第6話

第6話 バイバイ(さようなら)俺の日常




 竜に変化した我が家だったが、変化しただけで何か行動を起こす様子がない。じっと静止したまま、虚の姿を見つめ続けている。虚が右に動くと、竜の眼球も右に動く。かっちゃんを木の裏に隠し、虚だけ左に動く。竜の眼球は、虚を追い、かっちゃんは眼中に無い。そのままどんどん距離を開けていく。視線は虚に固定されているが、体はかっちゃんの方に向かう。頭部と体で思考に齟齬があるようだ。

 草むらから一人の男性が飛び出す。


「バズる動画、頂き!」


 携帯電話のカメラを向けて動画を撮影している。竜への恐怖より、承認欲求を満たす事に執着する。竜は、興味を示していない。お陰で撮影は捗る。ところが次の瞬間、巨大な尾が撮影者を叩き潰す。運良く地面が陥没したお陰で即死は避けられたが、肺が潰れ、足が折れ、大事な携帯が破損する。

 虚は、直ぐに助けに向かう。かっちゃんに鍛えられた足は好調、快調に飛ばし男性まであと少し。しかし、指先が触れそうなタイミングで竜の尾が再び降って来る。直撃の瞬間、竜の眼球から眩い光が放たれ尾を消し飛ばす。お陰で虚は、男性に辿り着く。


「大丈夫か?」

「……バズって…有名人に……」


 意識は辛うじてある。だが、致命傷に変わりはない。一刻も早く治療を受けねば死んでしまう。


「僕に任せて下さい!」


 隠れて状況を見ていた民衆の一人が走って来る。持っていた茶色のバッグには、包帯や注射器などが入っている。往診用のバッグのようだ。


「…医者、なのか?」

「はい。まだ成ったばかりですが」


 手際良く注射を射ち、様子を窺いながら可能な限りの処置を施していく。

 その間、竜は何もしてこない。虚を見つめ続け、体は小刻みに震えている。


「一人で運べそうか?」

「……残念ですが、無理です。出来れば、貴方に助けて頂きたいのですが…」


 虚は、竜の眼球を見つめる。

 竜は、その視線に答えるように頷く。


「分かった。麓まで一緒に行こう」

「ありがとうございます! では、急ぎましょう」




 木の裏に隠れていたかっちゃんの下に、虚と一緒に下山した筈の新人医者が現れる。


「こんな所で何をしているのですか?」

「……兄を待っているんです」

「ここは危険です。一緒に安全な場所へ…」


 白衣に温厚な笑顔、かっちゃんは信用し手を伸ばす。

 手が届くあと僅か、竜の大きな爪が新人医者を抉る。右半身が無くなった新人医者は、痛がる素振りを見せず笑顔のまま。


「デコイの分際で、牙を剥くとは…」


 新人医者の体が歪み、右目がカメラのシルクハット紳士に変わる。

 竜を一瞥し、かっちゃんに視線を向ける。


「お嬢さん、お初にお目にかかります。私は、ジャマー。真なる唯一の邪魔者」


 ジャマーの指先が小さな鈴に変化。チリンチリンと鳴らすと、辺りの空間が歪んで見えるように。影響はかっちゃんだけで、竜も、散らばった民衆も異変に見舞われない。歪んだ世界は、かっちゃんの記憶を搔き乱す。嫌な記憶、良い記憶、それらがシャッフルされて歪に変質。悪い記憶に登場する人物が、良い人物に。良い記憶に登場する人物が、悪い人物に。しかし、記憶が歪んでも、経験は歪んでいない。ジャマーに伸ばそうとする手を必死に抑える。虚への「助けて」を口にする。歪んだ記憶に抗って…。


「力を抜いてください。抗っても苦しむだけです」


 目の前のジャマーが歪み、虚の姿に変わる。


「かっちゃん、大丈夫か!」

「……お兄ちゃんの真似をするな!」


 足元に転がる石を拾い、虚の虚像に投げる。額に命中し、出血。それでも構わず、虚の虚像は近づいてくる。


「あっちに行け! アンタなんか、嫌い!」


 虚の虚像は、かっちゃんを優しく抱きしめる。伝わってくる温もりを、体が覚えている。安心感に包まれると共に、石を投げつけた罪に心を痛める。虚像と思っていた物は、本物の虚だった。肉体に残っている経験は、そう言っている。だが、鵜呑みに出来ない。隕石に耐えられる筈が、投石程度で出血している。

