待たない
須藤美保
第1話
ふと目覚めると知らない、見た事がない天井と取り付けてある丸い照明が目に入った。
大きなベッドに、一人で寝ていた。服は、記憶している物をきちんと着ている。どうして知らない所で寝ているのか、思いだそうとしても、なんだかモヤがかかったように思い出せない。頭痛がする。これが二日酔いなんだろうか。いや、間違いなく二日酔いだ。こんな事は初めてだった。
シーツからほのかに漂う柔軟剤の香りも、気になるくらいに頭痛がする。
横たわったベッドから起き上がると、左手で、少しこめかみを押しながら、窓の外を見た。
右手にしていた腕時計を見ると、5時過ぎだった。アナログの時計だったし、空が薄暗くて、今が朝か夕方かもわからないような冬の風景。
何階くらいだろうと思いながら、窓の反対を見ると、木目調のドアがあった。
部屋を見渡しても家具がひとつもなかった。
ひとつ、ため息をついて、さあ、どうしようかと思った瞬間、木目調のドアが開いた。
「目、覚めた?」
知らない男性だった。
日本人離れした顔立ちの彼は、右手に透明の液体と氷が入ったグラスを持っていた。
何歳くらいだろう?そんな事を思いながら、
「すみません、ここはあなたの部屋ですか?」
と聞いた。
「もしかして、覚えてないの?」
「はい」
「あはは」
彼は、小さく笑った。目尻にシワが出来ていた。
「紺野さんの店のカウンターで、隣で飲んでた、大東克(まさる)です」
と言いながら、グラスを私に、差し出した。
「お水、飲んだ方がいいよ。頭痛い?」
「はい」
グラスを受け取り、ごくごく飲んだ。冷たくて美味しかった。
「全然起きないから、心配してたよ」
「じゃあ、夕方ですか?」
「うん。12時間近く寝てるね」
大東と名乗る彼は、また目尻にシワが出来ていた。
「すみません。あ、私、工藤伊織です」
「知ってる。今日は休みだって言ってたから起こさなかったよ、全然起きなくてどうしようかと思ったけど」
今まで側に立っていた大東さんが、ベッドに腰掛けた。
「あの…」
「あ、僕はソファーで寝てたよ。僕ら、何もなかった」
大東さんは、たんたんと話した。私は、赤面していたと思う。
「ごめんね。お持ち帰りしちゃって」
ちっとも、申し訳なさそうな感じがなかった。
「家に帰れないって言うから、うち来る?って聞いたら、頷くんだもん」
そう、同棲していた彼氏が、浮気していたとわかって、家を飛び出したんだった。
「理由も言ってましたか?」
「うん。一緒に住んでる彼氏の浮気でしょ?凄い勢いで飲んでた」
私は、深いため息をつくと、
「ホントすみません」
深々と頭を下げると、
「僕も美容師。かなりディスられた」
と大東さんは、笑いながら言った。
「ホントすみません」
言葉がなかった。彼氏は、美容師だった。 そんな事まで、話していたとは。
「でも、美容師が好きって言ってたよ」
「どこまで知ってますか?」
彼氏の事を話そうと、身を乗り出すと、
「部屋、余ってるから、うちに来てもいいよ」
と大東さんが、言った。
「え?」
私は、相当キョトンとしていたと思う。
「そんなサイテー彼氏と別れてうちにおいで」
「え?夢ですか?」
頭痛が、治まる程驚いた。
「いや、現実。家に帰れないって、泣いてた」
「そんな、いいんですか?」
「かまわないよ、これから一緒に、荷物取りに行こうか?車出すよ」
「え?ホントにいいんですか?」
「うん。行こう、近いし」
「そんな、家の住所まで、話してましたか…」
「色々、伊織ちゃんの事知ってるよ。あ、でもまず、顔洗っておいで」
大東さんが、洗面所に案内してくれた。
「メイク落とし無いけど、洗った方がいいよね」
鏡に映る自分の顔に、唖然とした。泣き過ぎたんだろう、瞼が腫れてアイメイクが落ちてクマのようになっていた。酷い顔だ。
「大東さん、よく笑わずに話してましたね」
鏡越しに言うと、
「どうして?」
「こんな酷い顔見て」
「伊織ちゃん、可愛いから、平気だったよ」
私にタオルを渡しながら言った。
「嘘。ありがとうございます」
そのタオルからは、シーツと同じ柔軟剤の香りがした。
すっぴんになった私は、同棲中の彼氏との事を思い出していた。二股どころではなく、複数人と付き合っているようだった。
