第5話
第5話 妖精
賛否両論に晒される虚の家。観光客は絶えず、政府の足は遠退く。監視の目は群衆に遮られ機能せず、隙を突いて侵入を試みる者が現れる。梯子を掛けて、塀の上に。庭には誰も居ない。室内にも気配が無い。梯子を降ろし、庭に降りる。足音を意識し、人目に付く場所を避け、鍵の掛かっていない扉から中へ。彼の目的は、妖精の正体を明かし、願いが叶う仕組みを吐かせる。しかし、何処を探しても誰も居ない。生活の痕跡はあるが、人間らしさ全開。カップ麺、袋焼きそば、レトルトカレー。妖精が食べたとは思いたくないラインナップ。仮に妖精が食べていたとして、人用としか思えないトイレには納得できない。何か妖精らしい物がないか探す。
二階奥の小さな部屋、客間のようで家具は最低限。調べる範囲は狭く、妖精を思わせる物が無いのは一目瞭然。ただ一つ、壁一面を鏡で覆っている点が気になる。侵入者は、鏡を調べる。映っているのは、自分の姿だけ。変なモノが映る訳ではない。叩いて奥の様子を窺うが、どれも反応が同じ。一つ試しに割ろうとする。だが、異常に硬くてハンマーでも割れない。諦めて他の部屋へ。
鏡の裏から聞こえる声に気付かないまま…。
「お~い、行かないでくれ~………ダメか」
「どうするの? この状況…」
ハンマーで叩いた鏡の奥には、押入れが隠れていた。
虚とかっちゃんは、その中で雑巾を握っている。
「どうしようもない。原因も何もかも分からないからな…」
二人は、この部屋で雑巾掛けをしていた。かっちゃん曰く、体幹を鍛える為にも、体力を鍛える為にも、雑巾掛けが良いらしい。虚は言われるまま雑巾掛けをするが、体勢を崩して押入れに突っ込む。心配したかっちゃんも押入れに入った瞬間、襖が締まり、硬すぎる鏡に覆われた。フラワー曰く、敵の存在は感じられないらしい。
「ねぇ、今更だけど……あの日の力は使えないの?」
「使えるなら、今頃出ている…」
かっちゃんは、試しにもう一度、堅すぎる鏡を叩いてみる。しかし、ビクともしない。虚も試したが、それでも無理だった。仮にラウデルセの力が原因なら、何者かの望みが叶った結果かもしれない。その場合、虚でも破壊出来ないとなると、それ以上の強度になっているか、特殊な条件が邪魔している。
「やっぱり無理だな。事態が好転するまで待とう…」
「それじゃ困る! 早く出ないと……その、困った事に……」
何やらモジモジしている。赤面し、じっと止まって居られない。
「もしかして……」
「それ以上言わないで! もう、何で……こんな時に…」
かっちゃんが壁にもたれかかると、柔らかく凹み体を包み込む。
「な、何? どうして凹んだの?」
「こっち側は柔いのか?」
試しに壁の方を叩いてみる。拳を柔らかく包み込む。堅くは無いが、柔らかすぎて壊せない。壁を触り、くすぐってみる。激しく脈打ち、襖以外が振動する。想像したくない事態が頭に過る。
「俺達は、生き物の中に居るかもしれん…」
襖部分は、歯。それ以外は口内。となると、床は…。憶測にすぎないが、床板を剥がしてみる。すると、深い穴が現れる。
「確かめてみるしかないな…」
虚は、躊躇いなく深い穴に身を投じる。
一人残されたかっちゃんは、恐怖と迫り来る尿意に耐える。
しばらくすると…。
「大丈夫だぞ! 早く来いよ!」
穴の奥底から虚の声。信用しているが、未知に飛び込むのは怖い。
戸惑っていると、顔を出した虚が引っ張り込む。
「きゃあ! 何するのよ! 心の準備が……」
穴の先は、キッチンだった。
「どうして?」
「もう少し調べてみるか…」
穴を喉と仮定し、辿り着いたキッチンは胃と判断。胃の形状を想像し、腸に繋がる場所を探す。テーブルの脇にある床下収納を開けると、廊下が下に見える。廊下は、腸。
「客間の押し入れが、口。キッチンが、胃。廊下が、腸」
「何で?」
「生物として都合の良い配列に変わった…って感じか? それより、良いのか?」
虚は、廊下の先を指差す。廊下の先にあるのは、トイレ。
切羽詰まった状況を思い出し、かっちゃんは廊下の先へ急ぐ。
その間に虚は、フラワーに尋ねる。
「なぁ、どうしてこんな有様に?」
(……望んだとしか)
「家にも心があるのか?」
(物には心は無い。ただ、使っていた者の思念が残っているだけ……そう言われていた。う~ん…口伝が間違っていたのかな?)
