待たない

須藤美保

第1話

ふと目覚めると知らない、見た事がない天井と取り付けてある丸い照明が目に入った。

大きなベッドに、一人で寝ていた。服は、記憶している物をきちんと着ている。どうして知らない所で寝ているのか、思いだそうとしても、なんだかモヤがかかったように思い出せない。頭痛がする。これが二日酔いなんだろうか。いや、間違いなく二日酔いだ。こんな事は初めてだった。

 シーツからほのかに漂う柔軟剤の香りも、気になるくらいに頭痛がする。

 横たわったベッドから起き上がると、左手で、少しこめかみを押しながら、窓の外を見た。

 右手にしていた腕時計を見ると、5時過ぎだった。アナログの時計だったし、空が薄暗くて、今が朝か夕方かもわからないような冬の風景。

 何階くらいだろうと思いながら、窓の反対を見ると、木目調のドアがあった。

 部屋を見渡しても家具がひとつもなかった。

 ひとつ、ため息をついて、さあ、どうしようかと思った瞬間、木目調のドアが開いた。

「目、覚めた?」

 知らない男性だった。

 日本人離れした顔立ちの彼は、右手に透明の液体と氷が入ったグラスを持っていた。

 何歳くらいだろう?そんな事を思いながら、

「すみません、ここはあなたの部屋ですか?」

 と聞いた。

「もしかして、覚えてないの?」

「はい」

「あはは」

 彼は、小さく笑った。目尻にシワが出来ていた。

「紺野さんの店のカウンターで、隣で飲んでた、大東克(まさる)です」

 と言いながら、グラスを私に、差し出した。

「お水、飲んだ方がいいよ。頭痛い?」

「はい」

 グラスを受け取り、ごくごく飲んだ。冷たくて美味しかった。

「全然起きないから、心配してたよ」

「じゃあ、夕方ですか?」

「うん。12時間近く寝てるね」

 大東と名乗る彼は、また目尻にシワが出来ていた。

「すみません。あ、私、工藤伊織です」

「知ってる。今日は休みだって言ってたから起こさなかったよ、全然起きなくてどうしようかと思ったけど」

 今まで側に立っていた大東さんが、ベッドに腰掛けた。

「あの…」

「あ、僕はソファーで寝てたよ。僕ら、何もなかった」

 大東さんは、たんたんと話した。私は、赤面していたと思う。

「ごめんね。お持ち帰りしちゃって」

 ちっとも、申し訳なさそうな感じがなかった。

「家に帰れないって言うから、うち来る?って聞いたら、頷くんだもん」

 そう、同棲していた彼氏が、浮気していたとわかって、家を飛び出したんだった。

「理由も言ってましたか?」

「うん。一緒に住んでる彼氏の浮気でしょ?凄い勢いで飲んでた」

 私は、深いため息をつくと、

「ホントすみません」

 深々と頭を下げると、

「僕も美容師。かなりディスられた」

 と大東さんは、笑いながら言った。

「ホントすみません」

 言葉がなかった。彼氏は、美容師だった。    そんな事まで、話していたとは。

「でも、美容師が好きって言ってたよ」

「どこまで知ってますか?」

 彼氏の事を話そうと、身を乗り出すと、

「部屋、余ってるから、うちに来てもいいよ」

 と大東さんが、言った。

「え?」

 私は、相当キョトンとしていたと思う。

「そんなサイテー彼氏と別れてうちにおいで」

「え?夢ですか?」

 頭痛が、治まる程驚いた。

「いや、現実。家に帰れないって、泣いてた」

「そんな、いいんですか?」

「かまわないよ、これから一緒に、荷物取りに行こうか?車出すよ」

「え?ホントにいいんですか?」

「うん。行こう、近いし」

「そんな、家の住所まで、話してましたか…」

「色々、伊織ちゃんの事知ってるよ。あ、でもまず、顔洗っておいで」

 大東さんが、洗面所に案内してくれた。

「メイク落とし無いけど、洗った方がいいよね」

 鏡に映る自分の顔に、唖然とした。泣き過ぎたんだろう、瞼が腫れてアイメイクが落ちてクマのようになっていた。酷い顔だ。

「大東さん、よく笑わずに話してましたね」

 鏡越しに言うと、

「どうして?」

「こんな酷い顔見て」

「伊織ちゃん、可愛いから、平気だったよ」

 私にタオルを渡しながら言った。

「嘘。ありがとうございます」

 そのタオルからは、シーツと同じ柔軟剤の香りがした。

 すっぴんになった私は、同棲中の彼氏との事を思い出していた。二股どころではなく、複数人と付き合っているようだった。

 一緒に暮らしていて、何故今までわからなかったんだろうと思った。うちには、毎日、遅くなっても帰ってきていたからだ。

 何故わかったかというと、昨日、家に帰ると、ソファーで彼氏がスマホをお腹の上に乗せて寝ていた。そこにLINEの通知が続々と来たのが見えた。

 それぞれ違う女の名前で、『うちに、いつ来る?』『明日、何時に会える?』『彼女に見つからないようにね』『いつものホテルで』最低でも、4人から来たのを目の当たりにした。

