エピローグ
第12話
ユージンは今、表現し難い気持ちのやり場に困っている。
伯爵が代替わりをしてから、命を奪った生贄は九人を数える。そして、レノ城では通算十人目となる生贄に、ミーシャという名の少年を迎え入れた。
先の九人が少女であったのに対し、十人目の生贄は少年であった。
やれドレスだの、やれ化粧だのと言われるよりも、少年であるが故に扱いやすかろうと思っていた。実際、世話の殆どを女中に任せきりになっていた先の生贄達とは違い、ミーシャは周りを男で固める事となり、同性なるユージンとしては、部屋を訪ねていくにあたってもなんら気に留める必要もなかった。
心配していた伯爵との相性も幸いにして良く、生贄としても大いに活躍を見せる兆しは確かにある。育った環境故か理解できない考え方を示す事もあったが、十人目の生贄はうまくレノに馴染んでいくような、そんな予感はあった。
伯爵として毅然とした態度を示す伯爵ではあったが、気心の知れたユージンの前では、少女が亡くなる度に深く落ち込む様子を見せた。段々と心に折り合いをつける方法を身につけて行ったものの、苦しむ伯爵を見て、侍従として心が痛まないではない。ミーシャが死なぬ生贄となってくれるというなら、それはユージンにとっても、心から有難い存在であった。
伯爵にしてみても、同性であるが故か、先の少女達よりもミーシャに馴染むのが早かったように思う。
気兼ねなく話をし、異性でない事もあって触れるに全く憚りもないようであった。生贄にしか触れる事が許されない穢れを嫌う伯爵だが、やはり相手が少女、つまり異性となると、流石に気を遣うような素振りが見えたものだ。ミーシャに対しては、それが全くない。
(人の温かさというものを、我々は与えて差し上げる事が出来ないからな)
伯爵がミーシャの手をとる姿を、しみじみと感慨深く眺めたものだ。少しばかりの羨ましさと、それを与えてくれる存在への感謝がまた少し。ユージンの目から見て、ミーシャが伯爵の中で存在感を増していくのは、正に日に日に、手に取るように分かった。
「あいつは、絶対に私を見捨てない気がする」
「……はあ」
まじまじと真顔でそんな事を言われても、ユージンとしては反応に困る。
「あいつは私の特別になりたいという。私の唯一になりたいんだぞ? これは逆を返せば、私から決して離れたくないと。私しか寄る辺のない子供は、絶対に私を見捨てないし、裏切らない」
「はあ、そうですかね」
ユージンは、今、表現し難い複雑な感情の中を彷徨っている。ミーシャを大切にして、仲良く手を取り合って仕事をしてくれる分にはなんら問題ない。問題ないのだが、伯爵はここのところ、妙に表情が緩い。
「このレノに仕える者は、誰も伯爵を裏切らないかと思いますけど」
「いや、レノの者達を疑っているという話ではない。ユージンが私を裏切るかも、などと考えた事は一度もないぞ?」
慌てて取り繕うように弁明をする姿が妙に幼く、ユージンは苦く笑う。
「こう、幼くなりましたね伯爵。いや……伯爵を年相応の本来の姿にして差し上げる事が出来る、と言いますか。ミーシャは凄いと、私も思いますよ」
「そうなんだ、これが。無教養の癖に何故か侮れん。偶に、的を射た事も言う」
ミーシャの凄みは、その素直さにあるとユージンなどは思う。ユージンや、他の者達が思ってはいても口に出さないような事も恥ずかしげもなく言うから、伯爵は見る間に心を開いた。それはこれまで伯爵に与えられて来なかったものであり、求めていたものであり、それが伯爵の心にぽっと火を灯した。それは日に日に大きくなって、これから伯爵の支えになっていくのではなかろうかと、思う。
「我々では、伯爵様に対し、あのような軽口は口が裂けても叩けませんからね」
「お前は偶に出るぞ、毒が」
「そうですか?」
しれっと首を傾げるユージンだったが、ミーシャはレベルが違う。伯爵位の凄さを分かっていない分、軽口が留まるところを知らない。口喧嘩などして見せる姿には、最早呆れを通り越して感嘆する。初めは正すべきと思ったものだが、ユージンやレノに住まう者には到底真似できないあまりの所業を、少し見守ってみたくなった。そしてそんなミーシャだからこそ、素の、本来あるべき十八歳の伯爵を掴む事が出来た。脱帽すべき存在だ。