「確かめてみるか…」
虚は、椅子を用い、辿ったルートを逆行。客間の押入れに戻ると、天板を押し上げる。
「来ないで!」
屋根裏に誰か居る。声の感じは、女の子?
「一応、俺の家なんだが?」
「……それでも、来ないで」
「分かった。その代わり、説明ぐらいしてくれないか?」
「……ここに居る理由? それなら、分からない…」
「居座っているのにか?」
「気が付いたら、ここに居た」
ゆっくり天板をずらし、中の様子を窺う。薄暗い部屋に、眩く光るモニターの数々。少女と思われる人影がモニターの前で蹲っている。モニターには、家のあらゆる場所の様子が映っている。覗き見ている虚の様子も。しかし、蹲ったままモニターを見ておらず、虚の様子に気付いていない。
顔を引っ込め、違う質問をする。
「名前は?」
「……分からない」
「何時から居る?」
「…気が付いたらここに居た」
「そうか…」
虚は、天板を戻し、何処かに去って行く。
モニター越しに、謎の少女は様子を窺う。虚の姿は、キッチンに在った。カップ麺を漁り、一番無難な物を選び、お湯を入れて再び客間まで戻って来る。
「腹減っただろ? まぁ、これでも食え」
謎の少女を覗かないように、カップ麺を中に入れる。
「…良いの?」
「足らなければ、もっと持って来てやる」
何故優しくしてくれるのか疑念を抱きつつ、カップ麺を啜る。美味しい。空腹だった事も手伝い、あっという間に平らげる。一杯食べると、気付かなかった空腹が鮮明化する。もっと食べたい。しかし、頼るのが怖い。諦めと微かな期待を込めて、カップ麺の空を下に落とす。
すると、違うカップ麺が差し出される。嬉しいが、優しさを素直に受け止められない。どうしても裏を勘繰る。
結局10杯完食、謎の少女は腹一杯。空のカップを落とさず、満腹をアピール。
「もう良いんだな?」
虚は、欠伸をしながら去って行った。
何か要求があると思っていた謎の少女は、肩透かしを食らう。無頓着なのか、戦略なのか、彼女は様子を窺う事にした。
一か月経ったが、状況に変化はない。
難解に歪んだ家は、虚とかっちゃんだけに適当されている。その為、普通の家として体感する来訪者とすれ違いが生じる。面倒な事態に陥る事もあるが、意図的に難を避ける手段にもなる。謎だらけの少女と同居している状況に目を瞑れば、意外と快適。それを受け入れられるのが虚で、受け入れられないのが、かっちゃん。
「ねぇ、そろそろ聞き出してよ」
キッチンでカップ麺を啜りながら、かっちゃんは不機嫌そうに呟く。
「あの子の正体か? ここに居る理由も知らないのに、聞くだけ無駄だって」
「もし敵だったらどうするの!」
「その心配は無い。敵だったら、とっくに攻撃している」
「でも…」
かっちゃんも無暗に追い出したい訳ではない。ただ、何も知らない存在が怖いだけ。敵ではないと確証を得られれば、溜飲が下がる。
「仕方ないな…」
虚は、椅子を使って器用に天井に登る。
客間の押し入れまで登り、天板に手を押し当てた状態で謎の少女に尋ねる。
「何か思い出した事はあるか?」
「……無い」
「だったら、この部屋から出る覚悟は?」
「…まだ」
一か月、彼女は何もしなかった。攻撃も、接触も。生きる事さえ、虚の優しさに委ねるばかり。何も知らない現状に恐怖するばかりで、自分から行動する事を諦めている。このまま待ち続けても、進展は見られない。彼女の為にも、無意味な様子見を終わらせる必要がある。
虚は、天板を押し上げ、屋根裏に入る。
意外にも、謎の少女は拒まない。
「私……どう見える?」
振り返った彼女の顔は、目も鼻も口も無い。
「のっぺらぼう……」
「……え? 何それ?」
「目も鼻も口も無い…」
謎の少女は、モニターの一つを操作し、自身の顔を映す。彼女の目には、可愛らしい少女の笑みが映っている。
「どんな目をしているの? こんなに可愛いのに…」
「目も鼻も口もあるのか?」
「顔を合わせて話しているのに、無いなんてことは無いでしょ!」
「でも、なぁ……」
角度を変えても、じっくり見ても、無い物は無い。虚と謎の少女では、見えている物が違うようだ。
フラワーが、虚に耳打ち。
(あの子、変。望みが叶った痕跡があるけど、自分の望みじゃない…)
(他人の望みで姿が変わるのか?)
