夏休み、流れるプールの下でツンデレ少女はアイを悟る


 ——夏休みである。


「えへ、えへへ……」


 姿見に映ったアタシは笑っている。ちょっとキモい。自分でもそう思うのだから、他人には見せられない。幸いココは試着室の中なので、誰にも見られる心配はない。だから笑いを堪えられないとも言う。


 笑顔の理由? そりゃあ、まあ、決まっている。タカシ案件だ。夏休みに入ってタカシと会う機会は激減した。幼馴染みではあるんだけど、家が隣同士とかそういうのではないんだよなあ。理由も無しに会いに行くには少々遠いし、偶然を装うにも不自然な場所だ。部活動も別だしね。


 そんな感じで、まあ正直に言えば寂しくしていたワケだが、先日タカシからスマホにメッセージが届いた。なんと、市民プールへのお誘いだ。無論アタシは、即答するのも恥ずかしいので三十分ぐらいしてからイエスと返事した。


 というワケで、甚だ遺憾ではありますがー、アタシは今有頂天なのだ。わざわざ水着を新調しにデパートにまで出掛ける始末だ。


 試着室でニヤニヤしているアタシは、今、白のビキニを着ている。ちょっと際どいかな? ボトムの角度に一瞬尻込みするが、そこは有頂天な精神で突破する。トップのサイズがブカブカで交換したのも屈辱案件だが、今は許そう。明日がアタシにとっての川中島なのだ。……あれ? 関ヶ原だっけ?


 まあいい。夏休み中に、こんなチャンスはそうそう無い。アタシはチャンスは見逃さない女である。明日、決着をつける! そういう意気込みで、アタシは小遣いの大半を注ぎ込んだ水着を片手に意気揚々とデパートを出たのであった。



 —— ※ —— ※ ——



「あー……うん、似合っている……よ」


 当日。タカシの反応は微妙だった。目が点だったと言っていい。それはそれ、けしてビキニが似合っていないという意味では無いし、少し赤らんだ顔を見る限り、こうかはばつぐんだ! と思っていい。つまりビキニ姿でタカシを魅了するという効果自体は発揮している。はすだ。


 タカシは恥ずかしげに少し視線を彷徨わせている。おおう、ういやつめ。その表情が見られただけでも、大枚叩いてビキニ買った甲斐があったというものだ。


 だが、目が点だ。


「あえて聞くけど、なんでビキニなの?」


 そう聞いてきたのは瑠璃子だ。アタシとしては「なぜお前がココにいる!?」と聞き返したいところだ。瑠璃子は競泳水着——学校指定の水着だ——姿で、アタシを見つめている。なんというか、今にも笑い出しそうな表情だ。しかもコイツは理由、分かっているだろ。分かっていて、あえて聞いてきたな。


「ふ、ふん……アンタの為に新調したんじゃ、ないんだからね」


 アタシはそう答えるのが精一杯だった。まさか『タカシに誘われて有頂天だったから、この集まりの趣旨を理解してませんでした』とは言えなかった。アタシの言い訳を聞いた瑠璃子はぶっと噴き出して、顔を背けた。肩が震えている。コイツ……後で絶対泣かす……。


「大丈夫かな?……泳いでいるウチに、その……ぬ、脱げたりしないかな?」

「だ、大丈夫よ! そ、そんなに胸ないし」

「あー……」


 タカシが返答に困っている。そしてアタシは心の中で自滅している。別に胸があろうがなかろうが、ビキニが脱げやすいのには多分変わりないのに。——本格的に泳ぐのなら。


 そう。今日タカシが誘った理由は、カナヅチなアタシに泳ぎ方をレクチャーしてくれる為だった。水際でキャッハウフフ遊ぶ為では無い。二十五メートルプールで、ガチの水泳をするのが目的なのだ。


 それなのに、タカシも(何故か同席している)瑠璃子も競泳水着姿なのに、アタシだけがビキニ。一つだけ言い訳をさせてもらえれば、カナヅチだからビキニが脱げやすいとか、水泳に向かないとか、そういうことを知らなかったのだ。大体みんなビキニじゃん?!


