第37話 君は友以上に、我が春
結人はまた、視界が涙で滲んでいくのがわかった。
葉桜丸の壮絶な過去が、あまりにもどうしようもなく、悲しくて——自分のこと以上に苦しくて、胸の奥底が軋んで、痛くて堪らなかった。
「そんな時に、一つの話が舞い込んできた——九魔という土地に落ち延びた鬼たちが人間を呪うあまり大怨霊と成り、鬼の国をも滅ぼさんとする大厄災に成り果てたと。その怨霊たちの依代となって、怨霊たちを慰めねばならない鬼が必要だと」
葉桜丸が目を伏せて、静かに息を吐く。
結人は「まさか」と言葉が口をついて出た。
「そのような役目、務まるのは私しかおらぬと即座に思い至ったよ。鬼の大将鬼童丸は失われ、多くの同胞が死んでいった大戦のきっかけとなったのは他でもない、私であったのだから。それに、〝醜い怪物〟であり〝無能の夜叉〟でもある私にこそ、最も適している役目ではないかと」
葉桜丸が小さく自嘲する。
「私は姉たちの制止も振り切ってこの九魔の地を訪れ、大怨霊たちによって弱り果てて眠りにつこうとしていた九魔の産土神と、九魔の守り人となる契約を交わした。九魔の地を守る理由など一つも無かったが。他の鬼一族に合わせる顔が無くてな——私が悠久の時を以て怨念を全て浄化しきるまで、九魔の地に他の鬼を一切立ち入らせないというくだらぬことを条件に、私は鬼の大怨霊の依代となった。私が探しておる六火の錫杖も、契約の際に産土神から授かった、大怨霊を封じる神器だ」
葉桜丸が伏せていた目を上げて、ゆっくりと結人を振り向く。
その灰色の瞳は、揺らぐことなく、凪いでいた。
「これが、千年以上を生き、内の八百年を九魔の地で封印の眠りについておった鬼。涅哩底王羅刹——私の全て。そして、この九魔の地が〝呪われし大地〟とされる、
つまりは、葉桜丸も実美と同じ、怨霊の依代であったのだ。
その事実に加えて、結人は葉桜丸の半生をおもわずにはいられない。
人間によって人質とされ、永い間の孤独と共に「醜い怪物」と蔑まれ続け。挙句の果てには、肉親を目覚めぬほどに傷つけられてしまったうえに、数え切れないほど多くの同胞を殺されたのだ。
それを数百年ずっと、怨霊たちを慰める眠りの中で、「全て己のせいだ」と葉桜丸は責め続けている。
途方もなく、痛くて、苦しくて、悲しくて——さみしいことだと、結人は思った。
結人が葉桜丸の身であったなら、口にするどころか、思い出すことすら耐え難いことだ。
結人はまた、いつの間にかぽろぽろと涙を溢れさせながら、すぐ目の前まで歩み寄って来てくれた葉桜丸を見上げる。
「そんな、大切なこと……話すのも、痛くて、苦しくて堪らないだろうに。真名まで、教えてくれて……本当に、よかったのか? あなたを苦しめた人間の、僕、なんかに」
もう、いつも心掛けている丁寧な口調も忘れて、結人はただ、葉桜丸の心をおもった。腐るほどに傷ついて、数百年の悠久の間もずっと痛くて堪らなかったであろう、ぼろぼろの葉桜丸の魂をおもって、泣くことしかできなかった。
そんなことしかできない自分の無力さが歯がゆくて、悔しくて、結人は唇を嚙みちぎってしまいそうなほどに食いしばった。
「なんか、などではない。結人だからこそ、教えてもよいと思った。結人ならば、信じてみても、悪くはないやもしれぬ。ただ、そう思い至っただけだ」
葉桜丸は小さく笑うと、大きな手で結人の片手を握って呟く。
「ゆえに。私の痛みまで拾って、そう何度も泣くでない。泣き虫か、お前は」
結人は片腕で涙を拭うと、葉桜丸の大きな手を柔く握り返しながら、真っ直ぐに葉桜丸を見上げた。