「ミーシャといる時の伯爵は、楽そうです」
「楽?」
「強がらなくても良くて、レノの伯爵でいる必要がない」
あー、と伯爵は苦く笑って、机の上に頬杖を付く。先程からミーシャとのやり取りを思い出してはにやにやと笑っているので、仕事机に座らせてはいるものの、一切仕事は進んでいない。
ユージンが最も近くで見て来たと自負する伯爵様が、たった半年少々で随分と変わった。こんなにやにやと締まりのない顔は、とんと見た記憶がない。ーー非常に、複雑だ。
「それで、ミーシャに告げたのですか?」
「なにを」
「子供は諦めてくれ、と」
「……ああ」
伯爵は途端ににやけ顔を引っ込め、苦い顔を貼り付ける。
穢れを嫌う伯爵と生贄は、互いにしか触れる事を赦されない。それ即ち、生贄として生きていく限り、子供を持つ事は諦めて貰わねばならない、という事だ。
「子供の名付け親になりたいなどと仰った日には、耳を疑いましたがね」
「本心だ。私は子供を持つ日は来ないんだから、子供に名前を付ける経験が出来んだろ」
「生贄もでしょうに」
「正直、男の生贄がここまでやるとは、思ってなかったんだ。相性が良かろうと思ったのは事実だが、ミーシャは、仕事をする前に返す事になるかも知れないと、あの時は思った」
苦く言いながら、伯爵は頬杖をつき、小さく溜息を吐いた。
「ミーシャは、生贄を辞めると言うかな」
「さあ。あの子はまだ子供ですから、子を持とうなどという意識は目下ないでしょう。今のところは」
そう、今のところは。
生贄としてここに留まるうちは、子を持たせてやる事は出来ない。死なぬ生贄になれるかも知れない信憑性が出て来た今、今後もあの少年をレノに残す選択をする以上、早めに心の準備をさせておいてやる方が良かろうとは思うが、伯爵が言い淀んでいる理由が分からないでもない。ミーシャに子供を持つ事への憧れや希望が強くあった場合、それを諦めさせる事への心痛がある。否、伯爵が苦い顔をしている本当の理由を、ユージンは分かっている。
「ミーシャが貴方ではなく、子供を選んだら屈辱ですもんねぇ」
敢えて、屈辱という言葉を選んでみる。本当は、それを「恐れている」のだと知るユージンだが、怖いのだとは伯爵は認めたくなかろう。
伯爵は苦々しく鼻を鳴らし、自分を励ますように言う。
「あいつは私の特別になりたいんだ。残るに決まっている」
「そういう事にしておきましょうか」
「言いたい事があるならはっきり言え」
むっつりとする伯爵は幼く、彼に幼さを与えるミーシャを、ユージンとしてももう少し手元に置いておきたいという思いはある。
「あの子は選ばれたい子ですからね。誰かの特別になりたくて堪らない、哀れな子です。言って差し上げなさい、お前は特別だと」
「言わずとも分かるだろ」
「愛されている、と人の気持ちに胡坐をかいてると、とんでもない目に遭いますよ」
ユージンが真顔で言うので、伯爵は急に不安になったようで、困ったように身を乗り出す。
「……そうなのか」
「伯爵様も、私に言わせればまだまだ子供です」
「二十八に言われたのでは、ぐうの音も出ない」
しどろもどろに困惑を示す伯爵が幼く、愛おしい。ユージンは小さく微笑み、言う。
「今回は、今更タイミングがないでしょう。次の機会には、言って差し上げて下さい」
「……うん」
喜ぶかな、と小さく言った伯爵を、ユージンは心から愛おしく思う。
「さあ、それだけはさっさと片付けてしまって下さい。ミーシャがパーティを楽しみに、伯爵様のご到着を待っていますよ」
「ああ」
伯爵が目の前の書類に目を落とす。
黙々と集中していく伯爵をぼんやりと見つめながら、ユージンは気鬱に蓋をする。
ミーシャが本当に死なぬ生贄として生きながらえる事が出来るのか、それは現段階ではまだ何とも言えない。ただ、伯爵にとってかけがえのない存在となる可能性を秘め、既にその兆しがある以上、今のところユージンがミーシャに望む事はただ一つだ。
(どうか、死なないでやってくれ)
繊細な心を持った、ユージンの大切な主人が壊れてしまう事のないようにーー
生還者の暁光 みこ @miko-miko
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