「ま、まあ折角来たんだし、泳ぎ教えてよ」

「う、うん。そうだね。サヤカがやる気なのは嬉しいよ」


 そういってアタシたちは二十五メートルプールへと移動した。


 市民プールは市営だが、結構大きな施設だ。流れるプールやウォータースライダーもある。お客も老若男女様々で、結構混み合っている。人気があるのはやはり流れるプールとかで、屋内にある二十五メートルプールは比較的空いている。


 アタシとタカシは一番端のレーンで、バタ足の練習から始める。タカシに手を引いて貰い、ぎこちなく足をばたつかせる。……はっきりいってほぼ前進していない。足を強く叩けば叩くほど、息が荒くなるだけで、その場に静止しつづけるアタシ。


 苦笑するタカシ。


「サヤカは、水泳だけは苦手だよね」

「人間は陸上生物よ。カッパじゃあるまいし、水の中で生きていく風には出来ていないのよ」


 アタシはツンとそっぽを向く。昔から水泳だけは苦手だった。基本、浮いていることが出来ない。今も、タカシがそっと手を離すと、あっという間にアタシの身体は水の底へ向かって沈んでいく。慌てて引き上げられる。


 ……げほげほ。聞いたことがあるわ。脂肪は水に浮くけど、筋肉は沈む。胸が慎ましいということはつまり浮き袋がないってことだから、アタシが沈むのは道理といえる。なるほど、巨乳の子は水棲人類の末裔なのかもしれない……。


「足をバタつかせる時さ、水面に叩きつけるんじゃなくって、後ろに突き出す感じでやってみてよ」

「後ろに……?」

「そう。叩くんじゃなくって、水を押し出す感じで」


 言われた通りにやると、ちょっと前に進んだ。あれ? 待って。今身体がくいっと前に出たような感触がした。これでいいのかしら?


「そうそう。上手い上手い」

「そ、そう?」


 タカシの言い方は、なんだか子供をあやすような感じにも思えたが、まあ気分は悪くない。タカシが笑顔を浮かべているとやる気も出てくる。それに、ちょっと何か掴みかけている感触が心地良い。


 タカシに手を引かれつつ、なんとか二十五メートルを完走する。ぺたりとプールの壁面にアタシの手が届く。アタシは荒い息をしながら、思わず「おおー」と声を上げる。


「出来た……! 二十五メートル泳げたよ!」

「うわっ」


 アタシは思わずタカシに抱きついていた。タカシが驚きつつも、アタシの身体を支えてくれる。ぺたり。水中で、アタシとタカシの肌が密着する。


「っあ!」


 急に我に返って、アタシは離れた。一瞬身体が沈みかけるが、慌ててプールの外へと上がる。嬉しくって思わず大胆な行動に出てしまった。抱きついた時の感触が蘇る。瑠璃子とは違う、ちょっと硬い感触。あれが男子というものりなのか。赤面する表情をぶるぶると振り払う。


 タカシはというと、彼もプールから上がってきた。表情は……見えない。顔を背けている。


「ち、ちょっと休憩にしよう。サヤカも、つ疲れただろ?」

「う、うん」


 そう言って、アタシとタカシはプールサイドに設置されたベンチに座った。なぜか、それとも当然か、その距離は開いている。



 —— ※ —— ※ ——



「結構大胆なことするじゃーん。悔しいわ、私というものがありながら」


 瑠璃子がアタシの隣に座って、そのニマニマとした表情を見せつけてくる。ぺたりと腕が振り合うが、彼女のは乾いている。コイツは一体何しにココへ来たのか……。


「ふん。泳げたのが嬉しかっただけで、別に他意はないんだからね」

「はいはい、ツンデレごちそうさま。泳げた! 好き! つきあって! って言えば良かったのにー」

「うぐ」


 アタシは眉間に皺を寄せる。正論、なのか……? そうだとすれば、アタシはまた機会を逸したことになる。しかしこうして話していると、瑠璃子って恋愛偏差値高いよね……これで男に興味が無いっていうんだから、神様もなかなか酷なことをする。


 だからといって、アタシだってそういう興味はないからね? 最近ちょっと身の危険を感じることがある。今もナチュラルを装って、太股をさすさすしている。内側に入れたらグーで殴るからね?


