第6話 弱さには弱さを
西日が部屋の窓から差し込み、床に二つの影が落ちる。
私は安永さんの家で、吐き出すことも出来ずに膨れ上がっていたものをすべて出した。安永さんは聞き終えると「そうでしたか」と言い、その後しばらく何も話さなかった。私は目の前に置かれた湯呑を手に取り、緊張と安堵と不安がごちゃ混ぜになった気持ちを鎮めようと口を付けた。ぬるいほうじ茶が喉から胸、そして胃へじわりと流れ込んだ。
「会って二度目の親しくもない方に、どうしてこんなことを話してしまったのか、ちょっと今、自分でも混乱しています。気持ち悪くて本当にごめんなさい」
私は頭を下げた。これからはスーパーで見掛けても、きっと目を合わせてもくれないだろう。私はそのことを残念に思った。
安永さんはゆっくり立ち上がると冷蔵庫から何かを取り出し、テーブルに置いた。
「これは」
小さな白いココットに入ったプリンがふたつ。
「妻が事故に遭う前の日に作っていたものと同じレシピで作ったプリンです。昨日、何となく思い立って作ってみたんですけど、一人で食べるのがどうしようもなく怖くて」
安永さんの手が、テーブルの上でぎゅっと組まれる。
「一緒に、食べてもらえませんか」
そう言うと、安永さんは少し頼りなげに笑った。
「巻き込んでしまうようで心苦しいのですが」
お願いしますと頭を下げられる。
自身の弱さを示すことで、私の中の罪悪感を薄めようとしてくれているのかもしれない。安永さんの気遣いに、私は恐縮した。
目の前に置かれたプリンは全卵を使っているのか生地の色はごく薄めで、ところどころに白い塊がある。
「やっぱり卵白が上手く混ざらなくて、茶碗蒸しみたいになってしまいました」
恥ずかしそうに目を伏せる安永さんを見て、「この人は本当にいい人なんだな」と私は心から思った。
「いただきます」
プリンはしっかりと蒸し固められている。
口の中に入れると、少しざらりとした食感が残った。カラメルを生地に絡めて二口目を食べる。苦味の強さが舌に残り、お世辞にも美味しいとは言えなかったけれど、今の私にとってこのプリンは世界で一番優しい食べ物に思えた。
三口目に進まない私の様子を見て、安永さんはハッとした顔をした。
私は泣いていた。泣きそうだなと思い、泣いてしまうと分かっていて、泣いた。
この人は、目の前にずぶ濡れの猫がいたら、真新しいバスタオルで雫を拭える人だと分かったから。
「ポージィという名前はマザーグースの詩と同じように、あなたが色々な物を諦めて、捨ててしまったように感じていたからなんですね」
私は言葉を出さずにこくりと頷いた。
「ご主人がどんな方なのか、僕はお会いしたことがないので分かりません。でも、ポージィさんがどんな方なのかは、少しわかった気がします」
「私は……安永さんから、どんな女だと思われているのでしょうか」
怖くて目が合わせられず、俯いたまま尋ねる。
「とても優しい人ですよ、ポージィさんは」
「私なんて、夫のことも子どものことも単に逃げてるだけで、少しも立ち向かえないダメな人間です」
「自分の弱さを認めてらっしゃる時点で、ちっともダメじゃないです。僕なんてひとりでプリンのひとつも食べられないんですから」
「安永さんは私のような他人の話を聞いてくれて、親切にしてくださるじゃないですか。私も」
安永さんのような人と結婚したかった。
そう言い掛けた自分に驚いて、口を
何だ。
今、私は何を考えた?
突然黙った私に対して、安永さんは不思議そうな表情を浮かべている。
私は場を繕うように言った。
「私も、色々聞きたいです。もし良ければ奥様のこと、話してもらえませんか」
「え」
「私も夫のことを話します。安永さんさえ良ければ誰にも言えなかったことを、プリンでも食べながらたくさん話しましょう」
私の申し出に困惑していた安永さんだったが、勢いに気圧されたのか「僕で良ければ」と頷いた。そうして私と安永さんは、ただの顔見知りから週に一度、プリンを挟んで向かい合う間柄になった。
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