(分からない…)
その時、モニターから声が聞こえる。
「妖精さん! 何処に居ますか~?」
何時ぞやの侵入者。また妖精を探す為に侵入している。
「止めて!」
謎の少女は、突如苦しみだす。腹を抱えて丸まり、じっと耐えている。
「どうしたんだ?」
「止めて、あの言葉を……言わせないで…」
謎の少女の背中を突き破り、蝶の羽根が生えてくる。血に染まった羽根は、大きく広がりながら淡く緑に輝く。
(妖精さん、妖精さん…)
侵入者だけではない。日本至る所をモニターが勝手に映し、妖精と囁く人の声を拾う。屋根裏が妖精の言葉で埋め尽くされる。謎の少女は、声を上げ絶叫。淡く輝く羽根は、血を吸い上げ、「妖精」の声に合わせて辺りに散布する。散布された血は、蝶の姿に変わり、壁をすり抜けてどこかに飛んでいく。
虚は、モニターを殴り破壊する。
「これで良いか?」
「……あ、ありがとう…」
一つ破壊しただけでは、「妖精」の言葉は治まらない。次から次に破壊し、その都度謎の少女の様子を見る。「妖精」の声が減る程、楽になっていく。モニターの大半を破壊した頃には、「妖精」の声は治まり、謎の少女は苦痛から解放される。
「何とかなったな」
「……そう見える?」
羽根には、願い事が刻まれている。お金持ちになれますように、友達が出来ますように、会社で浮きませんように、お母さんの病気が治りますように。些細なものから、深刻なものまで。七夕の短冊のように。
フラワーは、驚きながら囁く。
(………望む者達によって生み出され、望む者達によって酷使されている。彼らの願いが無くなるまで、苦しみは止まらない…)
謎の少女は、虚の腕にしがみ付き泣きじゃくる。
「助けて……お願い…」
妖精の存在は、昔から人々の間で囁かれていた。しかし、その声が謎の少女を苦しめる要因とは考え難い。苦しめる原因となった「妖精」は、虚の家が話題になって囁かれるようになったもの。妖精が願いを叶える、そう考えられるようになってから。だとするなら、彼女を助ける手段はある。
翌日、虚は門を抉じ開け外に出る。願いを叶える為に集まった民衆に見つめられながら。
「お、お前は…?」
至って普通の格好をした虚の姿に、集まった民衆は呆気にとられる。何処からどう見ても妖精ではない。在り来たりの人間の男。
「この家から出て来たんだ、妖精に決まっているだろ?」
想像と違い過ぎる姿に、「嘘だ」「偽物だ」と怒号が鳴り止まない。
一人の男性が、睨みつける。
「もしそうなら、証拠を示せよ!」
「何をしたら信じるんだ?」
「俺の願いを取り消せ! ここで願った所為で、あんな職場に…」
「出来ない。その職場に入ったのは、お前の選択だろ? 俺を頼るな!」
「叶えたのはお前だろ!」
「勝手に願って、勝手に叶ったと思っているだけ。俺に責任を押し付けるな」
「……い、言い訳は止せ! 早く取り消せ!」
集まった誰もが自分自身に尋ねた。本当に誰かのお陰で願いが叶ったのか? 裏に何の努力も無かったのか? 否定できない。彼らが願った事は、その殆どが以前から考えていたもの。その為に行動もしていた。この家のお陰とも、妖精のお陰とも言い切れない。
「困った奴だな。そんな事なら、俺に頼まなくても、勝手に辞めれば良いだろ?」
「……面倒なんだよ。あいつら、怖いし…」
