第31話

「じゃあ、俺は渡したんで!」


彼は稚沙にそう話して、早い所この場を立ち去ろうとした丁度その時である。


「あれ、椋毘登くらひとじゃないか!」と、何やらまた別の誰かの声がしてきた。


2人は思わずその声の主に目を向けると、そこには1人の青年が立っている。

見た目からいうと、だいたい20歳前後ぐらいだろうか。


「あぁ、蝦夷えみし。お前も小墾田宮おはりだのみやに来ていたのか?」


椋毘登はふとその彼に返事をかえす。


椋毘登に蝦夷と呼ばれた青年は、そのまま稚沙ちさ達の側までやってきた。


稚沙もそんな彼を、ひどく凝視して見る。

背丈は椋毘登よりも少し高く、体つきも割りとしっかりとしていた。

そして目力がとても強い感じの青年に彼女は思えた。


(あれ、この人は確か……)


「俺も今日はちょっと小墾田宮に用事があってな。それでこの近くを歩いていたら、何やらお前に似たような声がしたんだ。

だが俺が思うに、ちょっといい合ってる感じにも聞こえたぞ?」


「悪い。ちょっとここの女官と少し話をしていただけだ」


椋毘登はやれやれといった感じで蝦夷にそう話す。


すると蝦夷は、椋毘登のとなりにいた稚沙にも挨拶をした。


「俺は蘇我蝦夷そがのえみし、あの蘇我馬子そがのうまこの息子だ。椋毘登とは従兄弟の関係といった感じかな」


(やはりあの蘇我馬子の息子なんだ。でも彼を間近で見たのは初めてかも?

確かにいわれてみれば、父親の馬子ともどことなく似ているような……)


稚沙はそんな蘇我蝦夷がとても新鮮に思えて、少し興味津々といった感じである。


「これは蝦夷殿、私はこの宮に女官として仕えております稚沙と申します。今回は何かと失礼な所を見せてしまいまして……」


稚沙はとりあえず、蝦夷に謝りも含めて挨拶をすることにした。


「あぁ、それは別に気にしてない。どうせ原因の半分は椋毘登だろうからね。

というか、俺はこいつが痴話喧嘩でもしてるのかと思ったんだよ」


「え、痴話喧嘩?」


稚沙は何故そんないい方をされるのか、今一理由が分からない。


「うん?椋毘登の女じゃないのか……

ということは今口説いてる最中だったのか。それは悪いことをしたな!」


蝦夷は少し愉快そうにしてそう話した。

つまり彼は、稚沙と椋毘登が男女の関係だと思ったようである。


それを聞いた稚沙が、慌てて誤解を解かなければと思った矢先、椋毘登の方が先に口を挟んだ。


「ふん、そんな訳があるか。だれがこんな子供じみた娘なんかを。

偶々知ってる相手だったから、少し話をしていただけだ」


(まさか椋毘登にまで、そんな事をいわれるなんて……)


稚沙は自分が幼く見られがちなのは十分に理解している。だが彼にまでそういわれると、妙に腹が立ってきた。


「こ、子供じみた娘で悪かったですね!さぁもう用事は済んだのでしょう。私も仕事が残ってるので、早くお引き取り下さい!!」


そういって稚沙は、そのまま入り口を勢いよく閉めて、部屋の中へと戻っていってしまった。


「お、おい、まてよ稚沙!!何だよあいつ。いきなり閉めなくても良いだろうに……」


椋毘登は、少し不満げにしてそういった。


そんな彼らを見て、蝦夷はかなり面白かったのか、思わず吹き出して笑い出してしまった。

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