一緒に暮らしていて、何故今までわからなかったんだろうと思った。うちには、毎日、遅くなっても帰ってきていたからだ。
何故わかったかというと、昨日、家に帰ると、ソファーで彼氏がスマホをお腹の上に乗せて寝ていた。そこにLINEの通知が続々と来たのが見えた。
それぞれ違う女の名前で、『うちに、いつ来る?』『明日、何時に会える?』『彼女に見つからないようにね』『いつものホテルで』最低でも、4人から来たのを目の当たりにした。
私は、彼氏のスマホを取り上げ、思いっきり床に叩きつけた。画面にヒビが入るのが見えた。
その音で、彼氏が目覚め、
「何してるの?」
と焦点の合わない瞳で、私を見つめた。
「私以外に何人と付き合ってるの?」
私は、冷静に問いただした。
彼氏は、私の顔を見つめて、
「何言ってるの?」
と、とぼけてみせた。
「スマホ見えた、言い訳しても、許さないから」
「ちょっと待ってよ」
彼氏は、私が怒った事に驚いているようだった。
「待たない、バイバイ」
家に帰って、数分で、また家を出た。
そして、紺野さんの店に行ったのだ。
紺野さんの店は、『stella』という名前で、昼はカフェ、夜はバーになるお店だった。店名の通り、あちこちに星の装飾が、されている。
学生時代には、昼に友達と通っていた。初めて訪れた時から、紺野さんは優しくて、私達を覚えてくれて、常連になった。成人してからは、夜通うようになった。
私は、アルコールに強いようだったが、記憶を無くす程飲んだ事は、初めてだった。
「紺野さん、私明日休みなので、とことん飲みます!強いお酒ください!ロングアイランドアイスティーとか」
stellaに入ってすぐ、カウンターの中にいる紺野さんに言った。
「伊織ちゃん、どうした?」
「あのバカ彼氏、浮気してました。許せない」
「あー、美容師の?」
「はい。やっぱり、3Bはやめた方がいいですね」
付き合わない方がいい、男性の職業。美容師、バーテンダー、バンドマン。
私は、カウンターに座った。私の他には、カウンターには、お客さんはいなかった。
「それって、僕も入ってる?」
紺野さんは、自分を指差し言った。
「あ、そうだった。紺野さんは、バリスタ?」
「結局Bじゃん」
と笑いながら、飲みやすそうなカクテルを作って、私に差し出した。
「いただきます。美味しい」
「何でも聞くから、彼氏の事。言っちゃってすっきりする事もあるだろうから」
「ありがとうございます。とりあえず酔いたいです」
紺野さんに、家に帰った時の事を話した。
「確かめたの?」
「ううん。言い訳聞いても、許せないから」
私は、飲んでいたカクテルを飲み干し、紺野さんに2杯目を要求した。
5杯目くらいまでは、覚えていた。その後どうなったのかは、全く覚えていない。
大東さんの部屋のリビングに移動すると、私のバッグとコートが、ソファーに置かれていた。自分のスマホを見ると、電池が切れていた。大東さんに言って、充電させてもらうと、彼氏からの着信が、ずらりと並んでいて、LINEも何件もメッセージが入っていたが、無視した。読む気にもならない。それくらい、腹が立っていた。そして、スマホを充電したまま、
「今の時間なら、まだ多分働いていると思います。いないうちに荷物取ってきます」
と言った。
「行こうか」
「はい」
大東さんの部屋は、4階建てのマンションの4階だった。
エレベーターを降りると、大東さんのSUVに乗せてもらい、アパートに向かった。
私の住むアパートは、元々彼氏が住んでいたところで、私が実家から、転がり込んだ。なので、荷物は、少ないと思う。
付き合い始めて2年、一緒に暮らして、1年半くらいだった。
通ってる美容室の美容師だった彼氏(達哉)は、私の担当ではなかった。
ある日、いつものように美容室に行ってカットが終わり、会計をしてお店を出ようとした時に、達哉から、名刺を渡された。
そこには、『川村達哉』と書いてあり、手書きで、電話番号が書いてあった。
「工藤さん、良かったら連絡先、交換して」
ドアをおさえながら、首を傾げて、達哉は、話しかけてきた。
「え?」
私は、無防備な顔をしていたと思う。