 私は、彼氏のスマホを取り上げ、思いっきり床に叩きつけた。画面にヒビが入るのが見えた。

 その音で、彼氏が目覚め、

「何してるの?」

 と焦点の合わない瞳で、私を見つめた。

「私以外に何人と付き合ってるの?」

 私は、冷静に問いただした。

 彼氏は、私の顔を見つめて、

「何言ってるの?」

 と、とぼけてみせた。

「スマホ見えた、言い訳しても、許さないから」

「ちょっと待ってよ」

 彼氏は、私が怒った事に驚いているようだった。

「待たない、バイバイ」

 家に帰って、数分で、また家を出た。

 そして、紺野さんの店に行ったのだ。

 紺野さんの店は、『stella』という名前で、昼はカフェ、夜はバーになるお店だった。店名の通り、あちこちに星の装飾が、されている。

 学生時代には、昼に友達と通っていた。初めて訪れた時から、紺野さんは優しくて、私達を覚えてくれて、常連になった。成人してからは、夜通うようになった。

 私は、アルコールに強いようだったが、記憶を無くす程飲んだ事は、初めてだった。

「紺野さん、私明日休みなので、とことん飲みます!強いお酒ください!ロングアイランドアイスティーとか」

 stellaに入ってすぐ、カウンターの中にいる紺野さんに言った。

「伊織ちゃん、どうした?」

「あのバカ彼氏、浮気してました。許せない」

「あー、美容師の?」

「はい。やっぱり、3Bはやめた方がいいですね」

 付き合わない方がいい、男性の職業。美容師、バーテンダー、バンドマン。

 私は、カウンターに座った。私の他には、カウンターには、お客さんはいなかった。

「それって、僕も入ってる?」

 紺野さんは、自分を指差し言った。

「あ、そうだった。紺野さんは、バリスタ?」

「結局Bじゃん」

 と笑いながら、飲みやすそうなカクテルを作って、私に差し出した。

「いただきます。美味しい」

「何でも聞くから、彼氏の事。言っちゃってすっきりする事もあるだろうから」

「ありがとうございます。とりあえず酔いたいです」

 紺野さんに、家に帰った時の事を話した。

「確かめたの?」

「ううん。言い訳聞いても、許せないから」

 私は、飲んでいたカクテルを飲み干し、紺野さんに2杯目を要求した。

 5杯目くらいまでは、覚えていた。その後どうなったのかは、全く覚えていない。

 大東さんの部屋のリビングに移動すると、私のバッグとコートが、ソファーに置かれていた。自分のスマホを見ると、電池が切れていた。大東さんに言って、充電させてもらうと、彼氏からの着信が、ずらりと並んでいて、LINEも何件もメッセージが入っていたが、無視した。読む気にもならない。それくらい、腹が立っていた。そして、スマホを充電したまま、

