第5話 期待と諦め
夫とは七年前に結婚した。
私が三十五歳、夫が四十歳の時だ。
交際期間二カ月での結婚に、周りからは「失敗したらどうする」だの色々なことを言われたが、私たちには急ぐ理由があった。
子どもが欲しかったのだ。
女性の
私たちは結婚することには深い意味を見出せなかったが、子どもを産み育てるという行為には深い関心があった。
女性として生まれたなら一度ぐらい経験しても損はないのではないかと思っていた私と、老いた親の玩具としての子どもを求めていた夫。
私たちの意見は一致していた。
性行為の経験はお互いにある。
しかし子どもを作るためという目標のもとに行うそれは、理解しているつもりでも何かが違った。
感情的なものを全て脇に置いての行為は、私たちの神経をひどく疲弊させた。
それでも半年もすれば自分は妊娠するのだろうと、根拠のない自信だけはあった。
毎月、排卵日に合わせて定期的にタイミングも取っている。
こちらの準備は整っているのに月のものが訪れる度「何故自分は妊娠しないのか」と不思議で仕方がなかった。
そうして二年が過ぎた頃、私は夫に切りだした。
「不妊治療、やらない?」
夫は目も合わせず、私に言った。
「俺に問題はないぞ。お前の畑が悪いんじゃないか?」
何の根拠もなく自分には非がないとあっさり言い切った夫の態度に、私は驚いた。
その後も何度か治療を提案したものの、夫は一切耳を貸さなかった。
本当に子どもを欲しているのなら、専門の病院できちんと原因を特定するべきだ。
私たちに残されている時間は、決して多くはないのだから。
しかし、私はなぜかこのことについて夫に強く言えなかった。
踏み切れない私と、避ける夫。
理由は分かっていた。
子どもが出来ないのは、私と夫、どちらに責任があるのか。
それを明確にすることが怖かったのだ。
子ども一人授かることが出来ない機能不全を抱えた身体であることを知らされたくない私と、何も創造することの出来ない体液をただ放出するだけの存在であると知りたくない夫。自分たちにとって欠けているものを目の前に突き付けられることが何より恐ろしかった。
そうして私は、治療についての話題を口にしなくなった。全てを曖昧なままにして、ふとした拍子に宿ることがあるかもしれないという可能性の余地を残し続けることを選んだのだ。
子どもが欲しくて一緒になったのに、結局結婚から七年経っても家族は増えなかった。
今思えば、私一人でも検査へ行くべきだったのだろう。
そうすれば、どちらに問題があるのか明らかになっただろうし、程度によっては何等かの治療を施すことで事態は進展していたかもしれない。
それでも私は行かなかった。
行けなかったのではなく、自分の意志として行かなかったのだ。
結婚したそもそもの理由を見失った私たちは、それでも離婚という選択をしなかった。愛情があるからとか、もしかしたら妊娠するかもしれないからとか、そんな理由ではない。
ただ、お互いにもう誰か別の人と子どもについて深く考える、正面から向き合って現実を見つめる気力と体力を削がれていたのだ。相手が違っていたなら子どもも出来たかもしれないが、その可能性に賭けるには私たちは既に年を取り過ぎていた。
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