「お昼でも食べながら、話さない?」
ちょうど、お昼時だった。
「行こう行こう」
と、半ば強引に名刺を持った右手を引かれ、お店を後にした。
「ちょっと待って」
私の声も無視し、あっという間に、隣のビルのカフェに入っていった。
店内に入ると、店員に、
「二人」
と、言って席に案内された。
私を席につかせると、達哉は向かいの席につき、
「工藤さん、ずっと前から、好きでした」
と、言い出した。
「え?」
急な告白で、どうしていいかわからなくなる私に、
「お試しで良いから、付き合ってみない?」
と言われた。
「お試しって…」
達哉は、失敗したという感じの顔で、
「いや、本気で、付き合いたいと思ってるよ。急に言われて、すぐは決められないだろうから、って意味」
と言った。
「友達からって事?」
「うーん、男として見てほしいから、友達は無し」
「急に、こんな一方的に言われても、困る」
「とりあえず、ご飯頼もうか」
達哉は、私にメニューを渡しながら言った。
ランチセットを二つ頼むと、先にアイスコーヒーが運ばれて来た。
私は、うつむいたまま、この状況をどう対処したらいいか考えていた。
当時、彼氏は居なかったし、気になる人も居なかった。
「あんまり深く考えないで、あちこち行ったりしようよ、デート」
達哉は、自信ありげに、アイスコーヒーを飲みながら言った。
「なんで私?」
私は、顔を上げて言うと、
「え?タイプだから」
「性格悪いかもよ」
「わかるよ、カットされてるとこ、見てたし」
「彼氏居るかもしれないのに?」
「あ、ごめん。彼氏いるの?」
達哉は、ちょっと申し訳なさそうな顔で言った。
「今、居ないけど」
「じゃあ、問題なしだよね」
「もう、こんな強引な事しない?」
「もちろん。俺としては今日、工藤さんの予約入ってたから、お昼誘おうと計画してたんだけど」
「そうなんだ」
私は、ストローをアイスコーヒーのグラスにさしながら言った。
「別に急な告白じゃなくて、前から、気になってたから。なかなか伝えるタイミングがなくて」
「わかった」
「彼女になってくれる前提で、デートしてくれる?」
「わかった」
私は、頷いた。
「じゃあ、伊織ちゃんって、呼んでいい?達哉って、呼んで」
これが、私たちの出会いだった。
「伊織ちゃんって、学生じゃないよね?いくつ?働いてるよね?」
食事をしながら達哉が聞いてきた。
「22。本屋で、働いてる」
「3個下か。いいな、俺本読むの好きだよ」
「私も好き」
「じゃあ、デートは、どこ行こうか」
達哉は、モグモグ食べながら言った。
少年のようだった。その雰囲気が面白くて、私は、笑った。
「何?」
「3個上に見えない」
「俺?」
「無邪気な感じ」
「好きになりそう?」
「まだ、わかんないよ」
「大丈夫。きっと、好きになるよ」
達哉は、色が白くて、瞳の色も薄くて繊細な雰囲気を持つ人だった。指が長くてきれいだなと思っていた。
「伊織ちゃん、手もキレイだね」
「そうかな?」
「この後は?」
「1時から仕事」
「え?やっぱ声かけて良かった。連絡先教えて」
私たちは、スマホを出して、連絡先を交換した。
私たちは、なかなか、仕事の休みが合わなく、もっぱら、夜、Stellaで会った。
達哉は、紺野さんとも仲良くなって、常連の仲間入りをした。
デートとして、映画に行けたのは、カフェで食事してから、1ヶ月くらい経った頃だった。単館系のフランス映画を観に行った。
その日の帰り、達哉の部屋に初めて行った。私の実家から、歩いて20分くらいのところに達哉は住んでいた。
鍋をして食べようと言われ、もう、用意はしてあると言っていた。
達哉の部屋に着くと、
「さあ、上がって。今準備するから」
部屋の中央のテーブルにカセットコンロが置いてあった。
そのテーブルの横に座ると、達哉がキッチンから鍋を持ってきた。
「あ、キムチ鍋にしたんだけど、辛いの大丈夫?嫌いな食べ物ある?」
「あんまり無いよ、鰻くらい。辛いの好き」
「鍋で鰻は、あんま聞いた事ないな?」
達哉が、言いながら、カセットコンロのスイッチを入れた。
「ビール飲む?」
達哉に聞かれて、
「今日はいい」
と私は答えた。
「じゃあ、俺もいいや」
鍋をはさんで、向かい合わせに座った。