「今の時間なら、まだ多分働いていると思います。いないうちに荷物取ってきます」

 と言った。

「行こうか」

「はい」

 大東さんの部屋は、4階建てのマンションの4階だった。

 エレベーターを降りると、大東さんのSUVに乗せてもらい、アパートに向かった。

 私の住むアパートは、元々彼氏が住んでいたところで、私が実家から、転がり込んだ。なので、荷物は、少ないと思う。

 付き合い始めて2年、一緒に暮らして、1年半くらいだった。

 通ってる美容室の美容師だった彼氏(達哉)は、私の担当ではなかった。

 ある日、いつものように美容室に行ってカットが終わり、会計をしてお店を出ようとした時に、達哉から、名刺を渡された。

 そこには、『川村達哉』と書いてあり、手書きで、電話番号が書いてあった。

「工藤さん、良かったら連絡先、交換して」

 ドアをおさえながら、首を傾げて、達哉は、話しかけてきた。

「え?」

 私は、無防備な顔をしていたと思う。

「お昼でも食べながら、話さない?」

 ちょうど、お昼時だった。

「行こう行こう」

 と、半ば強引に名刺を持った右手を引かれ、お店を後にした。

「ちょっと待って」

 私の声も無視し、あっという間に、隣のビルのカフェに入っていった。

 店内に入ると、店員に、

「二人」

 と、言って席に案内された。

 私を席につかせると、達哉は向かいの席につき、

「工藤さん、ずっと前から、好きでした」

 と、言い出した。

「え?」

 急な告白で、どうしていいかわからなくなる私に、

「お試しで良いから、付き合ってみない?」

 と言われた。

「お試しって…」

 達哉は、失敗したという感じの顔で、

「いや、本気で、付き合いたいと思ってるよ。急に言われて、すぐは決められないだろうから、って意味」

 と言った。

「友達からって事?」

「うーん、男として見てほしいから、友達は無し」

「急に、こんな一方的に言われても、困る」

「とりあえず、ご飯頼もうか」

 達哉は、私にメニューを渡しながら言った。

 ランチセットを二つ頼むと、先にアイスコーヒーが運ばれて来た。

 私は、うつむいたまま、この状況をどう対処したらいいか考えていた。

 当時、彼氏は居なかったし、気になる人も居なかった。

「あんまり深く考えないで、あちこち行ったりしようよ、デート」

 達哉は、自信ありげに、アイスコーヒーを飲みながら言った。

「なんで私?」

 私は、顔を上げて言うと、

「え?タイプだから」

「性格悪いかもよ」

「わかるよ、カットされてるとこ、見てたし」

「彼氏居るかもしれないのに?」

「あ、ごめん。彼氏いるの?」

 達哉は、ちょっと申し訳なさそうな顔で言った。

「今、居ないけど」

「じゃあ、問題なしだよね」

「もう、こんな強引な事しない?」

「もちろん。俺としては今日、工藤さんの予約入ってたから、お昼誘おうと計画してたんだけど」

「そうなんだ」

 私は、ストローをアイスコーヒーのグラスにさしながら言った。

「別に急な告白じゃなくて、前から、気になってたから。なかなか伝えるタイミングがなくて」

「わかった」

「彼女になってくれる前提で、デートしてくれる?」

「わかった」

 私は、頷いた。

「じゃあ、伊織ちゃんって、呼んでいい?達哉って、呼んで」

 これが、私たちの出会いだった。

「伊織ちゃんって、学生じゃないよね?いくつ?働いてるよね?」

 食事をしながら達哉が聞いてきた。

「22。本屋で、働いてる」

「3個下か。いいな、俺本読むの好きだよ」

「私も好き」

「じゃあ、デートは、どこ行こうか」

 達哉は、モグモグ食べながら言った。

 少年のようだった。その雰囲気が面白くて、私は、笑った。

「何?」

「3個上に見えない」

「俺?」

「無邪気な感じ」

「好きになりそう?」

「まだ、わかんないよ」

「大丈夫。きっと、好きになるよ」

 達哉は、色が白くて、瞳の色も薄くて繊細な雰囲気を持つ人だった。指が長くてきれいだなと思っていた。

「伊織ちゃん、手もキレイだね」

「そうかな?」

