ハッピーバレンタイン
「泣くな」
「泣いてない。目が寒いだけ」
「目が寒いってなんだよ」
少し笑った彼は、「家この辺?」って一々冷静に返してくる。
すぐに辺りを見渡せば、あたしの家がある住宅街まで来ていた。
「じゃあ戻るわ」
あたしの白いマフラーを返してくれた彼は、最高に寒そうだ。
「待って待って…!」
まだ大事な事を確認出来ていない。
「彼女…いないの?」
「…はぁ?」
「彼女、」
「おまえ人の話聞いてねぇだろ」
いやいや、それはこっちのセリフで…
「いたら話しかけてねぇし、こうゆう事しねぇだろ…」
「…じゃあ、」
言うが先か、動くが先か、最高に寒そうな彼に近づいた。
急に距離を詰めたあたしを、不審そうに見下ろしてくるその視線すら愛おしい。
「失礼します」
一応礼儀として声をかけ、彼の両脇の下から両手を通し、背中にその手を回した。
冷えている筈の体が温かくて、彼の胸に頬を埋めると、自分でしておいてなんだけど、心臓がギュッとなった。
今、この瞬間、最高に彼が好きだ。
はぁ…と、頭上から溜め息が聞こえた。
心底呆れてそうで、想像したら少しにやけた。
「っとに…」
そんな言葉が耳を掠めたと同時に、あたしの背中にも、彼の両手が回された。
「無理だろ…」
この行為が無理なのか、この状況が無理なのか、よく分からないけどあたしは幸せで。
このまま暫く、いつまででも、いや一生、このままで居たかった。
「もう離れろ」
「えー…」
「離れろって」
「えー…」
「離せ」
「…はい」
埋めていた顔を渋々上げた。渋々、彼の背中から手を下ろした。渋々、ほんと渋々…
それでも、完全には離れられなくて、あたしの両手はまだ、彼の腰の辺りで止まっている。
少しだけ開いたあたしと彼の間に、隙間風が入ってくる。
さっきまでの温もりが嘘の様で、離れがたい。
腰に当てた手を中々下ろさないからか、彼の手があたしの両手を掴んだ。
「離せって」
言うが先か、動くが先か、あたしの両手は彼の両手によって、見事に離された。
「明日も会えるだろ…」
余程、あたしが名残惜しそうに見えたのか、そんな優しい言葉をかけてくれる。
明日、学校で会えると言う事なのかな…
「学校だと中々会えないよ…」
「……」
「会おうとしないと、会えない」
一年近くストーカーをして来たあたしが言うのだから間違いない。
「会えばいいだろ」
今までの話を聞いていたのかこの人は…
「会おうと思えば、もう会えるだろ」
平然と言ってのける。
あたしが毎日どんな想いでストーカーみたいな行為をしていたか知らないから。
「言っとくけどな、」
再び頭上から溜め息が聞こえて、彼の顔をゆっくりと見上げた。
「俺は会おうと努力したからな」
その表情は、月明かりが逆光となり良く見えない。
「あの塾で会った時も… 話せる様になれたと思って、でも急に辞めて居ねぇし。まぁ、それはそれで…これ以上は諦めとけって、誰かに阻止されてんのかと思うぐらい、俺が行けば行くだけ、おまえ離れて行くから… ファミレスの時も全然覚えてねぇし」
面目無い…
「…ぅ…」
「言っとくけどな、思わせぶりな態度とってんのは、おまえだからな」
最後の方は、あたしに対する不満の様にも聞こえた。でも、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
まるで、愛の告白みたいで。
…正直、痺れた。
全身が、震えた。
あたしの事、凄く好きなんだろうな…
彼の壮大な愛の告白に、思わず関心した。
じわじわと湧き上がってくるこの感情は、愛しさ。
好きだと言葉にされた訳じゃないけど、愛しくて愛しくて堪らない。
まるで湧き水の様に、じわじわと愛しさが込み上げてくる。
どうしてこんなに、好きになってくれたんだろう…
愛しくて、触れたくて、寒い外気に晒されている彼の右手を、左手で撫でるように指を絡めた。
彼の手の方が、あたしの手より温かい。
その温度に酷く安心した。
「っとに、無理…」
2度目の無理と言う言葉が頭上から溢れ落ち、指を絡めていた彼の右手があたしの左手を強く握り返した。
