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第11話

目が覚めた時、生きているなと思った後に直ぐ、今度は何日経ったのだろうと思った。

 初めて昏倒した時は確か五日だったような気がするが、今回は体感で前回よりも強烈なダメージを受けた。一週間くらい経っちゃったかな、などと暢気な事を思いながら、ミーシャは一人、薄く笑う。

(良かった。生き残ってあげられた)

 そのことに、ミーシャは大いに満足する。一つ大きな山を越えてやったと、少しくらいは自分を褒めても許されるだろうか。

 そんな事を考えながら天井を眺めていると、ミーシャを覗き込んできたのは二つの顔だった。

 目を丸くしたのは、お互い様だった。二つの顔は心から嬉しそうに破顔し、それを認めたミーシャはへにゃりと涙目になる。

「……カタール、カシミーア」

「おーおー、頭はっきりしてる」

「ああ良かった、直ぐに伯爵様に連絡を」

 ひひと笑ったカシミーアは元気そうで、涙ぐむ様子を見せたカタールもまた、真っ直ぐにミーシャを見る目が昔と変わりない。

「……ご、めんなさい、二人共」

 嗚咽を漏らし始めるミーシャに、二人揃って頭を振りながら寝そべったままの自分の目を覗き込んで来る。

「体力ない時に泣くなー」

「ミーシャが謝るなら、我々はその十倍謝らなければ。危険に巻き込んでしまった事を」

「そうそう。十倍謝るの面倒だから、頼むから黙ってくれ」

 しー、と人差し指を立てるカシミーアには左腕が途中までしかない事が服の上からでも分かった。肘の辺りから下、袖の中には空洞しかないという事が、服がゆらゆらと揺れる度に痛々しく目に映った。

「あー、これには触れてくれるな。こんな失態、恥ずかしくて堪らないんだからさあ」

「……恥ずかしい。痛くない?」

「全然。元兵士見習いとしては、腕を無くすなんて失態も失態、顔から火が出そうだ。責めないでくれ」

「いや、責めたい訳じゃなくて、謝罪を、」

「未熟者が! と言われてる気分なんだ! 頼むから放っておいてくれ」

 はあ、とミーシャは良く分からなかったものの、本当に恥ずかしそうなカシミーアの姿に渋々苦く同意する。

「とにかく、ごめんなさい」

 ミーシャが言うと、二人は顔を見合わせて言った。

「「ごめんごめんごめんごめん、ごめんごめんごめんごめんごめん、ごめん!」」

 揃って、本当に十倍言った。二人がまだ言うのか、と目で語りかけてくるので、ミーシャは黙る。十回も言われるのは、気が引けて仕方がない。

「ありがとうっていうのは、いい?」

「一回だけならな」

 カシミーアが笑い、カタールが苦く蟀谷を掻く。

「私などただただ不甲斐なくて。弟に怪我をさせただけで、何も出来なかったんですから。ミーシャが御礼を言うような事も、勿論謝罪するような事も、何もありません」

 あっけらかんとして見せるカシミーアと違い、カタールは自責の念が強く残っているのか、しゅんと肩を落としっぱなしだ。どうやらまだ心の方は本調子ではないらしい。そんなカタールを見ていて、ミーシャはしみじみと思う。

「……成程。僕はカタールが弓を放って、駆け付けてくれて、本当に救われたと心から思ってるけど、自分を責めてる姿って、見てて気持ちが良いものじゃないね」

 はっとカタールが顔を上げるのと、カシミーアがぱちんと手を鳴らすのが同時だった。

「それそれ、本当そうなんだ。いつまでもいじいじと、見てる方が疲れる」

「そうみたい。これを最後に、僕ももう、言わない事にする。ありがとうございました」

 二人は微笑んだだけで何も言わず、カタールは伯爵の元へ向かったのか、小さく一礼して退出して行った。残されたカシミーアにミーシャは問う。

「何日経った?」

「聞いて驚け、二日経っただけさ。今回はお早いお目覚めで良かった」

「え、ほんと? 凄い」

 我ながら大した回復力だと思って良いのだろうか。早く目覚める事が出来たという事は、前回よりも結果としてダメージは少なく済んだとも取れる訳で、これで伯爵の心痛を少しは減らせるだろうと嬉しくなる。

 体は億劫で、力が入らないのは変わらなかった。自分の体ではないように重いが、なんとか右手を持ち上げてみる。自分の傷一つない手を眺めながら、ずっと拳で殴りつけられるような痛みがあった筈なのに、と思う。