私は、少し緊張していた。
鍋から湯気が上がって、達哉が蓋を開けた。美味しそうだった。
「食べよう」
達哉は言うと、私の器に具材をよそってくれた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
達哉が、
「味どう?」
と聞いてきたので、
「美味しい」
と答えると、
「良かった」
と言って微笑んだ。
「映画、意味わかった?」
達哉が、私に聞いてきた。
「あんまり。フランス映画って、難しい」
「俺、ジョン・ウィックとか好きで」
「私も、結構好き。アジョシとか」
「アジョシ!懐かしい。今度はアクション映画、観に行こう」
「うん」
しばらく映画の話で、盛り上がった。
「シメは、うどんと雑炊どっちがいい?」
「うどんがいい」
達哉は冷蔵庫から、うどんを出すと鍋に入れた。
「どう?俺とデートしてみて」
達哉が、いつもより真面目な顔で聞いてきた。
「楽しいよ」
「じゃあ、付き合おうよ」
「うん。いいよ」
私が、あっさり言ったので、
「いいの?」
と達哉は、聞き返した。
「いいよ」
私は、もう一度言った。
「じゃあ、キスしてもいい?」
「いいよ…」
よをいう前に、達哉にキスされた。
食事を終えると、二人で片付けをして終わると、達哉は、私を家まで送ってくれた。
「またね」
と言って、手を振って帰って行った。
それからは、達哉の部屋で会う事が多かった。
二人が好きな映画をDVDで観たり、好きな音楽を共有して聴いたり、二人で料理をしたり、達哉は、私にとって居心地の良い存在になっていった。
半年くらい経って、あまりにも達哉の部屋にいる事が多いので、私が引っ越してきて一緒に暮らす事にした。
達哉を両親に会わせると、あっけなくOKが出た。父と妙に相性が良かった事が大きかった。意気投合して、その日は、相当父と飲み、実家に泊まった。
逆に母は、心配していた。
「お父さんが、いいみたいだから許すけど、伊織大丈夫?」
母に聞かれた。
「お母さんは、達哉嫌い?」
「まだ会ったばかりだからわからないけど、いい人そうだけど…」
と母は言葉を濁した。
「私が心配?」
「当たり前でしょ。いつでも帰ってきなさい」
と母は言った。
でも、そんなに簡単には帰ってこれないなと思っていた。
大東さんは、仕事を休んでくれたらしい。申し訳ない事をしたと思っていた。
車を出してくれて、私のアパートに着くと、やはり達哉は居なかった。
大東さんは、車で待っていた。
スーツケースに、衣類や化粧品など必要そうな物を詰め込み、部屋の鍵を閉めると、ドアポストに、鍵を入れた。もう、戻るつもりはなかった。それくらい達哉には、がっかりしていた。
「荷物、それだけ?」
大東さんに聞かれた。
「あとは、捨ててもいいです」
「伊織ちゃん、男前だな」
大東さんが言い、車を発車させた。
「もう、戻るつもりはないので」
私が言うと、
「相当お怒りのようだけど、彼の言い訳も聞いてみたら?」
「いいんです。もうバイバイしたし」
「誤解があるかもしれないよ?」
「もう、Stellaも行けなくなっちゃうな」
と言いながら、急に悲しくなり、涙が溢れてきた。それに気付いた大東さんに、
「彼氏の事、まだ好きでしょう?」
と言われた。
「わからないです」
私は、指で涙を拭きながら、正直に言った。
「少し距離を置いてもいいか…」
大東さんは、独り言のように言った。
「あ、大東さん私、自分の事ばっかりで、勢いで、甘えてましたけど、大東さんは彼女とか居ないんですか?」
「居ない。おまけに×2。離婚したばっかりだよ」
「そうなんですか?」
「昨日も聞かれたんだけど、本当に覚えてないんだね」
と笑った。
「すみません」
私は、頭を下げた。
「いやいいよ。なんでも聞いて」
と言うと、大東さんのマンションに着いた。
大東さんが、玄関に入ってすぐ横のドアを開けると、
「少し物あるけど、ここ使っていいから」
と言った。
「ありがとうございます」
私は、ペコリと頭を下げ、スーツケースをその部屋に入れると、大東さんが、
「お腹空いたよね、なんか食べに行こうか。中華でいい?」
と、言った。
「あ、はい」
私は言うと、
