第48話 君のことも、守りたかった

 火中の杜は、更に激しい大嵐に見舞われていた。


 結人と千生実は、強風と横なぶりの雨に身体がもっていかれそうになるのを堪えながら、かつて葉桜丸が封印されていた桜の大樹の丘を目指す。

 丘の麓まで来たところで、結人と千生実はようやくはっきり見えた丘の頂上を見上げて、大きく目を瞠った。


 丘の上では、巨大な獣にも似た本来の姿へと変身した葉桜丸が、無数の怨霊たちに襲われ、血みどろになっている。そんな中でも葉桜丸は己の血肉から「灰花かいか」の灰を削り出して雨と共に辺り一帯へ降り注がせ、灰から生み出した霊木を媒体に幾重もの結界術を展開して、必死に鬼の大怨霊の出現を食い止めていた。


 結人はこちらにも襲い掛かってくる怨霊たちを、鎌鼬の辻風で追い払いながら、一気に丘を駆け上る。

 そして、黒い鬣と流れ出る血を振り乱し、怨霊たちへと吠える葉桜丸へ大きく呼びかけた。


「葉桜丸!」


 結人の声にすぐに反応した葉桜丸がこちらを振り向くのと同時に、するすると獣の身体からいつもの人型の鬼の姿に変容してゆく。

 人型となっても血塗れな葉桜丸は、結人を前にして、微かに目を見開くと、激しく噎せるように吐血してその場にふらりと膝をついた。結人もすぐに葉桜丸へと駆け寄って跪き、丸まった葉桜丸の大きな背中に手を添える。


「来るのが遅くなってすみません、葉桜丸!」

「ごほっ、ごほ……やはり、来てしまったか……」

「当然です。葉桜丸、まずはこれをお返しします」


 結人は千生実から返してもらった六火の錫杖を、葉桜丸に差し出す。葉桜丸は、頷きながら錫杖を受け取った。


「錫杖を盗んで、本当にすまなかった……鬼さん」


 寄り添う二人のそばに歩み寄ってきた千生実が、葉桜丸に謝罪の言葉を口にして一度深く頭を下げると、荒れくるう空を仰いだ。


「……俺が霊体に戻って、鬼さんが今広く展開している結界術と一体化し、加えて椎塚家相伝の鎮魂術を使おう。そうすれば、荒ぶる怨霊たちが一時的に大地に留まって鎮まるはずだ。その隙に、鬼さんが錫杖を使って完全な封印術を展開させてくれ」


 霊体に戻る。それはもう、千生実が完全な死者となって、現世には留まれなくなることを指していた。

 そんな捨て身のようなことを淡々と語る千生実に、結人は思いがけず声を上げる。


「そんなことをすれば、千生実が……!」

「いいんだ、先輩」


 千生実は明るく結人に笑って見せる。

 ふと、千生実は、葉桜丸のもとへと歩み寄ると視線を合わせるように跪いて、葉桜丸の肩を軽く叩いた。


「鬼さん。あんたにはまた、酷な役を押し付ける。何もかも全部、俺のせいだ。赦してくれなんて言わない。人間が……俺が憎くて堪らないだろうが。どうか、全ての怨霊を鎮めるため。力を貸して欲しい」


 千生実の懇願するような、震えている低い声に、葉桜丸は小さく鼻を鳴らして首を横に振った。


「……何をいまさら」

「そんで、結人を……先輩のことを、頼むよ」

「……」


 千生実がまた、葉桜丸の肩を強く掴んで、揺さぶった。

 葉桜丸は千生実を一瞥しただけで、何も応えることもなく立ち上がると、千生実から離れた。

 葉桜丸の無言のに小さく苦笑すると、次に千生実はそばで跪いていた結人の腕を掴んで、結人と目を合わせる。結人は真っ直ぐに千生実を見据えると、眉を下げた笑みを小さく零した。


「……君の憎しみはもう、いいんですか?」

「ああ。娘が生きる世界を。娘が笑って楽しく生きてる世界を、父親が滅ぼすわけにはいかないからな。ただ……先輩にも今まで、ずいぶんと迷惑をかけた。本当にすまない」

「何を言ってるんです。迷惑をかけてこその後輩でしょう? 先輩のしがいがあるってものです。だから千生実は、何も気にしなくていい」


 結人はにかりと、いつものように笑った。

 そんな結人の笑い顔を向けられた千生実は、また目を赤くして、泣き笑いを見せながら結人を強く抱きしめた。

 結人は一瞬身体を強張らせたが、すぐに千生実の背中へと手を回して、子どもをあやすような手つきでぽんぽんと叩いてやる。


「結人——先輩。あんたと出逢えて、本当に良かった。あんたがいなかったら、今の俺はない。屍だった俺を生かしてくれて、この気持ちを教えてくれて……ありがとう」


 その言葉を最後に、千生実は跡形もなく消え去った。

 結人は千生実が消え去ったのと同時に、その場に崩れ落ち、額を地面に擦り付ける。千生実を抱きしめていたはずの腕を震わせて、もう感じることも二度とない千生実の体温を探すように、己の身体をきつく抱きしめた。


「……ばか」


 結人はか細い声で、最後に後輩への悪態を初めて絞り出した。

 併せて、丘の大地が淡く光り輝き始めて、結人は顔を上げる。大地から漏れ出る光からは、さっきまで腕の中にあった気配がする——千生実の霊体が、鎮魂の術を展開したのだ。

 大地から溢れ出た白い光は閃光となって真っ直ぐに上空に放たれると、枝垂れ柳の花火の如く散って怨霊たちを捕え、荒ぶる怨霊たちを大地へと引き戻してゆく。


「後輩が、怨霊たちを大地に縛ったな……人間のくせに、やりおるわ」

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