第33話 不滅の魂を継いで生きること

 心底楽しそうに、結人へと笑いかけてくれる葉桜丸に、結人は無性に泣きたくなった。


 人間を憎む葉桜丸の笑い顔を、人間である自分なんかが目にしてもいいのかと。痛いほどの罪悪感が胸を突いたが、同時に熱く湧き上がった何にも代えがたい喜びが罪悪感に勝って、泣きそうになるのを堪えて結人は葉桜丸へと笑いかけた。


「ありがとう、葉桜丸——では、約束ですね」

「ああ。あいわかった」


 満足そうに頷いた葉桜丸だったが、ふと、葉桜丸は一度目を伏せると、どこか神妙な顔をして結人を振り向いた。


「……お前は、親を妖怪に殺されたのだと、聞いた」

「……!」

「私は未だ。昨日お前が語ったことが、腑に落ちぬ」


 目を瞠って、葉桜丸を見上げる結人に、葉桜丸が眉根に深い皺を刻んだまま問いかける。


「なにゆえ、お前は憎まぬのだ。妖怪には肉親を殺され、人間たちには不当な扱いを受け続け……かつては人間も妖怪も、世界の全てを憎んだと語っておったというのに。それが当然だというのに。なにゆえお前は、憎んだものの全てを赦せたのだ?」


 葉桜丸の真剣な眼差しを見返して、結人は一つ瞬きをすると、葉桜丸に軽く頷き返しながら囁くように語った。


「……そうですね。僕の両親は妖怪にかかわって死にました。逢魔師だった父と契約していた妖怪によって、母までも巻き込まれて二人共殺されたそうです。そして僕に残された、ただ一人の肉親だった兄さえも、両親の死後間もなく、悪徳な逢魔師たちによって遠くに売り飛ばされてしまった」


 結人の壮絶な過去を知った葉桜丸が、はっと息を吞んで大きく目を瞠る。


「お前……妖怪からも、人間からも、そのような仕打ちを受けておいて。それらを……全て赦したのか? それでも本当に、人間も妖怪もすきなのか?」

「もちろん」


 信じられないというような顔をして、立て続けに問うてくる葉桜丸に、結人は即答する。

 葉桜丸が目を大きく見開いたまま、首を横に振って、茫然とした様子で小さく尋ねた。


「なにゆえ……すきでいられる」


 結人は前を向いたまま目を伏せると、明るい声色で葉桜丸へと語った。


「死んだ両親も、生き別れた兄さんも——僕がすきだった人たちは皆、最後まで妖怪も人もすきだと語っていたからです。確かに僕は、僕から僕の大切な人たちを奪っていったものの全てをかつて憎んだ。ですが、月日を重ねるうちに……いつか僕も、大切な人たちが最後まですきだと言っていたものを、すきになりたいと思うようになっていました」


 結人の頬に、肩に乗る鎌鼬が頬擦りをしてくる。心配しているのだろう鎌鼬に「だいじょうぶ」と返して、結人ははっきりとした口ぶりで大きく頷いた。


「僕の大切な人たちが最後まで曲げなかった魂を——僕が受け継ぎたいと。妖怪も人も問わず、誰かを無償で愛せる強さを。その尊い魂を僕が受け継げば、彼らの魂は不滅で……きっと、今を変わらず僕と共に生き続けていくのだと。そう、思うんです」


 いつも、妖怪との楽しい話を面白おかしく聞かせてくれた父。


『今日はなあ、結人! 黄色の髪がキレイな可愛らしい女の子の妖怪に会うたんやで! 今度、結人にも紹介したるから楽しみにしとき』


 いつも、厳しいながらも自分に正しい心を教え、慈しんで導いてくれた母。


『いいですか、結人。お相手が妖怪サンでしょうと、人間サンでしょうと。ちゃんとご挨拶はすること。いいですね? そう、結人はいい子です』


 いつも、どんな時でもそばに居てくれた。他の子にいじめられたら、鬼のように怒っていじめっ子たちを追いかけまわして。どうしてか夕方の時間が怖くて、決まって夕方に泣き出す自分を嫌な顔一つせずあやして、おんぶをしてくれて。両親がいなくなっても——嬉しい時も、悲しくて寂しくて死にそうな時も、どんな時もずうっとそばに居てくれた兄さん。


『結人。どんだけ離れとっても、おれはお前の兄貴や。しかもとびっきりオトコマエな兄貴な。せやから、だいじょうぶ。またいつか、必ず会える日がくる。それまで、次の花見を楽しみにしとこう。昔みたいに、人間も妖怪も交えて、どんちゃん騒ぎすんのも悪くあらへん——だいじょうぶ。なあ、結人。そう泣くもんやない。ええな?』


 今はもういない。顔も声も思い出せなくなった家族のことが、ぼんやりと脳裏に過る。


 大切な人たちの魂は今も、己の中で確かに息づいている。彼らの魂は、常に共に在る。そう、解っているはずなのに……それでも、堪らなく「寂しい」と。

 そんなことばかりが胸を突き、今や耐え切れない程の痛みと成ってしまったこの想いは。こんな想いを抱いてしまった己は──呆れるほどに弱く、情けなかった。


 父も、母も、兄も。最後にその姿を見たのは——桜吹雪の中だった。結人の大切な人たちは皆、桜の咲き誇る春の季節に、結人のそばからいなくなってしまった。

 桜の花を目にすると、彼らのことを思い出してしまう。だから、怖くて堪らないのだ。

 失った悲しみ、寂しさ、痛み。それらから何としても逃げ出したいがために、己は桜どころか、彼らとの思い出すら恐れてしまっている。全て忘れたいとすら、思ってしまっている。


 何と愚かで、臆病で、醜悪なのだろう。


 口ではなんとでも言える。しかし、失った家族を想う時の結人の胸の内はいつも、昏く、重く、澱んでいた。


「……わかった。お前の魂は、よくわかった。ゆえに、そう泣くな……結人」


 ふと、心地の好い低い声——葉桜丸の声が間近で聞こえて、結人は振り返る。


 結人はいつの間にか、ぼろぼろと大粒の水滴を両目からとめどなく溢れさせて——泣いていた。

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