第24話

繰り返される毎日


 私は目が覚めて、身の周りの用意をして、すぐに家を出た。コトちゃんの家に向かう。いつも仕事があるから向かうのだけど、どうしても今すぐに会いたくなった。


 夢の中ではものすごく現実感があったけれど、時間が経てば経つほど、ぼやけていく。急いで向かう途中で、朝早すぎるかなと思ってパン屋に寄って、朝食のパンを買う。私も朝ごはんを食べていなかった。


 マンションについて、インターフォンを鳴らすと驚いた川上さんがすぐに開けてくれた。エレベーターで上がると、玄関を開けて待っていてくれる。


「どうしました? こんな朝早くに…」と川上さんが心配してくれる。


「あ、えっと。パン買ってきました。ごめんなさい。迷惑なのに」


「いえ。いいんですけど…」と受け取りながら困惑した顔になる。


 それはそうだ。まだ七時を過ぎたところだったから。


「聖ちゃん? おはよう」とパジャマを着たままのコトちゃんが顔をのぞかせた。


 薄っすらぼやけていた輪郭が濃くなって夢で見た琴さんと重なった。


「おはよう」と言いながら、私は涙が零れそうになる。


 川上さんがパンを買ってきてくれた、とコトちゃんに言うから、コトちゃんは喜んで玄関まで来た。


「聖ちゃん、ありがとう」


 かわいらしい笑顔を見て、私は思わず抱きしめた。


(良かった)とも、


(ごめんなさい)とも、


(ありがとう)とも違う、なんとも言えない気持ちが溢れてくる。


「おはよう」と言いながら、腕の中の小さなぬくもりを感じる。


「わーい、聖ちゃん、大好き」


「私も…。大好き」


 コトちゃんが自分の前世を思い出す日はきっとこないだろう。私はそれでいいと思う。今の時間を自分なりに楽しめられたら、それでいいと思った。


「聖ちゃん?」


 ずっとぎゅーっとしているから、コトちゃんが不思議そうに私の名前を呼んだ。


「あ…えっと。一緒に、旅行行こう?」


「え?」とコトちゃんが驚いて、体を離した。


 川上さんには申し訳ないけれど、コトちゃんを置いていく気持ちにどうしてもなれなかった。


「やれやれ。本当に聖さんはコトが大好きなんですね」と呆れたような声が聞こえる。


「パパ…」とコトちゃんも申し訳なさそうな声を出す。


「もちろん、僕も大好きな二人と旅行は嬉しいよ」と笑いながら言ってくれた。


 私はほっとして川上さんを見上げる。本当に優しい人だなぁと思いながら。


「でも…ほっとしました。朝早くから突然来るから、急な別れ話かと思った…」と安堵のため息を深く吐く。


 前世で会っていたのかは分からないけれど、私はこの人と一緒にコトちゃんを見守っていきたいと思った。


「そんなわけないじゃないですか。ずっと一緒です」と私は言った。


「やったー」とコトちゃんが喜んでもう一度私に抱き着いてくる。


 賑やかな朝のスタートだった。




 私とコトちゃんは旅行のお土産を持って、十子さんの家に遊びに来ている。相変わらず光君hがコトちゃんにべったりくっついているけれど、灯君は気にせずゲームをしていた。


 結婚式といっても本当に家族と友人数人呼ぶというこじんまりした式だけど、光君と灯君とコトちゃんにブライズメイドをしてもらうことにしている。だから十子さんも出席してもらうことになった。


