『ごめんね。お姉ちゃん』

 それは、夕方にしては空が暗い、金曜日のことだった。

 偶然にも実家に忘れ物をしたことを思い出して、取りに行くついでに帰省しようとした矢先に、美優から電話がかかってきた。いつも生意気で、何かある度に反抗してくる妹にしては珍しく、嬉しさより先に嫌なモノを感じた。

『お願いがあるの、お姉ちゃんにしか頼めないこと』

「は? 急に何よ、藪から棒に。コスメなら貸さな──」

『陽太のこと、お願いできないかな』

 美優にしては、声音が優しく、生気が感じられない。

 嫌な予感が的中した。そう実感して、思わず歩を止めてしまう。

『陽太のこと解ってあげられるの、お姉ちゃんしかいないからさ。だから、もし何かあったらお願いできないかな?』

「ちょっと待ちなさい! 今どこにいるのよ!」

『もう……耐えられないの……』

 電話の向こうで、美優が嗚咽を漏らした。

『さっきね……彩日と陽太がね……キスしてるところを見ちゃったの』

「…………っ!」

『今まで嘘だって信じてた。陽太も違うって言ってくれてた。だけど……全部嘘だったみたいなの……』

「何を言うかと思えば……しゃんとなさい!」

 公衆の面前で、歩道の真ん中にいながら、あたしは電話の向こうへ叫んでいた。

「何度も言ってるでしょ! 陽太君が他の女と付き合うはずがない! それに、今まで彩日からの仕打ちを受けてきて解ってるでしょう? どうせまた、あの女の策略だって……」

『そうだとしても……もう耐え切れないよ』

 何が……何が耐え切れないって言うのよ。

 美優の言葉が、理解できなかった。陽太君に依存してるって、自分で言ってたじゃない。ここで諦めたらあの子自身も報われないし、陽太君だって……。

『お姉ちゃん……』

 覚悟を決めるように鼻をすすって、妹は静かに言った。

『今まで反抗ばかりして……ごめんなさい』

「美優」

『本当はお化粧のやり方教えてくれた時、凄く嬉しかった。もし知らないままだったら、もっと早く諦めてたかもしれない。お姉ちゃんはわたしにとって……命の恩人だよ』

「待ちなさい」

『今まで、本当に本当に……ありがとう』

「待ちなさいって! 陽太はあんたのことが──」

『……じゃあね』

『美優っ!』

 あたしの声が届くより先に、美優からの通話が途絶えた。

 その日を境に、美優のあの憎たらしい態度を見ることは……なくなった。


 美優の死体は、割と早く見つかった。

 生前と違ってお利口で、人形になりたがったあの子の理想像そのまんまで……。

 けど、感傷に浸っている場合ではなかった。此処に辿り着くまでに、あたしは一つの決断をしていた。

 親にもバレない形で、美優の未練を晴らそうって。

 元々、アポなしで自宅に行って、泊めてもらうつもりだったんだ。ここは美優に扮して、実家で計画を練ろう。そう思い、妹の制服を借用し、死体を茂みの中に隠した。恐らくあたしも犯罪者だろうな、なんて気まずくなりながら。

 驚くことに、親にはバレなかった。声のトーンを下げて、俯きながら家に入ったら、何とも言われない。逆にショックだったけど、今回は気にしないことにした。

 頬の痣はどうしよう。化粧で再現できても、水にかかれば簡単に消えてしまう。最悪、後で外出して自分で付ければいっか。顔の傷なんてこの際どうでもいい。妹の、復讐のためなんだから。

 そう意気込みながら、美優の化粧ポーチを取り出し、手鏡を床に置いた。懐かしい。中学の時、初めてあの子にお化粧のやり方を教えた後にお下がりとしてあげたやつだ。この子たちの最期の役目、あたしが代わりに担ってあげましょう。

 初心に返ったつもりで、あたしはお化粧という名の変装を、顔に施していく。

 そう、お化粧は……出来るだけ自然になることを意識する。

 派手にしすぎたら急にオバサンっぽくなっちゃうし、すぐ先生にばれて職員室行きだ。面倒事は嫌だし、息が臭いオッサンの説教なんか耐えられない。かと言って薄すぎるのも駄目だ。醜い自分の本性が浮き出てくるみたいで、気持ち悪くなっちゃうから。

 目指すは……そう、お人形さんだ。

 子供も大人もチヤホヤしてくれるような、可愛いだけのお人形さん。

 人形になり切ることで初めて、あたしは自分を肯定できる。

 ファンデーションで頬の色を調節し、ペンシルで眉毛を整えて、マスカラと薄めの口紅でおまけ程度のアクセントを付け加える。そうして一通りの工程を終えてから、手鏡で全体を見直していく。右に左に頬を傾けて、目を近づけて眉毛の長さを確認し、最後に唇をぱくぱくさせる。

 うん、だいじょうぶ。

 今日のあたしも、最高にかわいい。手鏡の中には、ついさっきまで映っていた『姫乃』はいない。代わりに、お人形さんみたいに肌がきれいな『美優』そのものと、鏡越しで目が合った。胸の中がみるみるうちに自尊心で満たされていく。

 ……何だか、美優の魂がそのまま、あたしに乗り移った気分だった。

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コスメチック 早河遼 @Hayakawa_majic

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