彼の温度は、温かくて、気持ち良い。
「まじでやめろ、その思わせぶりな態度」
何とも人聞きの悪い言い草だけど、もう今となっては全てが愛情表現だとしか思えず、にやけそうになる。
「明日はいつ会える?」
「……」
「学校だと、校舎も違うし…」
「……」
「友達も居るし…」
「……」
吐息は感じられるのに、彼からの返事はない。
左手は強く握り締められたまま。
彼も、あたしの温度に心地良さを感じてくれていたらいいなと思う。
「会おうと思えば会えるんでしょ…」
次に出た言葉が拗ねている様な言い方になり、その所為か、彼の右手の指先が少し動いた。
また溜め息が聞こえる。
「とりあえず、今日のところは帰る」
引き止めておいて何だけど、2月の外気は本気で寒く…
「はい…」
素直に返事をした。
「明日の朝なら会える?」
懲りもせずに聞いてみる。
「朝一緒に登校しようよ」
繋いだままの彼の右手を揺さ振る。
「ぶらぶらさすな」
「朝一緒に行ってくれる?」
「揺らすな」
「うちまで迎えに来てくれる?」
「は?」
「ダメ…?」
「…俺を揺さぶるな」
その返事を持って、了承したと捉える事にした。
そうと決まれば話は早い。
「ごめんね、寒いのに…」
さっさと、帰ってもらおう。
「明日待ってるね」
今から楽しみでしょうがない。
「最期にもう一回、」
ギュッてしていい?
と聞く前に、彼の両脇から両手を回して抱きしめた。
「寒いのにごめんね」
「思ってねぇだろ…」
「思ってるよ!」
「声笑ってんじゃねぇか」
そう言った彼の声も、怒っている様には聞こえなかった。
だからかな、彼の優しさに甘えて、ついつい話し込んでしまう。
「どうしてあたしの名前、知ってたの?」
「また唐突に…」
「どうして?」
彼を見上げると、その拍子で少しだけあたしの体が離れる。
そんなあたしを支えるように、彼の手が背中に回された。
「その質問で最後な」
…そう言われると、違う質問に変えたくなる。
「やっぱりいいや」
「は?」
「あたしの名前なんてどうでも良いの」
「どうでも良くないだろ」
「じゃあ最後の質問は、」
「おい、」
「そうだな、名前にしよう!」
「聞いてんのか人の話」
「なんて呼ぼうかな?」
「聞いてねぇな人の話」
「あたしはミズキって呼ばれてるから、あたしも下の名前で呼ぼうかな?ね、何て呼ばれたい?」
「……」
最後の質問に、答える気がないらしい。
「聞いてる?」
彼の胸の辺りの服を引っ張ると、逆光で見え辛い表情が、こちらに向けられた。
「名前、」
そう言って、また黙り込む。
「何?」
「俺の名前、分かってんの?」
「え…?」
何言ってんの、この人…
「わ、分かってるよ!知ってるよ!」
まさかそんな質問が返ってくるとは思わず、最初の言葉に詰まってしまった。
「寧ろ知られてないと思ってたの?」
「…有り得るだろ」
「ありえないでしょ!」
「…そうかよ」
「逆にびっくりだよ!」
とは言ったものの、これまでのあたし達の出会いからして、あたしの言動からして、そう思われてもしょうがないのかなと感じた。
「斎藤、アキラ…でしょ?」
「……」
「いや、違うとか言われたらもっとびっくりなんだけど」
「…いや、ほんとに知ってんだなと思って」
「知ってるよ!」
はぁ…と溜め息を吐いた彼は、「ちょっと感動したわ」と呟いて、あたしから顔を少しだけ背けた。
いや、どんだけ。
「まだ知らない事いっぱいあるよ」
「……」
「とりあえず、名前の呼び方から始めます」
「……」
「んー…何て呼ぼうかな」
去年のバレンタインから1年。
「斎藤先輩?」
「…笑ってんじゃねぇか」
「アキラ先輩?」
「呼ぶ気ねぇじゃねぇか」
「もぅ…一々うるさいなぁ…」
こんな何気ない会話のやり取りに、顔が
「アキラさん…?」
「笑うな」
…バレンタインはいつだって、
特別な日。
だって、
大好きな人が生まれた日。
だから、
バレンタインが特別なんて…
あたりまえでしょ?
バレンタインデイ リル @ra_riru
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