「この後は?」

「1時から仕事」

「え?やっぱ声かけて良かった。連絡先教えて」

 私たちは、スマホを出して、連絡先を交換した。

 私たちは、なかなか、仕事の休みが合わなく、もっぱら、夜、Stellaで会った。

 達哉は、紺野さんとも仲良くなって、常連の仲間入りをした。

 デートとして、映画に行けたのは、カフェで食事してから、1ヶ月くらい経った頃だった。単館系のフランス映画を観に行った。

 その日の帰り、達哉の部屋に初めて行った。私の実家から、歩いて20分くらいのところに達哉は住んでいた。

 鍋をして食べようと言われ、もう、用意はしてあると言っていた。

 達哉の部屋に着くと、

「さあ、上がって。今準備するから」

 部屋の中央のテーブルにカセットコンロが置いてあった。

 そのテーブルの横に座ると、達哉がキッチンから鍋を持ってきた。

「あ、キムチ鍋にしたんだけど、辛いの大丈夫?嫌いな食べ物ある?」

「あんまり無いよ、鰻くらい。辛いの好き」

「鍋で鰻は、あんま聞いた事ないな?」

 達哉が、言いながら、カセットコンロのスイッチを入れた。

「ビール飲む?」

 達哉に聞かれて、

「今日はいい」

 と私は答えた。

「じゃあ、俺もいいや」

 鍋をはさんで、向かい合わせに座った。

 私は、少し緊張していた。

 鍋から湯気が上がって、達哉が蓋を開けた。美味しそうだった。

「食べよう」

 達哉は言うと、私の器に具材をよそってくれた。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 達哉が、

「味どう?」

 と聞いてきたので、

「美味しい」

 と答えると、

「良かった」

 と言って微笑んだ。

「映画、意味わかった?」

 達哉が、私に聞いてきた。

「あんまり。フランス映画って、難しい」

「俺、ジョン・ウィックとか好きで」

「私も、結構好き。アジョシとか」

「アジョシ!懐かしい。今度はアクション映画、観に行こう」

「うん」

 しばらく映画の話で、盛り上がった。

「シメは、うどんと雑炊どっちがいい?」

「うどんがいい」

 達哉は冷蔵庫から、うどんを出すと鍋に入れた。

「どう?俺とデートしてみて」

 達哉が、いつもより真面目な顔で聞いてきた。

「楽しいよ」

「じゃあ、付き合おうよ」

「うん。いいよ」

 私が、あっさり言ったので、

「いいの?」

 と達哉は、聞き返した。

「いいよ」

 私は、もう一度言った。

「じゃあ、キスしてもいい?」

「いいよ…」

 よをいう前に、達哉にキスされた。

 食事を終えると、二人で片付けをして終わると、達哉は、私を家まで送ってくれた。

「またね」

 と言って、手を振って帰って行った。

 それからは、達哉の部屋で会う事が多かった。

 二人が好きな映画をDVDで観たり、好きな音楽を共有して聴いたり、二人で料理をしたり、達哉は、私にとって居心地の良い存在になっていった。

 半年くらい経って、あまりにも達哉の部屋にいる事が多いので、私が引っ越してきて一緒に暮らす事にした。

 達哉を両親に会わせると、あっけなくOKが出た。父と妙に相性が良かった事が大きかった。意気投合して、その日は、相当父と飲み、実家に泊まった。

 逆に母は、心配していた。

「お父さんが、いいみたいだから許すけど、伊織大丈夫?」

 母に聞かれた。

「お母さんは、達哉嫌い?」

「まだ会ったばかりだからわからないけど、いい人そうだけど…」

 と母は言葉を濁した。

「私が心配?」

「当たり前でしょ。いつでも帰ってきなさい」

 と母は言った。

 でも、そんなに簡単には帰ってこれないなと思っていた。

 大東さんは、仕事を休んでくれたらしい。申し訳ない事をしたと思っていた。

 車を出してくれて、私のアパートに着くと、やはり達哉は居なかった。

 大東さんは、車で待っていた。

 スーツケースに、衣類や化粧品など必要そうな物を詰め込み、部屋の鍵を閉めると、ドアポストに、鍵を入れた。もう、戻るつもりはなかった。それくらい達哉には、がっかりしていた。