 竜は、動かない。目を閉じ、眠ったように静止している。その背中には、小さなコウモリが張り付いている。両目が赤く点滅し、キィーキィーと鳴き続けている。


「そう、それで良いのです。身に宿る感覚を信じ、大好きだけ考えなさい…」


 虚の姿が、ジャマーに変化する。かっちゃんには見えていない。今も虚に抱きしめられていると思っている。残った経験の所為で騙され、抵抗を止め、受け入れてしまった。疑念を抱いても遅い、僅かな隙間があればジャミングは成功してしまう。




 しばらくして、虚が戻って来た。

 直ぐに、かっちゃんが隠れていた木に向かう。裏側を覗くと、かっちゃんは蹲り震えている。


「一人にして、ごめん。大丈夫だったか?」


 虚の姿を見て、かっちゃんは安堵の表情。しかし、近づいてくる気配は無い。張り付くように木の傍から離れない。


「うん、大丈夫。それより、あの人助かった?」

「重症だったけど、応急処置のお陰で何とか……」


 かっちゃんの額に傷がある。

 気になった虚は、手を伸ばす。


「や、止めて!」


 嫌がる素振りと共に、虚の手を拒む。


「すごく痛いから、触らないで…」


 拒絶の理由に違和感は無い。十分納得出来る。だがそれでも、虚は手を伸ばす。


「止めてって言っているでしょ!」

「傷に触る訳じゃない。ちょっと見るだけだから…」


 嫌ならば、逃げれば良い。虚の動きは決して早くない。簡単に逃げられる。


「私を殺すつもり!」


 虚は、隕石に耐えられる強度を誇っている。しかし、それが命に対して発揮された場面は一度も無い。かっちゃんも知っている。頭を撫でられ、涙を拭われ、その身を以って証明している。

 一気に駆け寄り、かっちゃんの額に触れる。皮膚がガラスのように割れる。


「どうして? 私が…嫌いだったの……」


 割れた額から血が溢れ、絶叫が響き、苦痛と憎しみの目が虚を襲う。それでも狼狽えない。


「…いい加減にしろ。気分が悪い」


 虚の雰囲気が変質。眉が吊り上がり、怒りを湛える鋭い眼光が鈍く輝く。


「やっぱり嫌いだったの。だったらどうして、助けたり…」

「言葉が通じないのか?」


 躊躇いなく、割れた額に拳を叩き込む。痛がる様子を無視して、何度も殴る。


「止めて……殺さないで…」

「何時まで健気に振舞える? なぁ、兵器野郎!」


 砕けたかっちゃんの顔が、ジャマーに変わっていく。割れた部分を庇うように拳を躱し、距離を取る。


「……くっ、何時からですか?」

「最初っから馬鹿丸出しだったぞ」


 ジャマーのダメージは深刻。割れた部分がどんどん広がっていく。予想外だったのか、悲痛な面持ちで後退る。

 虚は、睨みつけながらゆっくり近づく。


「かっちゃんは、何処だ?」

「言えません。言ってしまえば、貴方は私を殺す筈です」

「……言え!」

「…仕方ありません。では、お教えします…」


 ジャマーが指さしたのは、一本の青く生い茂った針葉樹。遠目では普通の木にしか見えない。虚は直ぐに駆け寄り、かっちゃんを探す。根元から枝先までじっくり調べても、それらしい姿は見えない。


「何処に居る?」

「もう触れていますよ。ほら、そこに顔が」


 触れていた木の皮に違和感。恐る恐る手を退ける。


「……かっちゃん?」


 かっちゃんの顔が、木と同化している。完全に癒着し、皮を剥がそうとすると苦悶の表情を浮かべる。

 絶望する虚を見て、ジャマーは爆笑。


「残念ですが、もう二度と温もりを得る事は出来ません。心地良い夢に包まれ、不確実な現実に背を向けている。しかし、悲観する事はありません。貴方も、同じように成れば良い」


 木の蔦が、虚に巻きつく。抗う意思のない体を引き寄せ、吸い込むように取り込む。


「……俺の平穏が……日常が…」


 溶け込んでいく腕を必死に伸ばし、かっちゃんの頬に触れる。虚ろな目には、諦めと『何か』。

 そして、耳元で誰かの声が…。





 俯く虚。木と同化した筈が、何事も無く健在。意識が希薄で、何やらブツブツ呟いている。

 

(虚! 目を覚まして!)


