第3話 アフタートーク

 オフ会は一時間半ほどで終わった。

 

 メンバーがそれぞれ連絡先を交換しながら「今度日本に初上陸したパンケーキの店に行きましょう」などと和気藹々としている中、誰からも尋ねられなかったのが妻のプリンが好きだと言った男性と私だった。気配を消してその場を離れた私たちは、どちらからともなく違う店でもう少し話しませんかという流れになった。

 

 おしゃれでも何でもない、ごく普通の街の喫茶店に入り、私は冷たい紅茶を、彼はそれにミルクを添えたものを注文した。


「何だか疲れましたね」

「本当に」


 張っていた気が緩んだのか、私たちはお互いに顔を見合わせてほんの少しだけ笑った。

 

「どうしてあの会に参加されたんですか?」


 男性は尋ねる。


「……私、とにかく甘いお菓子が好きなんです。食べるとそれだけでもう嬉しくなるというか、気持ちが安らぐというか。だからブログは食べたお菓子の写真と一緒に、コメントを一言二言添える程度で。こんなささやかな気持ちを共有できたらと思ったんですけど、ちょっと予想していたのと違いました」


 注文していた紅茶がテーブルの上に差し出される。

 ストローに口元を近付けると、濃いベルガモットの香りが鼻についた。


「あの、奥様はご病気か何かで?」

「え」

「好きなスイーツの話をしている時に、入院中だと仰っていたので」

「あぁ、そうなんですよ」


 男性も紅茶を飲むと、言葉を足した。


「事故に遭いまして」

「事故ですか。それは大変でしたね」

「医者からは、もう意識が戻らないかもしれないと言われています」


 想像していたよりも状態が悪かったことに驚き、骨折程度かと思っていた私は固まってしまった。

 大変でしたねという言葉は、本当に大変な状況の人に対して使うべきではない。

 私の反応を見た男性は「あ、いや、すみません、こんな空気にしたかった訳ではないんです。重い話をしてしまって申し訳ありません」と謝った。


「いえ、お尋ねしたのはこちらですから。立ち入ったことを聞いてしまってすみませんでした」

 

 私も慌てて頭を下げ、紅茶をひとくち啜ってから違う話を振った。


「オフ会の参加者ということは、ブログ、やってらっしゃるんですよね」

 

 男性は自分のスマートフォンを開き、私に向けて見せた。


「妻のやっていたブログが、プリンに関するものだったんです」


 表示されていたのは、表面に焼き目が付きすぎたプリンの写真を掲載したブログの一部だった。


「これ、奥様の手作りですか」

「そうです。不器用なのに創作意欲だけは人一倍どころか五倍ぐらいあって」


 男性は目を細めて苦笑した。


「美味しいプリンに出会うと自分でも作ってみたくなる性分だったんですが、残念なことに腕がついてきてなくて。いつも試食をしながら『レシピ通りに作ってるんだけどなぁ』と小難しい顔をしていました」


 柔らかな視線を画面に向けている、五十代半ばの男性。

 他人の前であろうともパートナーのことを大切に想う姿を隠さない姿勢は、とても好ましかった。


「記録を取ることは大切だし、それを他人様ひとさまに見てもらって評価してもらうのも腕をあげるには重要だからと、ブログを始めたんです。彼女がアップした記事には色々な方が丁寧なアドバイスをくださっていたみたいで、本人もとても喜んでいました。マメに更新してはやりとりを楽しんでいたのに、あんな状態になってしまって。更新が止まっていることについて気になっている読者の方もいらっしゃるのではないかと思ったんです」

「だから、オフ会に参加されたんですか。その読者の方がいるかもしれないと」

「そうです。でも、失礼ながらあの集まりにはそんな雰囲気の方はいませんでした」


 残念そうな顔で、男性は紅茶をぐっと飲み干した。


「いやでも、私みたいな年の人間がいて、きっと皆さん困ってしまっただろうなぁと思うと、何だか申し訳なかったです。ポージィさんは、ああいった集まりに何度かいらっしゃったことがあるんですか?」

「いいえ、初めてだったんです。私、専業主婦なんですけど、昔からの友人は皆遠いところに住んでいて、新しい知り合いを作る機会もなくて。この閉じた感じが毎日続くのかなと思ったら、何だかゾッとしたんですよね……。違う空気を吸えるなら何でも良かったんですけど」

「あまり気分転換にはならなかった」

「ですね」

 

 私たちはオフ会の様子を思い出し、また笑った。

 ふと、左腕の時計を見ると、午後5時を少し過ぎていた。


「そろそろ出ましょうか。お夕飯の支度をしないといけないでしょうに、長々とお引き留めして申し訳ありませんでした」

「とんでもないです。こちらこそ楽しい時間をありがとうございました。ええと…」

「安永です」

「安永さん。それじゃあ」


 もう会うこともないだろうに、どうして私は名前を知りたいと思ったのだろう。

 そして私は、どうして本当の名前を名乗らなかったのだろう。

 喫茶店を出て、一度だけ振り返った安永さんに軽く頭を下げながら、私は自分の中にある「どうして」について、あまり深く考えないように蓋をした。

 

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