陽太に告白されてから、三日が経った金曜の放課後。

 いつものように一緒に通学路を進むわたしたちは、付き合う前よりもゆっくりとアスファルトを踏みしめた。まるで、一分一秒を大切に記憶するかのように。

「ついに明日、だよね? コラボカフェ」

「うん、そうだね。……まさか本当にカップルとして行くことになるなんて、夢にも思わなかったな」

 感慨深そうに空を見つめて、陽太は言った。

 それに関しては、わたしも同じ気持ちだった。

「あの時はどうやったら店員さんの目を欺けるか、滅茶苦茶考えたなぁ。本当に横に並んでるだけで気づかれないかなぁ、とか、いっそ手を繋いだ方がいいかなぁ、とか」

「もう……それは流石に気にしすぎだよっ」

 そう苦笑しながら、わたしは陽太の背中を軽く叩いた。

 でも、本当に告白する前から好きでいてくれたことを実感できて、幸せだった。

「でも……そんなに手繋ぎたいなら、明日繋いであげよっか」

「え、いいの?」

「というか、帰りの時だって別に繋いでもよかったのに」

「そ、それはまあ……緊張して、というか……」

「ええ、何でよぉ。告ってくれた時は、あんなに堂々としてたのにぃ」

「い、いや。あれはぁ……その、流れで、と言いますか」

 しどろもどろになる陽太を揶揄うのが楽しくて、わたしはついケラケラと笑ってしまう。

 想いを共有することの、幸福。

 でも、やっぱり幸せな時間というのは過ぎ去っていくのが早いもので、気がつけば陽太の家の前に辿り着いていた。見慣れた一軒家を目にした途端、胸がキュッとして痛くなる。もう陽太を盗られる心配はないと言うのに、不安と切なさが入り混じって、苦しくなる。付き合う前よりもずっと、苦しかった。

「それじゃあ、また明日」

「うん、また明日」

 陽太はわたしに手を振ると、そのまま真っ直ぐと自宅の扉へ向かっていく。徐々に離れていく二人の距離。心は通じ合っているはずなのに、明日また会えるはずなのに、もう二度と会えなくなるかのように、寂しい。

 待って──そう呼び止めようとした途端。

 扉の取っ手に手をかけた陽太が、不意に振り返った。

「あのさ」

 そう言いかけながらも、照れくさそうに目を逸らして、頬をかいていた。

「この後さ、もし良かったら……電話で話さない?」

「……えっ?」

「その……明日のことについて、念入りに話し合いたいじゃん? だから、家に着いた後も話したいなあ、なんて思ってたんだけど……どうかな」

 ああ……もう、本当に。

 この三日間は、「嬉しい」で満ち溢れている。

 わたしなんかが許されるのかなって疑うほどに、幸福に包まれていた。

「うん……うん! もちろん! 正直まだまだ話し足りなかったところだし、家着いたらすぐ連絡するね!」

「本当? 嬉しいなぁ。それじゃあ、待ってるね」

 今度こそ満面の笑みを浮かべて、陽太は家の中に入っていった。

 憂鬱に感じるはずだった家までの道程が、まるで希望の光に照らされているかのように見えた。

 わたしは、いつもより早足で、何ならスキップに近い感じで家に向かった。ふと横を見ると、崖の向こうで建物の群れが橙色に染まっていた。此処の景色って、こんなに綺麗だったんだ。いつも下ばかり見ていたから、全然気づかなかった。

 あれ、でもどうだろう。

 もしかしたら一回だけ、この景色を見たことがあるかもしれない。いつだっただろうか。たしか雨が降っていて、夕方にしては空が暗い日で、それで……。


 ──ごめんね。○○ちゃん。


 ……突如、衝撃が走った。

 横腹を思い切り蹴られたかのような感覚。痛み。間髪入れずに、右腕が何かに激突する。ガードレールだった。その先に目を向けると、支えるものなど何もない奈落の底。ガードレールがなかったら、さっきまで見惚れていた橙色の景色に放り込まれるところだった。