「体に痣とか、出来てたりするのかな?」

「んー? 見た感じそんな事はないけど」

「呪い返しって、こう、目に見えない大きな拳で殴り続けられる感じなんだけど。実際は、全く怪我とかしないんだね」

「そうなんだ?」

「そうそう。こう、闇に圧縮されていくっていうか。身を潰されていく感覚もあってさぁ。でも、僕、大丈夫だよね? 小さくなったりしてないよね」

 はははとカシミーアは笑い飛ばしたものの、そんなに痛いのか、と不憫そうに小さく言った。しまったと思ったが、前言は撤回できない。

「腕が食いちぎられるよりましかな」

「なんだよ、大人の対応するじゃん」

「秘儀、伯爵直伝の軽口返し。空気を軽くするやつ」

 ミーシャがひひと笑うと、カシミーアも邪気なく笑ってくれた。

「十五になったんだもんな?」

「え、なんで知ってるの?」

 ミーシャが目を丸くすると、カシミーアがつん、とミーシャの額を小突いた。

「失神寸前の言葉が十五になった、って何の報告だよ」

 かっ、とミーシャは赤くなる。全く言ったつもりはないが、カシミーアがそれを知っているという事は、間違いなく口走ったのだろう。

「伯爵、ばらしたな!?」

「ばらした、というか? だから目が覚めたらパーティでもしてやってくれと頼まれてる」

 うう、とミーシャは唸る。確かに、朦朧としていたとは言え、今際の言葉になるやもしれなかったというのに、それはない。

「他に何を口走ったんだろ」

「さあ、聞いてない。聞いてみたら?」

「いや、だいぶ恥ずかしい」

「恥ずかしい事言った?」

 ミーシャは苦々しく言う。

「覚えてないけど、言った気がする」

「じゃあ、多分言ってるな、それ」

 ひい、とミーシャが布団を被ると、カシミーアの笑い声が少し遠くに聞こえた。

「十五のお祝いじゃなくてもさ。皆ミーシャの為にパーティをって張り切ってる。なんせ、また生き残ってくれたんだから」

 喜んで貰える事は、素直に嬉しい。

 そっと目だけを出すと、優しくミーシャを見下ろす目がある。

「カシミーアの声、……そういえば、久しぶりに聞くんだな」

「ん? あー、そうだな」

「落ち着く」

 ミーシャがふふと笑って言うと、カシミーアは目を丸くする。そしてばつが悪そうに視線を泳がせて、少し照れて見せた。

「確かに、恥ずかしい事、言うよな。ミーシャは」

「いつ?」

「割と、良く言う。素直っていうミーシャの美徳なんだけど、まあ、照れる」

「……伯爵にも言ってる予感?」

「これは、言ってるぞ」

 真顔でうんうんと頷かれ、また赤くなるミーシャの元に、間が悪いというのか、伯爵が飛び込んできた。子供のように頬を紅潮させて現れた伯爵に、何故か猛烈に気恥ずかしく、ミーシャは鼻先まで布団を被る。

「早いな!」

 カシミーアと同じ感想を叫びながら近寄って来て、さっと下がるカシミーアと入れ替わるようにして伯爵がミーシャを真上から覗き込んで来る。伯爵の体で影が出来たが、当の伯爵は妙に輝いて見えた。

「よく生き延びた」

 子供のようにはしゃぐと伯爵は目が大きくなる、と思う。それは伯爵を年相応に見せるものであり、距離を近しく感じる瞬間でもあった。伯爵はいつもよりもはしゃいでいる気がするが、何を口走ったか分からない手前、どう反応して良いやら悩む。

「……大きな山、乗り越えた?」

「越えた。間違いなく」

 花が咲いたように笑う伯爵の、ミーシャに命があった事を心から喜んでくれる様子に、我知らずほんわりと心が温かくなる。

「また一歩、近づけたかな。死なない生贄」

「期待している」

 大きく頷きながら、伯爵は手近な椅子を引っ張って来て寝台横に腰を下ろした。

「生き残ってくれる有難みが、分かるだろう」

 ちらり、と伯爵は今しがた出て行ったカシミーアを想起させるように、戸口を一瞥しながら言う。

「うん」

 ミーシャは、思わず頬が綻んだ。自分の侍従二人を大切に思う気持ちと、伯爵が自分を思ってくれる想いが同じとするならば、まごうことなく、愛されている。

「ここの人達の、カタールやカシミーアの、伯爵の、役に立ててさ。一つ一つ、伯爵が言う所の自分の価値を積み重ねていくとさ。こう、これ何ていう気持ちだろう。満たされていくね」

「充足感があるだろう。生きていても良いのだという確証を得たような自信、誇り、自尊心、そういったものを自分の手で育て上げていく事が生きていく事だ。私には私しか出来ないと自負するものがあり、お前にもお前しか出来ない事がある。お前にしかできないと、今、確固たる証明への道を進んでいる所だが」