「近いから、歩いて行こう」
と、大東さんが言った。
大東さんについて行くと、信号2つくらい歩いたところの中華料理店にたどり着いた。
大東さんが、酢豚の定食を頼んだので、私も同じ物を頼んだ。
「ここの酢豚、絶品だよ」
と大東さんが言ったので、
「楽しみ」
と私は言った。
酢豚の定食が運ばれてきて、二人で食べた。本当に美味しかった。
「美味しいです」
私が笑顔で言うと、
「伊織ちゃん、やっと笑った」
と、大東さんが言った。
「すみません」
私が言うと、
「伊織ちゃん、もう謝らなくていいよ」
と大東さんが言った。
「はい、ごめんなさい」
私が、頭を下げると、
「ほら、また」
「あ。大東さんには、感謝してます」
と、私はもう一度、頭を下げた。
「伊織ちゃん、もう俺の娘だと思ってるから、気にするな」
「娘って…」
「それくらい年が離れてるって事。うちにいつまでも居ていいけど、実家でも彼氏のとこでも、いつでも帰っていいからね」
大東さんが言った。
「どっちも帰れないです」
私は言った。
食事が終わると、大東さんがご馳走してくれた。
「ごちそうさまでした」
私は言うと、
「どういたしまして」
と大東さんが笑った。
大東さんのマンションの部屋に着き、貸してもらった部屋に入って、充電していた自分のスマホを見ると、実家からも着信があり、LINEも母から来ていた。
まず、達哉のLINEをブロックして、電話も着信拒否にして、母からのLINEのメッセージを見た。
『川村くんが、伊織を探してる』
『連絡ちょうだい』
『どこにいるの?』
と来ていた。
電話だと、泣きそうだったので、
『友達の家に居ます。達哉とは別れました。心配しないでください』
と母にLINEのメッセージを送り、電源を切った。
ドアがノックされて、
「伊織ちゃんいい?」
と大東さんが布団を持ってきてくれた。
「あと、うちの鍵」
と言って、鍵を渡してくれた。
「ありがとうございます」
私が、受け取ると、
「お風呂使っていいよ」
と言われたので、
「バスタオル、貸してもらっていいですか?」
と聞いた。
「なんでも使って、いいよ」
と言われた。
シャワーを浴びて、髪を乾かして洗面所を出ようとすると、ドア越しに大東さんが、
「入ってもいい?歯みがき」
と言ったので、私はドアを開け、
「どうぞ」
と言った。
「大東さんって、おいくつなんですか?」
私が聞くと、
「44」
と言った。
「じゃあ私、二十歳の時の子だ」
「そうそう」
「あ、実のお子さんは?」
「居ない」
「そうなんですね」
少し間があって、
「冷蔵庫とか、自由に使っていいから」
と大東さんが言った。
「はい、ありがとうございます」
「自分の家だと、思っていいよ」
私は、少し考えて、
「あの私、どうしたらいいですか?家賃とか、生活費とか」
と聞いた。
「どうしようかな?考えておく」
「わかりました」
そして、私も一緒に、歯みがきをした。
私は、貸してもらった部屋に入ると、布団を敷いて潜った。
大東さんに甘えてしまったけど、これからどうしようかと考えていた。
実家に帰るのが、一番だと思ったが、なんとなく帰りづらい。
電源を切ったまま充電している、スマホを見つめた。
達哉のバカ。
全部あいつのせいだ。
枕を口にあてて、
「あー!」
っと、小さく叫んだ。
明日起きるためのアラームをかけようと、スマホの電源を入れた。9時から仕事だ。
画面が立ち上がった瞬間、電話が鳴った。実家からだった。音量を0にして、無視した。
次は、母からのLINEのメッセージが来た。
『なんで、電話に出ないの?川村くんが、うちに来てる。誤解だって。謝ってるから、うちに帰ってきなさい』
誤解?どんな誤解だって言うんだろう。
達哉に丸め込まれているんだと思った。
私は、
『しばらく、帰らない』
と送った。すると、
『とにかく、川村くんの話を聞いてあげて』
と返信が、来た。
『もう、会うつもりない』
そう送ると、しばらく返信がなくて、もう、諦めたのかなと思っていると、
『川村くんは、内緒にしていたかったみたいだけど、伊織が頑なだから、説明していいって』
母の返信は、続いて
『川村くん、伊織と結婚したいそうよ。さっきお父さんに挨拶しに来たの』
