爆発した。
「有罪! 有罪! 有罪!」
「死ね!」
「羨ましすぎんだろー!」
「リア充爆発しろ!」
いや、どこをどう取ったら、羨ましいとかリア充とか出てくるんだよ。
「いや、お前ら、耳の穴に息吹き込まれたら、背筋ぞわぞわーって、マジで気持ち悪いからな」
「「「「むしろご褒美です!!」」」」
……
…………おのれ、この変態どもめ!
========
<後書き>
次回は11月8日(金)20:00頃更新。
第10話「君は大切な……」。お楽しみに。
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