 私はお茶を入れてくれた十子さんに前世の夢を話した。


「でも…なんか時間が経ってきて…そういうのもぼんやりしてきて、本当か嘘かも分かんなくなって…」


「そうですね。まぁ、そういう物語があったのかもしれないですね。でもあったとしたら素敵ですね」と十子さんは微笑んだ。


「…コトちゃんが本当に大好きで…」と言うと十子さんは「じゃあ、光のライバルですね」と笑った。


「光君だったらいいです」


 将来、光君と結婚するかは分からないけれど、コトちゃんが産む子供を私も大切にしようと思った。


「あら。じゃあ、親戚になりますね」とまた十子さんがにっこり笑った。


「ほんとだ」と私も何だかおかしくなって笑う。


 灯君がトラちゃんを連れてこっちに来た。


「喉乾いたから、お茶飲んでいい?」と言って、椅子に座る。


 十子さんが台所でお茶を用意しに行った。


 トラちゃんがにゃーと鳴くから、座っていた椅子に載せて、灯君は戸棚からチュールを出す。灯君がそれトラちゃんに食べさせながら、


「トラが…兵隊さん、笑ってるって」と灯君が私に言った。


「笑ってるの?」


「うん。にこにこしてる」


「そっか。良かった」


「また会えるかな」


 灯君は少し考えて、頷いた。


「ありがとう。いつか会える日まで元気でって」


 私は灯君を見たけれど、表情が少しも変わらないままそう言ってくれた。


「そっか…。元気で頑張る」


 灯君がふっと柔らかく微笑んだ。


「聖ちゃんはもう幽霊見えなくなるよ」


「え? どうして?」


「もういらないから。それと…タバコはもう吸わなくていいよ」


 私は驚いて、灯君を見た。


「見えないから?」


「うん、そう」とこともなく言った。


「…灯君は…もちろん駄目だけど、タバコとか吸えないから困らない?」


「困らないよ。だって、パチンってできるし」


 そこに十子さんがアイスティを持って来た。


「あ、トラちゃんにおやつ上げてるの?」


「うん。ちょっと能力使ったから頂戴って」


 私は分からなくて十子さんの顔を見た。


「トラちゃんの特殊能力があるんだけど、私は…トラちゃんの言葉が分からなくて。夢に出て来る時は話せるんだけど…。灯と光はトラちゃんが何言ってるか分かるみたいで」


「最近、光は分んないって」


「え? そうなの」と十子さんが驚く。


「うん。なんか…コトちゃんに夢中だからか、分かんないし、幽霊も見えないって」


「じゃあ、灯も恋したら見えなくなるかな?」と十子さんは言う。


「うーん。どうかなぁ。恋って…難しいよ。いろいろ見えると」と冷静に言う。


「あー、それは分かる」と私は相槌を打った。


「まあ…そうかもね」と十子さんも同意した。


「だから光がコトちゃんに惹かれたのも分かる気がする。あの子、本当に綺麗だから」


 灯君が言う綺麗は容姿だけじゃない気がする。


「うん。可愛いでしょ?」と私が言うと「光と同じこと言う」と笑った。


「えー、そうかな」と私も笑って、十子さんも笑う。


 みんなが笑っているから、ゲームしていた二人もこっちに来た。タイミングよくアイスを買いに行ってくれていた中崎さんも帰ってくる。


「わー」と子供たちみんなで中崎さんを出迎えている。


「旦那様、人気者ですね」と私が言うと、十子さんは素直に「はい」と言う。


 私は恋愛をすることもなかったから、この幸せな家族をお手本にさせてもらおうと思った。


 みんなで仲良く楽しい時間を過ごしながら、これが当たり前であることが本当に奇跡だと感じていた。





 帰り道、私とコトちゃんは手をつないで空を見上げながら帰った。


「聖ちゃん。私、空を見上げると安心するの」とコトちゃんが言った。


「空?」


「うん。だって、お母さんと離れた時も淋しかったけど、同じ空を見てるかなって思えるし、遠くにいる人も同じ空だなって思えたから」


「そっか」


「でも聖ちゃんが近くにいてくれるようになって、空を見る時間が少なくなって、久しぶりだなぁって思った」


「空見るの?」


「うん。空見ると安心もしたけど、ちょっと淋しくて…」


「うん。分かる」


「でも聖ちゃんのおかげで淋しくない」


 ぎゅっと手を握った。


「私も」


「へへへ。光君が結婚しようって言うんだけど、私も早く結婚したいって思ってるけど、聖ちゃんと離れるの淋しい」


「えー。私も淋しい」


「みんなで暮らせたらいいのにねぇ」とコトちゃんはそう言って私を見た。


「うん。そうねぇ。でもしばらくは一緒だから」


 可愛い笑顔を見ながら、だんだん大人になっていくコトちゃんを私は側で見ていられる。


「入学式は聖ちゃん来てね」


「うん。楽しみ」


「でもその前に聖ちゃんとパパの結婚式があるでしょ?」


「あ、そうだった。緊張しちゃう」


「そうなの? 楽しみじゃないの?」


「楽しみと緊張と…」と言うと、コトちゃんが「大丈夫」と言ってくれる。


 そんなことを話しながら帰ると、川上さんがハンバーグを作ってくれて待っていてくれた。あの大きなハンバーグをコトちゃんも食べきれるようになっていた。二人で手を洗っていると、コトちゃんが突然言った。


「…ねぇ、ママって言ってもいい?」


「え? 言ってくれるの?」と私は感動して動けなくなる。


「ちょっと恥ずかしいけど、言ってみたかったの」


「嬉しい」と泡のついたままの手を顔に当ててしまった。


「もう、聖ちゃん、あ、違った。ママ」と言ってくれて、ティッシュで顔の泡を拭きとってくれる。


 思わず涙が零れてしまった。


「思ってた以上に…嬉しくて」


 私たちがなかなか来ないから、川上さんが心配して見に来た。


「え? どう…したの?」


「ママが…」


「え? ママ?」と川上さんも驚く。


「そう。ママって言ってくれたのー」と私は泣きじゃくってしまった。


「もう、そんなに泣いちゃうんだったら呼べないよー」とコトちゃんも泣き出す。


 二人とも泣いているから、川上さんが困って、取り合えず、私の手の泡を水で流してくれた。


「ご飯冷めるから。ママも、コトも早くおいで」


 ママと呼ばれたことが本当に嬉しくて、その日のハンバーグは一層大きく見えた。夜のマンションの一室で、家族で囲むテーブルが本当に温かくて幸せだった。


「私と結婚してくれて、家族にしてくれてありがとうございます」と二人に言うと、二人が慌てた。


「…っていうか、僕の方こそ、本当に感謝してて」


「私も」とコトちゃんも慌てて言う。


 素敵な家族になりたいと思った。


「ハンバーグ食べよう。冷めてきたよ」


「わー、美味しそう」


 そんな優しい二人を見て、幸せになる。ベランダ越しに見える月が高く昇っている。繰り返されるその景色がずっと続きますように。美味しいハンバーグを食べながら、そう祈った。




           ~終わり~

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セピアの星 かにりよ @caniliyo

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