『伊織は、川村くんが浮気してるんじゃないかと思ったみたいだけど、LINEのメッセージは、同僚の人とか、結婚式場の人達だそうよ』
「え?」
私は、メッセージを読みながら、声が出ていた。
『伊織に内緒で、サプライズでプロポーズしたかったみたい。式まで挙げる準備もしていたって』
『もう、サプライズじゃなくなったけど、戻って来てほしいって言ってる』
母の返信が、続いた。
『そろそろ、返事したら?』
母の返信が、止まった。
私は、茫然としていた。結婚なんて考えてもいなかった。達哉がそこまで考えていると思わなかった。
私は、実家に電話をした。すると、母が出た。
「もしもし、伊織?今川村くんに換わるから」
少し間があって、
「もしもし伊織ちゃん?」
と、達哉の少し震えた声が聞こえた。
「紛らわしい事しないでよ」
私が言うと、
「ごめん。伊織ちゃんを驚かそうと思ったんだ」
「バカ」
「部屋帰って、鍵が入ってたから、焦った」
「本当に、バカ」
「結婚してほしい」
達哉が言った。
「直接言ってほしかった」
私が言うと、
「えー、だって今言わないと伊織ちゃん誤解したままでしょ?」
「お父さんは、なんて?」
「伊織ちゃんが、良いならいいって言ってくれた」
「本当に?」
「本当だよ」
実家で、私の両親を前に、話しているのだから、嘘ではないと思った。
「じゃあ、これからStella行くから、迎えにきて」
と言った。
「うん、わかった」
達哉が言った。
電話を切ると、大東さんに、話しにリビングに行った。
「大東さん、すみません」
「どうした?彼氏と仲直りした?」
今来た母のメッセージと達哉と話した事を大東さんに話した。
「良かったじゃん」
大東さんは、言ってくれた。
「本当に、申し訳ありません」
私が、深々と頭を下げると、
「気にしなくていいよ」
と言ってくれた。
「じゅあこれ、お返しします」
さっきもらった鍵を返した。
「今度うちの美容室来てよ。それでちゃら」
大東さんが言った。
「はい、ありがとうございました」
私は、スーツケースを持って、タクシーで、Stellaに向かった。
Stellaに着くと、達哉が、カウンターで待っていた。
「こんばんは」
紺野さんに、挨拶すると、
「いらっしゃい」
いつものように、迎えてくれた。
達哉は、立ち上がると、
「伊織ちゃん、本当にごめん」
と頭を下げた。
「私こそ、スマホ壊しちゃって、ごめんね」
「ヒビ入っただけだよ、伊織ちゃんの不安に比べたらなんて事ないよ」
達哉が言った。
「もう、内緒はなしね」
「俺が、ぐずぐずしてたから。色々計画し過ぎた…」
「紺野さん、またゆっくり来ます」
私は言うと、紺野さんは頷いた。
達哉と二人で、Stellaをあとにした。
帰りのタクシーで、達哉が、
「伊織ちゃんの実家行こうね。お父さんと約束したから」
「約束?」
「伊織ちゃんを連れてくるって、心配かけちゃったし…」
「私たち、結婚するの?」
私は、達哉に聞いた。
「そうだよ。結婚してください」
達哉がポケットから、指輪のケースを出した。私はケースを受け取らず、
「本当は、どんなプロポーズだったの?」
と聞いた。
「レストラン予約してた。そこ友達の店なんだけど、まあ色々ね」
達哉は、言葉を濁した。
「私が断ったら、どうするつもり?」
私が意地悪に言うと、達哉は、
「え?」
と、私の方を向き、
「それは考えてなかった…ダメ?」
と、申し訳なさそうな顔で言った。
「ううん、結婚しよう」
私が言うと、達哉は、笑顔になり、私の頭をよしよしするように撫でた。
私の実家に着き、リビングに入ると、父と母がソファーで待っていた。
達哉は、すかさず、
「お嬢さんを僕にください」
私の前で頭を下げ、両親に言った。
「わかった。伊織をよろしく頼む」
立ち上がると父も頭を下げた。
同時に達哉は、指輪のケースを開け、指輪を私の左手の薬指にはめた。
これが、私の生まれて初めての二日酔いになった日に起きた出来事だった。
おわり
待たない 須藤美保 @ayoua_0730
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