「荷物、それだけ?」

 大東さんに聞かれた。

「あとは、捨ててもいいです」

「伊織ちゃん、男前だな」

 大東さんが言い、車を発車させた。

「もう、戻るつもりはないので」

 私が言うと、

「相当お怒りのようだけど、彼の言い訳も聞いてみたら?」

「いいんです。もうバイバイしたし」

「誤解があるかもしれないよ?」

「もう、Stellaも行けなくなっちゃうな」

 と言いながら、急に悲しくなり、涙が溢れてきた。それに気付いた大東さんに、

「彼氏の事、まだ好きでしょう?」

 と言われた。

「わからないです」

 私は、指で涙を拭きながら、正直に言った。

「少し距離を置いてもいいか…」

 大東さんは、独り言のように言った。

「あ、大東さん私、自分の事ばっかりで、勢いで、甘えてましたけど、大東さんは彼女とか居ないんですか?」

「居ない。おまけに×2。離婚したばっかりだよ」

「そうなんですか?」

「昨日も聞かれたんだけど、本当に覚えてないんだね」

 と笑った。

「すみません」

 私は、頭を下げた。

「いやいいよ。なんでも聞いて」

 と言うと、大東さんのマンションに着いた。

 大東さんが、玄関に入ってすぐ横のドアを開けると、

「少し物あるけど、ここ使っていいから」

と言った。

「ありがとうございます」

 私は、ペコリと頭を下げ、スーツケースをその部屋に入れると、大東さんが、

「お腹空いたよね、なんか食べに行こうか。中華でいい?」

 と、言った。

「あ、はい」

 私は言うと、

「近いから、歩いて行こう」

 と、大東さんが言った。

 大東さんについて行くと、信号2つくらい歩いたところの中華料理店にたどり着いた。

 大東さんが、酢豚の定食を頼んだので、私も同じ物を頼んだ。

「ここの酢豚、絶品だよ」

 と大東さんが言ったので、

「楽しみ」

 と私は言った。

 酢豚の定食が運ばれてきて、二人で食べた。本当に美味しかった。

「美味しいです」

 私が笑顔で言うと、

「伊織ちゃん、やっと笑った」

 と、大東さんが言った。

「すみません」

 私が言うと、

「伊織ちゃん、もう謝らなくていいよ」

 と大東さんが言った。

「はい、ごめんなさい」

 私が、頭を下げると、

「ほら、また」

「あ。大東さんには、感謝してます」

 と、私はもう一度、頭を下げた。

「伊織ちゃん、もう俺の娘だと思ってるから、気にするな」

「娘って…」

「それくらい年が離れてるって事。うちにいつまでも居ていいけど、実家でも彼氏のとこでも、いつでも帰っていいからね」

 大東さんが言った。

「どっちも帰れないです」

 私は言った。

 食事が終わると、大東さんがご馳走してくれた。

「ごちそうさまでした」

 私は言うと、

「どういたしまして」

 と大東さんが笑った。

 大東さんのマンションの部屋に着き、貸してもらった部屋に入って、充電していた自分のスマホを見ると、実家からも着信があり、LINEも母から来ていた。

 まず、達哉のLINEをブロックして、電話も着信拒否にして、母からのLINEのメッセージを見た。

『川村くんが、伊織を探してる』

『連絡ちょうだい』

『どこにいるの?』

 と来ていた。

 電話だと、泣きそうだったので、

『友達の家に居ます。達哉とは別れました。心配しないでください』

 と母にLINEのメッセージを送り、電源を切った。

 ドアがノックされて、

「伊織ちゃんいい?」

 と大東さんが布団を持ってきてくれた。

「あと、うちの鍵」

 と言って、鍵を渡してくれた。

「ありがとうございます」

 私が、受け取ると、

「お風呂使っていいよ」

 と言われたので、

「バスタオル、貸してもらっていいですか?」

 と聞いた。

「なんでも使って、いいよ」

 と言われた。

 シャワーを浴びて、髪を乾かして洗面所を出ようとすると、ドア越しに大東さんが、

「入ってもいい?歯みがき」

 と言ったので、私はドアを開け、

「どうぞ」

 と言った。

「大東さんって、おいくつなんですか?」

 私が聞くと、

「44」

 と言った。

「じゃあ私、二十歳の時の子だ」

「そうそう」

「あ、実のお子さんは?」

「居ない」

「そうなんですね」

 少し間があって、

「冷蔵庫とか、自由に使っていいから」

 と大東さんが言った。

「はい、ありがとうございます」

「自分の家だと、思っていいよ」

 私は、少し考えて、

「あの私、どうしたらいいですか?家賃とか、生活費とか」

 と聞いた。

「どうしようかな?考えておく」

「わかりました」

 そして、私も一緒に、歯みがきをした。

 私は、貸してもらった部屋に入ると、布団を敷いて潜った。

 大東さんに甘えてしまったけど、これからどうしようかと考えていた。

 実家に帰るのが、一番だと思ったが、なんとなく帰りづらい。

 電源を切ったまま充電している、スマホを見つめた。

 達哉のバカ。

 全部あいつのせいだ。

 枕を口にあてて、

「あー!」

 っと、小さく叫んだ。

 明日起きるためのアラームをかけようと、スマホの電源を入れた。9時から仕事だ。

 画面が立ち上がった瞬間、電話が鳴った。実家からだった。音量を0にして、無視した。