「そういえば、結局お面の少女のことはどうなったのさ?」

「別に? そのままよ」


 お面の少女とは、夏祭りの夜にタカシに告白してOKもらった少女のことだ。つまりアタシなんだが……名乗り出ていないので、結局正体不明のままになっている。


「分からないなあ。アタシだって、言えばいいじゃん。OK貰ったんでしょ?」

「それは……そうなんだけど」


 それはアタシも不思議に思っている。なんか……名乗り出る気に、なぜかならないのだ。なんでだろ? そのことを無かったことにして、アタシはまたツンデレ体質と格闘している。 


 アタシはちらりとタカシの方を見るが、その目を細める。そう北極キツネの様に。なぜか? タカシが少女に声を掛けられていたからだ。オーケーオーケー、まだ慌てる時間じゃない。いつものことだ。アタシはとりあえず太股を触っている瑠璃子の掌を抓ってストレスを発散させる。


「村上くん、お久しぶり。元気してた?」

「ああ、うん。姫倉さんも元気そうだね」


 タカシに声をかけた少女がニッコリと微笑む。瑠璃子と同じ柄の競泳水着だから、ウチの高校の子だ。その眼鏡には見覚えがある。姫倉エミ。確かバレー部所属。バスケには不向きだが、水には浮きそうな胸をしている。がっでむ。


「今日はどうしたの? 一人?」

「ううん。サヤ……桂坂さんと一緒だよ」

「ふーん」


 そう言って、エミがこちらを一瞥する。なんとなく察する。分かってて聞いたわね?


「そういえば、お面の子って誰だか分かったの?」

「なんだよ、姫倉さんまでそのことで揶揄うのかい? 参ったな……」

「別に揶揄うつもりじゃないわ。もしまだお相手がいないなら、私、立候補しようかと思って」

「立候補?」

「そ。私と付き合ってみない?」

「「は?」」


 思わずタカシとアタシの声がハモった。アタシは反射的に腰を浮かし、タカシがこちらを見てきたので慌てて座り直してそっぽを向いた。あぶないあぶない。


 ……またか! タカシに言い寄る女が多すぎる問題。タカシ、モテすぎだろう?! やはり時代はまだ草食系なのか。アイツのどこがそんなに良い……ま……まあ、良いのかも知れないけど。


「ごめん。今はそんな気になれないかな」

「お面の子にはOKしたのに?」

「それは……」

「うそうそ。意地悪言っちゃってゴメンね」


 ミエは笑顔で手をひらひらとさせると、タカシの前から立ち去った。なんかあっさりとしているな……アタシもあんなにあっさり言えたら良いのに……と思ってたから、エミがアタシの前にやってきた。胸をたぷんと震わせて、笑顔でアタシの顔を覗き込んでくる。


「あなたが桂坂サヤカさんね?」

「……どうして名前、知ってるのよ?」

「そりゃ有名人だもの。村上くん界隈ではね」


 なんじゃそら、どんな界隈だ。……待って、界隈化するほど、タカシを狙っている女子がいるってことなの?!


「ちょっとビックリしたわ。お面のカードは切らないのね」

「なんのこと?」


 この子……お面の子がアタシだって勘づいているの? すっとぼけるアタシ。エミは別段気を悪くした様子は無く、ニコニコしている。


「まあ気持ちは分かるわ。私も同じ考えだもの」

「同じ考え?」

「相手から告白させてこそ、よね」


 エミは口角を一瞬だけ上げた。コイツは……つまり誘い受けというやつだな? 知っているぞ、アタシは詳しいんだ。そんなのと同類扱いされるとは……ツンデレと誘い受けには接点がある?


 そして、さっき告白したのも本気じゃ無かったってことか。


「探り入れるのに告白するなんて、スマートじゃないわね」

「そういう素直なところも好きよ。私たち、いい友達になれそうね?」


 エミはそういって立ち去っていった。



 —— ※ —— ※ ——



 水泳の練習の後は、流れるプールで遊ぶことになった。アタシとしてはスライダーしたかったけど、さすがにビキニでは脱衣の危険性があって断念した。代わりに瑠璃子が大はしゃぎで周回している。あいつは何しに来たんだ……。


 アタシは浮き輪を使って、流れるプールでゆっくりと流されている。周囲はお客で一杯だ。気がつけばタカシの姿が見えなくなっている。


『相手から告白させてこそ、よね』


 脳内では、さっきのエミの台詞を反芻していた。何か……何かが引っかかる気がしたのだ。まあ相手から、つまりタカシから告白してもらうという可能性は考えていなかったな。そういうのも悪くない。


