第35話 酩酊せし大蛇の主

 オオオォォ……!

 土煙が上がっていた場所に駆け付けた結人と葉桜丸。そこには、低い咆哮を上げて、火中の杜の鬼火桜を蹴散らし、暴れ回る巨大な蛇の姿をした妖怪が一匹いた。


「あれは、蟒蛇うわばみ……! 火中ほなかもりの外にある川の主です! それにしても、様子がおかしいようですが……」


 蟒蛇は、結人も面識のある、数百年は生きる古い妖怪であった。

 しかし、いつもの蟒蛇は非常に大人しく、賢い妖怪であるはずだ。だというのに、現在は我を失ったかのように所かまわず暴れ回っていることを結人は訝しんで、眉根を寄せる。


蟒蛇うわばみか。妖気からして、数百年は生きる大物とみたが……成程。酒好きの性が抜けぬ奴め。鬼火桜の根を喰ろうたか」


 葉桜丸の確信を持ったような言葉に、結人が目で問いかける。すると、葉桜丸は横目で結人を一瞥して、短く語った。


「鬼火桜には、〝神酒みき〟と呼ばれる酒が血のように流れておる。蟒蛇は神酒の匂いに釣られて鬼火桜の根を喰らい、神酒に酔って暴れておるのだろう。大蛇おろちは、太古より酒好きの性には抗えぬからな」

「そういうことでしたか! では、酔って我を失った蟒蛇から話を聞くには……やはり」

「ああ。力尽くで酔いを覚ましてやるしかあるまいて」


 結人と葉桜丸が顔を見合わせていたところに、蟒蛇の長い尾が地響きを立てて叩きつけられた。葉桜丸は身軽に高く宙返りをして躱し、結人は横へと飛び退いて避ける。

 結人は大鎌を構えると、素早く呪文を唱えた。


水面みなもに囚はるいをよ、黄雀こうじゃくと成れ。青き嵐よ、光れ。黒き風よ、泣け——霹靂神はたたがみの如く、朝羽振あさはふれ!」


 唱え終わるのと同時に、大鎌を大きく振り下ろした。


 すると、巨大な辻風が巻き起こり、蟒蛇を呑み込んだ。辻風に巻き上げられ、空高く浮いた蟒蛇は地面に叩きつけられると、絶叫を上げる。しかし、それでも蟒蛇は長い尾を鞭の如く振るって、軽々と結人を打ち飛ばした。


 結人は咄嗟に大鎌で蟒蛇の尾を受け止めることで直撃は避けたが、吹き飛ばされた勢いで鬼火桜に身体を強く打ち付ける。

 結人は背中を強く打った衝撃で一瞬息が詰まるが、何とか咳き込んで、すぐに立ち上がった。


「ごほっ、ごほ! ……流石は数百年生きる主。頑丈ですね」

「無理をするな、結人。人間の身で、大物妖怪の相手は危険極まりない」


 結人のすぐ隣に降り立った葉桜丸が、結人にそう声を掛けてくる。それでも結人は、首を横に振って、気丈に笑って見せた。


「だいじょうぶですよ。こう見えて結構、そこらの逢魔師より断然に戦いの経験はありますから。僕はともかく、本調子ではない葉桜丸の方が無理はしないでください」


 再び大鎌を構えて蟒蛇を鋭く見据える結人。そんな結人の横顔を見つめる葉桜丸は、深く溜め息を吐き出して呟いた。


「私が未だ人間に心配されるとは、かなわぬな……よい機会だ。結人、お前はもう下がっておれ」

「え……ちょっと、葉桜丸?」


 おもむろに蟒蛇に向かって歩き出した葉桜丸の背中へと、結人が咄嗟に声を掛ける。葉桜丸は片手をひらりと振って、振り返ることなく言った。


「そろそろお前に、私という存在が如何なる者かを——私の真名を、教えてやろうか」


 葉桜丸の衝撃的な発言に、思いがけず結人は身体を固まらせて大きく目を見開く。

 葉桜丸は蟒蛇へと足早に歩み寄りながら、呼びかけるように大きく声を張った。


神酒みきを賜りし夢見草ゆめみぐさよ。阿吽の王らに愛されし大いなる花圃かほよ」


 葉桜丸の声に反応するように、鬼火桜の木々がざわざわと葉を揺らしてざわめきだした。葉桜丸が伏せていた目を見開くと、頭をもたげようとしている蟒蛇に向かって、ゆらりと片手を掲げる。


「阿吽の王が片割れの末葉、鬼の大将鬼童丸が子。涅哩底王羅刹ねいりちおうらせつの名のもとに——いらえ」


 葉桜丸が蟒蛇の身体を掴むように、掲げていた片手をぐっと握る。すると、あちこちから鬼火桜の根が地表から飛び出してきて、蟒蛇の全身を固く縛り付けた。


 蟒蛇は鬼火桜の根に締め付けられて身動きが取れず、ズンと地面に倒れ伏した。


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