第42話 災禍の目覚め
「
不意に、耳慣れた声が呪文を唱えると、激しい辻風が巻き起こり、葉桜丸に覆いかぶさろうとしていた無数の怨霊たちを吹き飛ばす。
葉桜丸ははっと息を吞んで、顔を上げる。目の前には、喪服の細い背中——結人が、大鎌を千生実に向かって構えていた。
風の鎧を纏った結人が葉桜丸を庇うように立ちふさがり、鋭い目つきで千生実を見据えている。そんな結人と対峙した千生実はひどく動揺したように瞳を揺らして、一歩後退った。
「な、んで。先輩が……まさか、今までの、全部聞いて……」
「千生実。君の事情は、僕も全て知っています——実美さまが、君との過去や、君の企みを記した手記を残しておられましたから。きっと、実美さまは己の行いを……己の犯した罪を深く悔いるのと共に。君を止めたかったのでしょう」
結人が苦しそうに眉根を寄せて、一度だけ目を伏せる。しかし、再び視線を上げた時には、揺るぎない決意と悲しみが織り交ざった、美しくも真っ直ぐな赤い眼差しを、千生実に突き刺した。
「この地に生きる逢魔師として。千生実、君が成そうとしていることは、何としても僕が止める。そして何より、どんな理由や過去があろうと。僕の賓を、僕の大切なヒトたちを傷つけようとするのであれば……千生実だろうと、僕は容赦しない」
毅然とした態度で、結人は更に腰を落としていつでも大鎌を振るえるように再度構える。
結人の言葉に小さく息を吐きながら、己の封印が落ち着いてきた葉桜丸は何とか立ち上がって、結人の前に出た。
「強がるな、結人……後輩を相手に、震えておるぞ」
「……僕は、だいじょうぶです」
葉桜丸と結人を前にした千生実は、視線を泳がせて身体をふらつかせると、両手で髪を搔き乱した。
「ちが……ちが、う。違うんだ、先輩。俺はただ、先輩と一緒に……ああ、これも全部……お前たち依代のせいだあ!」
千生実が錯乱したように叫びを上げる。併せて、千生実は錫杖を滅茶苦茶に振り回して怨霊たちを使役すると、怨霊たちを葉桜丸に向かって解き放った。
大量の怨霊たちが濁流の如く押し寄せてくるのを前にして、葉桜丸は肩で息をしながらも片腕を前方へと掲げて、怨霊たちを待ち構える。
しかし、不意に葉桜丸の身体に衝撃が走って、気が付けば葉桜丸は横へと吹っ飛ばされていた。葉桜丸は思わず瞠目して、瞬時に視線を巡らせる。すると、一瞬前まで葉桜丸が立っていた場所には大鎌を遠くに放った結人が立っており、結人だけが怨霊たちの濁流に呑まれる姿が目に入った。
結人がまたもや葉桜丸を身を挺して庇ったのだと、すぐに葉桜丸は悟る。
「結人!」
反射的に叫んだ葉桜丸は、倒れ込みそうになった体勢をすぐに足を踏ん張って立て直すと、怨霊の黒い濁流の中へ一切の躊躇もなく手を伸ばす。
「九魔と共に眠りし産土神よ! 我が言の葉に応え、
葉桜丸が大地に語り掛けるように声を張ると、怨霊の黒い濁流の中に吞まれた葉桜丸の両手の甲に光り輝く桜の紋様が浮かび上がる。すると、怨霊の濁流が、泡が弾けるようにパン! と消え去り、泡の中から出てきた結人はふらりとその場に
葉桜丸は咄嗟に倒れ込んだ結人を抱きかかえる。
「う……あ……!」
半ば気を失っている結人は蒼ざめた顔で低く呻いており、怨霊の瘴気によって身体が蝕まれているようだった。
「……先輩、すまない……だけどこれも全部、先輩のためなんだ。許してくれ」
そう小さく呟いた千生実の声が耳に入って、葉桜丸は千生実の方を振り向く。しかしそこにはもう、千生実の姿はなく、怨霊たちと共に煙の如く消え去った後であった。
「……後輩め。馬鹿な男だ」
葉桜丸は小さく息を吐いてぼやくと、再び抱きかかえている結人に目を向けて、苦しんでいる結人の額へと片手をかざす。葉桜丸の手の甲に光り輝く桜紋様が浮かび上がり、結人の体内に沁み込んでしまった怨霊の瘴気を、葉桜丸は少しずつ吸収していった。
その間に結人の肩へと、怨霊たちから逃すために結人によって遠くへと放り出された鎌鼬が登ってきて、心配そうに結人と葉桜丸を見比べながら小さく鳴く。
葉桜丸は鎌鼬へと軽く頷いて見せた。
「怨霊の瘴気に、結人の肉体が毒されておる。私なら瘴気を祓えるが、結人が目覚めるにはしばし、時間がかかりましょう。鎌鼬殿は、この事を山に偵察に行っておられる梔子殿にもお伝えくだされ。私は結人を家へと連れ帰り、瘴気祓いに集中いたそう」
葉桜丸の言葉に一声鳴いて鎌鼬は頷き返すと、結人の肩から降りて、すぐに梔子のもとへと向かって走り出していった。
ふと、結人の蒼ざめた白い頬に、ぽつぽつと水滴が落ちてくる。空を仰ぐと、曇天の黒く分厚い雲から、あっという間もなく滝のような土砂降りが降り始めた。
葉桜丸は結人を抱え直して立ち上がると、眉根に深い皺を刻んで、足早に歩き出した。
(怨霊たちの目覚めと共に、神々の機嫌も悪くなってきたな……いよいよ、厄災がこの地に降りかかる兆しが見えてきたか)
椎塚家が数百年受け継いできた怨霊の封印が解き放たれたことで、既にもう、この九魔の地に残された時間は少ない。
六火の錫杖を奪われた、己の肉体に刻まれた封印の限界も然り、だ。
迫りくる滅びの兆しを、己の肉体の底からひしひしと痛いほどに感じながら、葉桜丸は苦しそうに眠る結人を連れ、今にも大地に叩きつけられそうな黒い土砂降りの中。結人の自宅を目指して駆け出した。
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