第32話 鬼火桜に花笑む鬼

 翌日。実美さねとみの件は千生実に任せ、結人たちは葉桜丸の錫杖の行方を人間からではなく妖怪から聞き出そうと、火中の杜周辺を探索することにした。


 火中ほなかもり周辺の探索には、結人が梔子も誘ったのだが、梔子は葉桜丸と一緒に行動するのが気に喰わないらしく、断られてしまう。その代わりに梔子は「鬼野郎が何もしでかさないよう、見張っておきなさい」と言って、鎌鼬を結人たちに同行させるのであった。


 そういうことで、今回の探索は結人と葉桜丸、鎌鼬の三名で行動することとなった。


 結人のお気に入りの場所である鳥居原とりいばるの石橋を渡り、火中ほなかもりに繋がる鳥居の前に来た葉桜丸が、石造りの鳥居に触れて微かに眉を上げる。


「……火中の杜に、妖怪たちが紛れ込んでおるな。おそらく、この辺りに棲む者たちだろう。ちょうどよい、その者たちに話を聞いてみるとするか」

「わかりました。それでは行きましょう。火中の杜へ」


 結人の肩に乗る鎌鼬も頷いて見せる。

 結人と葉桜丸は苔むした鳥居をくぐり、火中の杜へと入っていった。

 火中の杜は変わらず、青々と萌える葉桜が隙間なく並び立っている。火中の杜に足を踏み入れて、どこか懐かしそうに見回す葉桜丸は、小さく息を吐いた。


「私の鬼火桜おにびざくらも、変わらぬ様子だな」


 葉桜丸の「鬼火桜おにびざくら」という言葉に、結人はそういえば以前、山神と遭遇した時にも「鬼火桜」とやらを葉桜丸が山神に献上していたことを思い出す。「鬼火桜」という、聞き慣れない桜の名前が気になって、結人は葉桜丸に尋ねた。


「ずっと思ってたんですが。鬼火桜とは、いったいどのような桜なんですか?」

「何ぞ。お前、鬼火桜も知らなんだか」


 葉桜丸は一瞬目を丸くするが、すぐににやりと目を細めて見せて、一度だけ結人の腕を引いた。


「鬼火桜は春にしか咲かせぬ。だが、いいことを教えてやろう」

「え? わ、ちょっと……葉桜丸?」

「ついてまいれ」


 葉桜丸は懐手をしたまま、着流しの銀鼠の袖をなびかせて、軽やかな足取りで火中の杜を駆け出した。結人は慌ててその後を追う。


「鬼火桜とは、その名の通り。鬼火を纏った花弁を咲かせる、霊木の類の桜だ。鬼火を纏いながらも燃え続け、灰となることはない。そのような桜を咲かせるには、繊細な鬼火の妖気を操らねばならぬ。ゆえに——鬼火桜は、〝灰花かいか〟の異能を持つ私にしか咲かせることができぬ桜だ」


 葉桜丸は語りながらも、駆ける足は止まらない。だが、なんと駆ける葉桜丸の着流しからは灰が流れ出て舞い散り、火中の杜の大地に降り注いでいく。

 葉桜丸が大地を踏みしめるごとに、灰が舞い踊って——火中の杜の大地に、次々と鮮やかな花々が咲きほこっていった。


「鬼火桜の炎の花が散ると、花弁だけが灰になる。その灰は、大地に豊かな実りを授けるゆえ。山神だけでなく、あらゆる神々が鬼火桜を気に入っておるよ。そのようなことで私は、何者よりも神々との交渉が上手いのだ」


 葉桜丸が、火中の杜の深奥に位置する、あの桜の大樹が鎮座する丘を登ってゆく。

 いつの間にか火中の杜いっぱいに花畑が顕現しており、桜の大樹の丘も、次第に色とりどりの花々によって覆われていった。

 美しい花畑を咲かせながら、楽しそうに火中の杜を駆け回る葉桜丸。そんな葉桜丸の姿に、結人はいつの間にか釘付けになっていた。


 結人も桜の大樹を登り切って、ようやく葉桜丸へと追いつく。葉桜丸は片手で桜の大樹に触れ、火中の杜を見渡しながら、微かに笑みを浮かべた。


「この火中の杜は、鬼火桜が見事に咲く。この世のものとは思えぬ美しさだ」


 葉桜丸の笑い顔をまともに見るのは初めてで、結人は思いがけず葉桜丸の隣で息を吞んだ後、密かに高鳴る胸を押さえながら火中の杜を見下ろして葉桜丸に応える。


「葉桜丸がそこまで言うのなら……桜は苦手ですけど、見てみたいですね。鬼火桜」

「言うたな? だが、鬼火桜を目にすれば。見る目のないお前もきっと、桜を好きになろうぞ」


 葉桜丸は鬼の鋭い牙を見せて、にかりと笑った。


「次の春。私が結人に鬼火桜を見せてやろう──ふ。誰かに鬼火桜を見せてやりたいと思うなど。生まれて初めて考えついたわ」


 純粋無垢な——眩しくて、目を逸らしたくもなるが、目を逸らさずにはいられない。それほどまでに、素敵な笑い顔だった。


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