第39話 子鶴の涙
ひと気のない縁側に来た結人と珠鶴は、並んで縁側から足を垂らして座る。
外を見上げると、空は今にも鈍色の雲が地上に重く垂れ込んできそうな曇天であった。遠くで雷が低く唸る音を聞きながら結人は再び珠鶴に目を向けると、ここに来るまでずっと黙り込んでいた珠鶴は膝を抱えて、その膝に顔を埋めている。
「珠鶴」
結人は柔い声色で、珠鶴に声を掛ける。
珠鶴は震える声で、ぽつり、ぽつりと、小さな声を零し始めた。
「……結人さんもご存知の通り、わたしにはお父さんがいなくて。わたしとお母さんは
珠鶴が膝から微かに顔を上げる。その大きな瞳からは、涙がしとしとと溢れ落ちていった。
正気を失ったふりをしている実美しか知らない結人は、珠鶴が語る普段の実美の人物像に驚いて目を瞠る。
「贄産みの一族、というお噂も耳にしてたんです。椎塚家で生まれたお子さんが、次々にいなくなってゆくのだと……実美さまが、鎮魂の儀の贄にしているのだと。でもそんなこと、わたしには信じられなかった! あんなにもやさしかった実美さまが、そんなこと……! お母さんに聞いても、お母さんは『私たちだけは実美さまを信じましょう』と言うだけで、何もわからなくて……何も聞けないまま、実美さまは、いなくなってしまいました」
珠鶴が嗚咽を上げながら、結人を振り向く。結人は、震える珠鶴の細い肩を抱いて、静かに寄り添った。
「実美さま……わたしの額の痣を、鶴のようで美しいといつも仰ってくださって……わたしの、〝珠鶴〟の名付け親でも、あったのです。なのにわたし、お礼も言えないまま……実美さまを疑ったまま、最後にお会いした時も、何も、言えなかった……!」
「うん……」
泣きじゃくる珠鶴の身体を、結人は何度も
しばらく、結人にしがみつくように泣いていた珠鶴であったが、少し落ち着いたのか、結人から身体を離して深呼吸をすると、赤くなった目元を緩めて小さく笑った。
「ごめんなさい、結人さん。いきなり、泣いたりして……」
頭を下げる珠鶴に、結人は目を伏せて首を横に振る。
「気にしないでください。実美さまのことは、本当に残念でしたから……僕も実美さまにお聞きしたいことがあったんですが、聞けずじまいでした」
結人は微かに眉根を寄せて、曇天を仰ぐ。
実美が急逝してしまったことで、気がかりなことはいくつもある。
先日、蟒蛇から聞き及んだ、実美が持ち去った葉桜丸の六火の錫杖の行方。ここ数か月にわたって多発している怨霊跋扈の件。
そして、何より危惧しているのは——怨霊の依代であった実美が死んでしまったことで、数百年にわたって封じられてきた怨霊たちが、解き放たれてしまうのではないか、ということだった。おそらく実美は、依代の役目を誰にも引き継ぐことなく死んでしまったに違いない。
(……このままでは、九魔の地に今以上の無数の怨霊が跋扈し、九魔に大きな災厄が降りかかる。鎮魂の術に詳しい千生実や葉桜丸と相談して、どうにか怨霊を鎮めなければ。御館様にも知らせたいところだけど……信じてくれるか否か……)
物思いに耽る結人に、「あの、結人さん」と珠鶴の声が掛けられて、結人は我に返ると珠鶴を振り向く。すると珠鶴は、何やら一冊の手記のような古びた書物を、結人に差し出してきた。
「実は、お話したいこととは、これのことです——この手記は、実美さまが亡くなる直前。実美さまがわたしに託されたものなのです。実美さまには、『櫛笥結人さんにお渡ししてください』とだけ、言われました」
どういうことだと、結人は大きく目を瞠る。
「! ……実美さまが、僕に?」
「はい」
驚愕して目を瞬かせる結人に、珠鶴が力強く頷いて見せる。結人は珠鶴の意志の強い視線に小さく息を呑むと、頷き返した。
「……ありがとうございます、珠鶴。こちらの手記、有り難くいただきます」
結人は珠鶴から手記を受け取ると、しばらく頁を繰って、手記に目を落とす。
文字列を追うごとに、結人の赤い目は徐々に大きく見開かれ、瞳が揺れた。
結人はとある頁で手をぴたりと止めて「は?」と無意識に声を漏らすと、ふらふらと首を横に振って、小さく独り言ちた。
「……千生実が……十年前に、死んでいる?」
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