 伯爵がすっと手を差し出してくる。開いた手のひらには何がある訳でもなく、まじまじとその手を見つめるミーシャに、くすりと伯爵は笑った。

「手を出されたら、手を出せ」

「ああ」

 ミーシャが右手を持ち上げると、がっとその手を取り、伯爵は眩しい程の笑顔を降らせた。

「私の唯一となれ。これからもそう在ってみせろ、ミーシャ」

 ちかちかと目の奥が点滅するように眩しく、ミーシャは思わず目を細める。

「……光」

 ーー出会った時から、ずっと。

「うん?」

「いや、なんでも」

 出会った時からずっと、この光に浮かされている。

 握られた手を握り返し、ミーシャはくすりと笑う。

「いつか、お前がいないと困ると言わせたいなぁ」

「あははは! 死ななければ、いずれ言ってやらんでもない」

「本当に?」

 ああ、と伯爵はにやりと意地悪く笑った。

「お前が私の特別になったなら、言ってやるとも。認める時は潔く認めてやる」

 言ったね、と笑みながらミーシャは小首を傾げる。

「ところでさ。僕ずっと、思ってる事があって」

「なんだ?」

「生贄ってさ、一人じゃないと駄目なの?」

 目を丸くする伯爵に、ミーシャは心底不思議であった事を今、ようやく尋ねてみる。

「いや。呪いが返ってくるところに生贄を二人とか、三人とか配置しておいたらさ。分散して威力が落ちたりとかってないのかなって」

 単純な疑問を口にしたつもりであったが、伯爵は驚愕を顔に張り付けて黙した。

「……なぜ、早く言わない」

「え?」

「考えた事もなかった」

 零れ落ちそうな程に目を見開いたまま呟く伯爵に、ミーシャは吹き出す。

「ええ? だって、呪いが返って来る時ってこう、殴られるような感じだからさ。受け手が沢山いたら拳の数減るじゃんって。こんなに沢山頭いい人がいるのに、誰も思わなかったの?」

「思わなかった」

 素直に認める伯爵は、難しい顔をして考え込む素振りを見せる。試してみる価値はある、と顔に書いてあるようだった。

「一人で受けようとするから死ぬかも知れないのであって、五人で受けたら死なないんじゃない? とか。一回使い捨てって言ったら言い方悪いけど、何回か受けたら死ぬんなら、一回受けた生贄は帰らせて直ぐ次を探して順繰り生贄を交代させるとか」

「……お前はっ! なぜ、もっと早く言わない!?」

 直ぐ検討する、と言わんばかりに吠える伯爵に、ミーシャは笑うしかない。

「生贄というものは直ぐには見つからない。何か月も探し回ってやっと一人、そんな確率でしか発見できないのは確かだが、とても興味深い意見だ」

「そんな長く仕事をしない訳にはいかないもんね」

「それはそうだ。順繰り交代させる程の人員を探すのに何年かかるやらとは思うが、せめて三人、いや、二人でもいい。呪い返しを共に受けさせたら重さが違うかも知れないというのは、是非、試したい」

 ぶつぶつと考え込むように言う伯爵を眺めながら、ミーシャは薄っすらと笑う。

「言ってみたものの、ま、僕は一人の方がいいけどね」

「何故? 生き残る可能性が高くなるかもしれないのに」

 だって、とミーシャは真っ直ぐに、ミーシャの光を見た。

「伯爵の特別になりたいもの。僕だけが」

 絶句した伯爵が、俄かに赤くなっていくのを眺めながらミーシャは目を丸くする。

「あれ、また恥ずかしい事言った?」

「……またって、なんだ」

「さっきカシミーアに、偶に恥ずかしい事言うって言われたとこ」

「ああ、言うな。偶にではない。割と、言う」

 伯爵は表情が緩むのを隠すように眉根を寄せると、口元を隠すように手のひらで覆い、つい、と視線を逸らした。

「伯爵は、割と照れるよね」

「お前がっ……いや、なんでもない」

 恥ずかしい事を言っているつもりはないが、照れる伯爵を眺めるのは悪くない。むしろ、気分が良い。自分が表情を変えさせたのだと、明確に分かるから。

「僕は選ばれたいんだよ。誰かの唯一になって、特別になって」

 ーーその先にどんな景色があるのかを、見てみたい。

 目を眩しそうに細めるミーシャを横目に見下ろす伯爵は、まだ少し照れ臭そうだ。

「やっぱり他に生贄はいらないよ。僕が、伯爵の唯一になってみせるんだから」

 顔を隠すようにして項垂れた伯爵は、くしゃりと前髪を掻き上げるようにしながら、恥ずかしい奴、と小さく呟いた。

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