 そういえば、今までは自分から告白することばかり考えていた。なんでだろ? アタシの性格が、ツンデレ体質を除けば、イケイケな部分は大きいよね。待つのは性に合わない。


 でも、本当にそれだけかな? 何かが引っかかる。どうして自分から告白しようと思ったんだろ……。


「あ」


 ふと。アタシは気づいた。告白させてこそ、と、お面の件が合わさって、唐突に答えが脳裏にひらめいた。ああ、そっか。そういうことか。だからアタシはツンデレなのに、自分から告白しようとしていたのか。


「……ッ、あぷ」


 突然。身体が沈んだ。何が起こったのか。音も光も水の中に沈み、天地が分からなくなる。浮き輪は使っていたが、流れるプールの深さはアタシでも爪先が届く程度だった。


 そのハズなのに、唐突に爪先に触れていた床の感触が無くなった。恐らくちょっとした深みだったのだろう。油断していたアタシは、すっぽりと浮き輪から抜け落ちて、水中に落ちてしまった。


 いや、慌てず立ち上がれば問題ないはずが……天地が分からなくなってしまって、立つことが出来ない。


「がはっ」


 口から空気が漏れる。あ、これ溺れている。間違い無い。この感触は溺れている。昔一度だけ、海で溺れたことがあった。その時と一緒だ。まさかこんな足が届きそうなところでも溺れるとは……。


 急速に意識が遠のいていく。そういえば海の時はどうしたんだっけ。あの時は、確かタカシが——。


「ッ! 大丈夫か、サヤカ?!」


 いきなり空気のあるところへと持ち上げられた。ぷはっと空気を吸う。状況がよく分からない。ただ、アタシの視界一杯に、必死な表情のタカシの顔が見ていた。


 ——ああ、そういえば。あの時もタカシが助けてくれたんだっけ。



 —— ※ —— ※ ——



 アタシは救護室で、バスタオルに巻かれてベッドの際に座っている。体調はもう大丈夫。お医者さんらしき人に問診されて、問題無しと判断された。


 タカシは心配そうな顔で、横に座っている。溺れたアタシを水中から助け上げたのは、やはりタカシだった。監視員さんより反応が速かったそうだ。あの時アタシからはタカシの姿は見えなくなっていたけど、タカシはずっとアタシのことを見ていてくれたのかな? そうだと嬉しい。不謹慎だけど。


「ごめんね、ちゃんと傍にいなくて」

「ううん。油断したアタシのせい。ありがとう、タカシ」


 アタシがそう言うと、タカシがほっとした表情を浮かべる。……あれ? 今アタシ、素直にお礼を言えたよね? ツンデレしてないよね? これはもしかして、今、告白のチャンスなのでは?


「……こんな時に聞くのもアレなんだけど」


 しかし口火を切ったのはタカシの方だった。


「夏祭りの、お面の子って……サヤカだったの?」

「——……」


 アタシは静かに息を吸って、吐いて。そしてニッコリと笑って答えた。


「ううん、違うよ」



 —— ※ —— ※ ——



「え、なんで? どうしてそこで「はい」って答えないのかなー。ワケが分からない」


 プールからの帰り道、タカシと別れた後。コトの顛末を聞いた瑠璃子が天を仰いだ。アタシにはお前のことがよく分からない。お前は、アタシがタカシと付き合ってもいいのか? ナチュラルに百合ってくるのはポーズなのか。そうなのか。


「しかし、ツンデレとしては正しい対応をしたということなのか?」

「ツンデレ言うな。それに、アレはツンデレったワケじゃない。本心でそう言ったの」

「なら、尚更分からないなー。折角の機会をふいにしただけじゃん」

「そうでもないわよ」


 アタシは空を見上げた。高い青空が、ゆっくりと夕焼けに変わっていく。汗が喉元を伝い、心地よい疲労感が全身にある。今日は、良い日だ。


「だって。お面の子は「アタシ」では無いんだもん」


 そうだ。タカシが「YES」と答えたのは、お面を被ったアタシではあるかも知れない。でもそれはアタシでは無い。仮面を被ったアタシなのだ。それは——アタシの望む答えでは無い。タカシには、アタシの素顔と目を見て「YES」と答えて欲しいのだ。


「それにね——自分から告白するのもなんか癪だわ。アタシと同じ思いをしてもらって、タカシの方から告白してもらうのが、アタシらしいかなーってね」

「このツンデレ娘め」


 瑠璃子の呆れた表情に、アタシはとびっきりの笑顔で応えるのであった。



【完】


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夏祭り、打ち上げ花火の下でツンデレ少女はアイを告白する 沙崎あやし @s2kayasi

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