 フラワーが内側から呼び掛けるが、応じる様子は一切ない。


「姫様、無駄な事はお止めに。彼は二度と目を覚ましません」


 背後から近づくのは、ジャマー。殴られた跡が無くなっている。


(…どうして、私を姫と呼ぶの? あなた達にとって、私は…)

「単なる邪魔者ですね」

(だったら…)

「我々の印象がどうであろうと、姫が姫である事に違いはありません。この先何が起きても、その事実は変えられない。我々が蜂起した事も、姫様が隕石になった事も」


 ジャマーには、虚の姿がフラワーに見えている。


(……何も変わらないというなら、かなでと呼んでも? あの日のように、友達として扱っても?)

「ハハハ、相変わらずですね。嫌がる所を熟知している」


 虚の内で、ジャマーの声が激しく振動する。


「どうぞご自由に。かつての関係に戻って頂けるなら…」


 振動は身体に作用せず、フラワーの精神に直接作用している。反意に対しては強く、受け入れる思考には緩和。


(元の関係に戻ったら……虚とかっちゃんを、無事に…)

「それは出来ません。彼らは知り過ぎた」


 ジャマーが触れると、虚の体からフラワーが抜け出る。


「さぁ、戻りましょう。かつての我々に…」


 フラワーがジャマーに取り込まれていく。足掻こうとも、叫ぼうとも、その工程を止める手段になり得ない。助けを呼べる相手も居ない。奇跡が起こる可能性も無い。悲しくなる。苦しくなる。しかし、驚くほど簡単に結末を受け入れてしまう。結局ダメだった、やっぱりダメだった、と…。


「………俺の日常…」


 離れていくフラワーの手を、虚が掴む。


「全部持っていくつもりか!」


 フラワーを自身の体に引き戻し、ジャマーの首を絞める。

 今の事象をジャマーは理解出来ない。


「どうして、意志を? 幻覚に惑った末? 何かのバグ?」


 ジャマーの困惑を無視して、虚は自分の話を続ける。


「何も望まない。地位も、金も。ただ平穏な日常があれば良い。家族の存在を感じながら、ただ静かに寝ていたい。それだけが望みだ。なのに何故、それを奪う!」


 虚の目が、赤く染まる。


「返せ! かっちゃんを!」


 ジャマーの背中から3匹のコウモリが飛び出し、虚の体に憑りつく。キィーキィーと鳴き、思考を麻痺させる。虚の目には、かっちゃんの姿。かっちゃんの首を絞めている。現実ではない、ジャマーが見せている幻覚。だが、それを知る術は無い。虚にとっては現実にしか思えない。それでも、首を絞める力は強くなる。


「ど、どうして……?」

「返せよ! 俺の日常!」


 コウモリの数が増え、虚の体を覆い尽くす。思考の何もかもを破壊する勢いでジャミングが行われる。しかし、尚も首を絞める力は弱まらない。

 先に根を上げたのは、ジャマー。ジャミングを止めて、全てのコウモリを使って虚を引き剥がす。


「姫様、答えて下さい! この男は、本当に人間ですか?」

「返せッ! 返せッ!」


 フラワーの返答は無い。思考までも虚に支配されている。


「返さないのか? 返せないのか?」


 ジャマーは何も答えない。困惑の表情以外何の反応もしない。


「そうか……どうしても、奪うのか……だったら、仕方がない」


 虚の目が深紅に染まる。


「………バイバイ、俺の日常」


 動揺が収まり、静かな視線でジャマーを見つめる。怒りも、悲しみも存在しない。何の感情も無く近づき、無表情のまま首を掴んで持ち上げる。非力な筈の腕で。

 黙って見守っていたフラワーは戦慄する。

 虚の姿をした『何か』に…。

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