第62話

「まあ、妹子いもこ殿にそういってもらえて、嬉しいです。ここにきた時は、和歌も詠んだりしてましたので」


稚沙ちさにとって、人から和歌を褒めてもらえるのはとても嬉しい。

日頃から、何かと失敗の多い彼女にとって、和歌が唯一の取り柄でもあった。


(そうだわ、今度は椋毘登くらひと蝦夷えみし達にも和歌を詠んでみようかしら?

ただ蝦夷は褒めてくれるかもしれないけど、椋毘登はどうなんだろう……)


あの椋毘登が自分を褒めてくれるなんてこと、本当にあるのだろうか。それはさすがに想像も出来ない。


「ただ、これは私の推測なのですが。君はここでは別の内容の和歌も読んでいたのではないですか?」


「別の歌ですか?」


稚沙には彼のいっていることの意味が、今一理解が出来ない。


(確かに、ここでは色んな和歌を詠んでいたけど……)


稚沙が一体何のことだろうと、首を傾げていると見て、小野妹子おののいもこはいった。


「そうですね……例えばこんな和歌とか」


そういうと彼は、彼女の前で即効で和歌を1つ詠むことにした。



「愛しきみ、思ひふえるも、験なし、虫も夕ぐれは、隠れて鳴く」


それを聞いた稚沙は、とても衝撃を受ける。これは愛しい人を想って、隠れて泣いている女性を意味する。


「い、妹子殿、どうしてそのような歌を……」


稚沙はそれを聞いて、とても信じられず、思わず息を呑む。

そして動揺の余り、声にはかなりの動揺が出ていた。


「はい。きみとは、先ほどいっていた厩戸皇子うまやどのみこのことです。稚沙、あなたは皇子のことを好いている、違いますか?」


今日初めて会った彼に、どうして自分の気持ちが気付かれたのだろう。稚沙には全く分からない。


稚沙は小野妹子にはっきりと自分の想いを当てられてしまい、思わず口をつぐむ。


「やはり、そうでしたか。今日宴で見かけた時、一瞬悲しそうな表情をしているのが見えたので。きっと厩戸皇子を好いているのだろうと思ったのです」


それを聞いて稚沙は思う。確かにあの時は厩戸皇子に全く相手にされず、悲しいと思ったのは本当だ。

まさかそのことをこの青年に見抜かれていたとは夢にも思わなかった。


「そうだったんですね……まぁ、自分が相手にされてないのは理解してますので。でもまさか妹子殿に気付かれていたなんて、本当に驚きです」


稚沙はそういってすっかり落ち込んでしまった。


前に椋毘登からも、自分は思ってることが顔や態度に出やすいといわれていた。

それに関しては、自分もだいぶ自覚はするようになってきた。


「あぁ、すみません。別に君を責めるつもりはないのです。ただ私が何となくそうじゃないかと思っただけなので……」


小野妹子は慌てて稚沙にそう謝った。

どうやら彼は、自分の厩戸皇子への想いをどうこういいたい訳ではなさそうだ。

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