 何が、起きたんだろう。

 それを理解するより先に、胸ぐらを掴まれた。

 ようやく頭が整理された。さっきは文字通り横腹を蹴られて、崖下に落とされそうになったこと。その相手が……わたしのことをよく思わない人物であること。

 実際、目の前で睨みつけてくる彼女の両目は……黒い炎を宿していた。

「ねえ……アタシ言ったわよね? ねえ!」

 臭い唾を撒き散らしながら、彼女は……彩日は怒鳴った。

 今までとは比べ物にならない鬼の形相をして、わたしの目をじっと見据えた。

「もう二度と陽太に近づくなって……二度とアタシに関わるなって、再三伝えたはずよ⁉」

「…………」

「どこまでアンタは馬鹿なの? 脳味噌腐ってんの? 殺してやるって忠告しといたのに……アンタはそれを無視するどころか、陽太を奪いまでした! ホントにアンタは何なのよ! そんなにアタシを侮辱したいの? そんなにアタシを怒らせたいの? そんなにアタシに殺されたいの⁉」

 ……ああ。

「いいわ……そんなにお望みになら今すぐ殺してあげる。ここで殺せば『助けようとしただけ』だって言い訳できるし」

 ……そうだった。

「というか、もっと早い段階でアンタを始末すべきだった。アンタと陽太が幼馴染だってことは知ってたわけだし? 元から陽太の周りでウジウジしてて気に食わなかったところだったし?」

 ……陽太君との一件で、完全に忘れるところだった。

「昔っからアンタがうざくて仕方なかった。アタシと陽太が繋がるための邪魔者でしかなかった。あの時だって、陽太が見放すぐらい醜くしてあげようと思って痣をつけてやったのに……それでも寄生虫みたいに取りつきやがって!」

 ……ホント、化粧って怖いわ。

 ちゃんと意識を保たないと、呑み込まれちゃう。

「もう覚悟は決まったでしょ? それじゃあさっさと……って何よ急に」

 わたしは『スマホ』を取り出して、彩日に突き付けた。

 しばらくその画面に見入っていた彼女は一呼吸遅れて内容を理解し……。

「ひっ…………!」

 物凄い形相で、後ろに飛び退いた。

 ようやく身体が自由になったわたしはその場にゆらりと立ち上がって、彩日を見据える。

「ちょっ……それ……!」

「この前みたいに壊しても無駄だよ。もう既に……警察に突き付けた後だから」

 彩日の顔が、面白いぐらいに歪んだ。

「今頃、家宅捜索中だろうね。あんたの取り巻き二人も、ちょっと危ないかも」

「な……脅しても無駄よ! 大体ねぇ、あの時あんたの携帯は粉々に──」

「ああ、そうね。確かにあれは……あたしの携帯だった。でも、正確に言うと違う」

「はぁ? 何をごちゃごちゃと……」

「あれはあたしの携帯だけど、『美優』の携帯じゃない。実際、『美優』の携帯はここにあるわけだし?」

 そう説明して、指で摘まんでひらひらと一台のスマホを見せつけた。

 でも流石に、彩日は納得していない様子だった。

「はあ? バッカじゃないの? あたしの携帯じゃないって、あんたは美優でしょ? 何がいいたいのよ。単純にスマホが二台あったってことじゃ……」

「あはははは! あんたの方が大馬鹿よ!」

 まさか、こんな簡単に騙せるなんて夢にも思ってなかった。

 あまりにも清々しくて、この場で絶叫したい気分だった。

「まさか『背丈が同じ』っていう唯一の共通点が、こんなところで役立つなんて!」

「は……アンタ、何を言って……」

「お陰であんたが『あたし』のことをどう思ってるのか、本音を聞くことができたわ! 練習メニューが退屈なのはごめんなさいね? でも、何処行っても運動部ってこんな感じよ? あ、怠けてるだけだからわからないわよね! ごめんなさい?」

「練習メニュー……っ⁉ アンタ、まさか……」

「あら、やっと気づいてもらえた?」

 段々と演技が剥がれ落ちていくことに開放感を覚えつつ、あたしは彩日に笑いかけた。

 嘲るように……そして見下すように。

「お久しぶりね、彩日。あたしの名前は『姫乃』。あんたのせいで自殺した美優の無念を、晴らしに来たの!」

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