蘇我蝦夷

第30話

炊屋姫かしきやひめ様も、こんなにたくさんの書物や木簡の仕訳をしておけなんて本当にひどい……」


 稚沙ちさはこの日炊屋姫からの指示で、書物等の仕訳をするよういいつけられていた。


 そして彼女の今いるこの部屋には、大量の書物や木簡が持ち込まれている。

 そのために彼女は、その余りの量に対して思わず愚痴をもらしていた。



 炊屋姫の誓願により、諸臣達がいよいよ本格的に仏教に本腰を入れるようになった。


 またそれと平行し、ここ倭国には他の国からの渡来人も日に日に増えてきている。


 今後は国内だけでなく、他国とのやり取りもより親密にやっていく事になるだろう。


 こういった変化もあってか、ここ小墾田宮おはりだのみやでは書物等が増える一方だった。


「私だって、もっと文字を書けるようになりたいな……」


 稚沙自身文字の読み書きは一応出来るのだが、わりと失敗も多く、木簡を書いては削っての繰り返しをよくしている。


 だがこれをやり過ぎてしまうと、さすがに他の女官達からも白い目で見られてしまう。


 なので失敗の多い時は、周りに隠れてこそこそと木簡を削り、その際も『もう、私のばかー!!』と良く嘆いていたのである。


 そんな記憶をぼんやりと思い出しながら、彼女は今黙々と仕分けの作業をやっていく。


(今日は厩戸皇子うまやどのみこがくるって聞いてるから、こんな仕事は早く終わらせたいわ……)


 そんな時である。


 部屋の外から急に「すみません、どなたかおられませんか?」と人の声が聞こえてきた。声の感じからして、相手はどうやら男性のようだ。


(うん?男の人にしては少し若い感じの声ね)


 稚沙は仕方なく立ち上がると、外から声をかけて来た人の対応をするため、いそいそと部屋の外へと向かった。


 そして彼女がいざ部屋の外に出た瞬間である。相手の人物は稚沙の姿を見るなり、少し驚いたような声を発した。


「どうしてお前がこんな所にいるんだ?」


 稚沙はいきなりそんな風に声をかけられ、ふと相手の顔を見た。するとそこにはあの蘇我椋毘登そがのくらひとが立っていた。


「はぁー、やっとこの部屋にたどり着けたと思ったら、まさかお前に出迎えられるとは……」


 椋毘登は彼女を見るなり、思わず吐息をもらす。そして心なしか、少し迷惑そうな表情をしているようにも見えた。


「ち、ちょっと。何、そんな嫌そうな感じでいうのよ!」


 彼女も前回の蘇我馬子そがのうまこの暗殺事件の時は、少し彼を見直したつもりでいた。

 だが彼のこんなの反応を見てしまうと、そうは思えなくなってしまう。


「今日は俺が小墾田宮に行くことになっていたから、ついでに蘇我からの書物を言付かってきた。

 だがここの人達が忙しそうだったんで、自分でここまで持ってきたんだ」


 彼は稚沙にそういうと、自分が持っていた書物を強引に渡した。


 稚沙は彼にいきなり書物を突きつけられて、どうしようもなく、大人しくそれを受け取ることにした。


 だがこれでは、彼女の仕訳の仕事がさらに増えてしまう形ととなった。


(どうしよう、仕事の量がまた増えちゃった……)

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