「そうですね……教えてくれてありがとう、葉桜丸。そして僕は、改めてここに誓います。あなたと金蘭の契りを交わした逢魔師として、何より、あなたを大切に思う……友人として。僕はあなたの、力になりたい」
己が抱く、昏い孤独の痛みは今も尚、留まることを知らない。だからこそ、葉桜丸の痛みも結人は自分の事のように思い知ることができた。
生きている限り、孤独の痛みは、完全に癒せるものではない。だが、生きてさえいれば──共に痛みを分かち合い。弾けるばかりの喜びや、何かを楽しみ、想うときめきも同じように分かち合うことができる。
痛みの上から、そういう生きることの喜楽を積み重ねてゆくことで、自分たちのか弱い心は痛みと共に生きることができるのかもしれない。
どんな形でもいい。結人はそうやって──葉桜丸と共に、生きてみたいと。心の底から、願うように。思わずには、いられなかった。
互いに重く抱え込んだ、この痛みの先にある春を。葉桜丸と共に生きてみたいのだ。
「それはそれは。頼りにしておるぞ、結人よ——さっそくだが、仕事だ。あれを見よ」
結人の身勝手な願いを知らずか、それとも見透かしてか。葉桜丸は珍しく冗談めかしたように笑って、結人に顎を振って見せる。
結人は、葉桜丸が顎で示した方を振り向くと、そこには目を覚ましてこちらをじっと見据える蟒蛇の姿があった。
「酒の匂いに釣られて、この見慣れぬ地に入り込んだが——何やら、この地は禁足地であったようだな。我が無礼を許されよ、鬼の君。そして、櫛笥の逢魔師どのよ。何故おぬしがここにおるのだ?」
蟒蛇は鬼火桜の根に縛られながらも、頭をもたげて結人を不思議そうに見下ろした。
結人は蟒蛇に駆け寄ると、すぐに早口で問いただす。
「蟒蛇! 寝起きのところ悪いのですが、聞きたいことが……近頃、この辺りをうろついている逢魔師を見かけたりしませんでしたか?」
結人の問いに、蟒蛇が微かに目を見開く。
「逢魔師……ああ、そういえば。先日、錫杖を持った椎塚の当主を見かけたぞ。椎塚の当主は、先代から跡目を継いでから滅多に外に顔を見せておらんかったからな。ずいぶん珍しいことだと思ったよ。よく覚えている」
蟒蛇の言うことに結人は瞠目して、弾かれたように葉桜丸を振り返る。
葉桜丸は目を細めて、結人に頷いて見せた。
「人間に化けた私を〝鬼の大将〟と呼びおった時から、まさかとは思うておったが……やはりあの
結人は葉桜丸の推論に驚愕して、更に目を大きく見開いた。
「六火の錫杖には、怨霊を操る力があるのですか?」
「左様だ。依代たる私が生きている限り、鬼の怨霊の封印は固い。それは実美も同じはず。しかし、六火の錫杖があれば——封印されし怨霊たちを、思うがままに操ることも可能となる。つまり、今現在。九魔の地を脅かしておる怨霊跋扈の件は、実美が引き起こしている事象に相違ないと言える」
葉桜丸の言葉を聞いた結人は、細く息を吐き出すと、鋭い視線で葉桜丸を見返して頷いた。
「それが確かなら、一刻も早く——実美さまにお会いしなければ」
その翌日の早朝。
結人と葉桜丸は、再び実美と話をするため、椎塚家の本家を訪ねる。
しかし、早朝にもかかわらず、椎塚家にはたくさんの逢魔師たちが押し寄せており——彼らが言うには。椎塚家が当主、椎塚実美が逢魔師連本部にて昨晩、自害していたのだと。
思いもよらぬ顛末が、結人と葉桜丸にもたらされたのであった。
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