「分かった分かった、俺が何とかしてやる。力技で良かったら…」
虚は、門を殴って破壊する。異様に歪んだ鉄塊を眺め、民衆は押し黙る。普通ではないと認識するが、妖精と思う者は居ない。
「責任は取ってくれよ。何が起きても…」
「け、結構です!」
蜘蛛の子を散らすように、民衆は去って行った。
直ぐに情報は書き換えられる。『願いが叶う家に居たのは、化け物だった』、『妖精など居ない』。願いを叶えたい者は減らないが、『妖精』の言葉が聞かれる頻度は激減した。残った僅かな『妖精』は、願望の捌け口ではなく、今まで通り伝説の存在として。
謎の少女は、屋根裏でモニターに向き合っている。隣には、虚。二人揃って真剣な面持ちでモニターを凝視している。
「本当にこんな事してて良いの?」
「お前にとって何より重要だぞ」
激しい明滅、格好良い必殺技の掛け声、二人がやっているのは格闘ゲーム。記憶がない筈なのに、謎の少女はかなり上手い。キャラクターの特徴を掴み、的確な行動を常にとり続ける。対する虚も、なかなかの腕前。
「何してるのよ!」
腹を立てて、かっちゃんが天井裏に登って来る。
「ゲームするならご飯食べてからにしてよね!」
「ごめんごめん、この一戦が終わったら行くから」
虚の言葉に眉を顰め、謎の少女にも同じ態度で怒鳴る。
「あなたもよ!」
「……ごめんなさい」
「ねぇ…」
少し迷いながら、かっちゃんは言葉を紡ぐ。
「
「…私の事?」
「うん」
かっちゃんは、面倒見が良い母親のような存在。困っている姿や、だらしない姿を見ると黙って居られない。どんなに怖くても、必要だと感じればその一歩を踏み出す。
「……ありがとう。こんな私の為に」
「もう、そんな事言わないで!」
かっちゃんは優しく秋桜の頭を撫でる。
その時…。
「わ、私………こ、こんなに……」
秋桜の背中から、突然蝶の羽根が生える。願いに苦しんでいた時と形状が違う。羽根全体に小さな穴が開いている。
「き、危険なのに!」
穴から小さな弾丸が一斉に発射される。虚が咄嗟に庇ったお陰でかっちゃんにダメージは無い。心以外は…。
「や、やっぱり…敵だったの」
「違う! 私、の意思…じゃない! 勝手に……」
かっちゃんの問いに、秋桜は泣きながら答える。その言葉に嘘は無い。しかし、今のかっちゃんには届かない。
「信じるんじゃなかった!」
秋桜は、他者の願いによって生み出された。今の姿も、力も、他者の意思によって形成されている。願いをその身に刻んだのも、弾丸を放っているのも、彼女の意思ではない。
虚は、かっちゃんを抱え、屋根裏から脱出。
弾丸を背中で遮りながら、廊下を走りトイレを目指す。生物ルートが適用されている虚とかっちゃんにとって、トイレが唯一の出入り口。
「待って! 逃げないで!」
秋桜の声が上から聞こえてくる。
「悪い、今は一旦退散する。だが、絶望するな。絶対に助けてやる!」
トイレの扉を開け、便器裏の壁を押す。壁が回転して外に。
外に出て直ぐ、家は轟音を轟かせ巨大な竜に変化する。重厚な鉄鱗に覆われ、広げた翼は辺りを闇に包むほど。
かっちゃんを宥めつつ、虚は竜の瞳を見つめる。
「助けるからな…」
竜は泣いていた。
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