 次は、母からのLINEのメッセージが来た。

『なんで、電話に出ないの?川村くんが、うちに来てる。誤解だって。謝ってるから、うちに帰ってきなさい』

 誤解?どんな誤解だって言うんだろう。

 達哉に丸め込まれているんだと思った。

 私は、

『しばらく、帰らない』

 と送った。すると、

『とにかく、川村くんの話を聞いてあげて』

 と返信が、来た。

『もう、会うつもりない』

 そう送ると、しばらく返信がなくて、もう、諦めたのかなと思っていると、

『川村くんは、内緒にしていたかったみたいだけど、伊織が頑なだから、説明していいって』

 母の返信は、続いて

『川村くん、伊織と結婚したいそうよ。さっきお父さんに挨拶しに来たの』

『伊織は、川村くんが浮気してるんじゃないかと思ったみたいだけど、LINEのメッセージは、同僚の人とか、結婚式場の人達だそうよ』

「え?」

 私は、メッセージを読みながら、声が出ていた。

『伊織に内緒で、サプライズでプロポーズしたかったみたい。式まで挙げる準備もしていたって』

『もう、サプライズじゃなくなったけど、戻って来てほしいって言ってる』

 母の返信が、続いた。

『そろそろ、返事したら?』

 母の返信が、止まった。

 私は、茫然としていた。結婚なんて考えてもいなかった。達哉がそこまで考えていると思わなかった。

 私は、実家に電話をした。すると、母が出た。

「もしもし、伊織?今川村くんに換わるから」

 少し間があって、

「もしもし伊織ちゃん?」

 と、達哉の少し震えた声が聞こえた。

「紛らわしい事しないでよ」

 私が言うと、

「ごめん。伊織ちゃんを驚かそうと思ったんだ」

「バカ」

「部屋帰って、鍵が入ってたから、焦った」

「本当に、バカ」

「結婚してほしい」

 達哉が言った。

「直接言ってほしかった」

 私が言うと、

「えー、だって今言わないと伊織ちゃん誤解したままでしょ?」

「お父さんは、なんて?」

「伊織ちゃんが、良いならいいって言ってくれた」

「本当に?」

「本当だよ」

 実家で、私の両親を前に、話しているのだから、嘘ではないと思った。

「じゃあ、これからStella行くから、迎えにきて」

 と言った。

「うん、わかった」

 達哉が言った。

 電話を切ると、大東さんに、話しにリビングに行った。

「大東さん、すみません」

「どうした?彼氏と仲直りした?」

 今来た母のメッセージと達哉と話した事を大東さんに話した。

「良かったじゃん」

 大東さんは、言ってくれた。

「本当に、申し訳ありません」

 私が、深々と頭を下げると、

「気にしなくていいよ」

 と言ってくれた。

「じゅあこれ、お返しします」

 さっきもらった鍵を返した。

「今度うちの美容室来てよ。それでちゃら」

 大東さんが言った。

「はい、ありがとうございました」

 私は、スーツケースを持って、タクシーで、Stellaに向かった。

 Stellaに着くと、達哉が、カウンターで待っていた。

「こんばんは」

 紺野さんに、挨拶すると、

「いらっしゃい」

 いつものように、迎えてくれた。

 達哉は、立ち上がると、

「伊織ちゃん、本当にごめん」

 と頭を下げた。

「私こそ、スマホ壊しちゃって、ごめんね」

「ヒビ入っただけだよ、伊織ちゃんの不安に比べたらなんて事ないよ」

 達哉が言った。

「もう、内緒はなしね」

「俺が、ぐずぐずしてたから。色々計画し過ぎた…」

「紺野さん、またゆっくり来ます」

 私は言うと、紺野さんは頷いた。

 達哉と二人で、Stellaをあとにした。

 帰りのタクシーで、達哉が、

「伊織ちゃんの実家行こうね。お父さんと約束したから」

「約束?」

「伊織ちゃんを連れてくるって、心配かけちゃったし…」

「私たち、結婚するの?」

 私は、達哉に聞いた。

「そうだよ。結婚してください」

 達哉がポケットから、指輪のケースを出した。私はケースを受け取らず、

「本当は、どんなプロポーズだったの?」

 と聞いた。

「レストラン予約してた。そこ友達の店なんだけど、まあ色々ね」

 達哉は、言葉を濁した。

「私が断ったら、どうするつもり?」

 私が意地悪に言うと、達哉は、

「え?」

 と、私の方を向き、

「それは考えてなかった…ダメ?」

 と、申し訳なさそうな顔で言った。

「ううん、結婚しよう」

 私が言うと、達哉は、笑顔になり、私の頭をよしよしするように撫でた。

 私の実家に着き、リビングに入ると、父と母がソファーで待っていた。

 達哉は、すかさず、

「お嬢さんを僕にください」

 私の前で頭を下げ、両親に言った。

「わかった。伊織をよろしく頼む」

 立ち上がると父も頭を下げた。

 同時に達哉は、指輪のケースを開け、指輪を私の左手の薬指にはめた。

 これが、私の生まれて初めての二日酔いになった日に起きた出来事だった。


おわり

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待たない 須藤美保 @ayoua_0730

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