第30話 儘ならぬ情

 それからしばらく葉桜丸と千生実は、駄菓子屋の向かい側にある土手の斜面に座って、ラムネを摘んでいた。

 駄菓子屋の中で、楽しそうに化け狸たちと駄菓子を選んでいる結人を見守りつつ、千生実がおもむろに口を開く。


「先輩は凄いな。人間にも妖怪にも好かれて、誰であろうと繋がりを大事にしてる。俺はどうにも、妖怪だろうと人間だろうとだし、人見知りしちまうことが多いから。尊敬するよ」


 ラムネを口の中で転がす葉桜丸は、千生実を流し目で一瞥して小さく息を吐く。


「……結人は、人間たちには疎まれているように見えたが」


 先日、逢魔師連本部で結人が人間の男たちに受けた仕打ちを思い出して、葉桜丸は無意識に眉を顰める。だが、千生実は穏やかな声色で首を横に振った。


「いいや、好かれているさ。なんせ——俺が先輩を好きだからな」

「……」


 葉桜丸は微かに目を見開いて、千生実に顔を向けた。千生実は、慈しむような——しかし、確かに熱のこもった眼差しを、遠くの結人に縫い留めたまま、静かに語る。


「他の逢魔師連中に何と言われようとも。先輩は着実に逢魔師としての豊富な経験を身につけているし、妖怪とも対等にやり取りをしていて、誰よりも強かだ。そして、いつも自分のことよりも、自分以外の誰かのことを思いやっている——あの逢魔師のクソ野郎共にも、自分の親を殺した妖怪にもだ」


 葉桜丸は密かに息を吞んだ。千生実が言うには、結人は肉親を——妖怪に殺されているのだと。その事実が、胸の奥まで深々と突き刺さった。


 肉親を妖怪に殺されていながら、結人は妖怪と対等な契約を結んで妖怪と共に生きている。そんな結人の生き方が、信じられないと思ったのだ。


「俺は先輩が泣いているところなんて、見たことがない。俺は……いつも、お天道様みたいに笑ってる、こんな俺にも笑いかけてくれる先輩の顔に、救われてきた。俺、あの人の笑った顔が何よりも好きなんだ」


 結人のことを語る千生実の横顔は、赤く熟れきった林檎の実のようだと葉桜丸は何となく思う。

 葉桜丸は、己の胸の内に湧き上がった様々な感情を吞み込んで、千生実にぽつりと声を落とす。


「……後輩。結人に惚れておるのか」

「ああ、くれぐれも先輩には内密にしてくれよ。恥ずかしいからさ……それに、あんたもそうなんだろ? 鬼さん」


 千生実の返しに、葉桜丸は目を剝いて、反射的に口の中で転がしていたラムネを嚙み潰す。

 妙にラムネが、さっきよりも甘ったるく感じた。


「私が? 何を言う」

「見てりゃわかるよ。だって鬼さん、先輩が笑ってるとき。嬉しそうな顔してるからさ」

「……」


 確かに、結人の笑い顔を見ていると。心の臓が、熱くなるような気がする。


 醜い己を一切恐れることなく、「男前だ」やらなんだと、信じられない言葉を紡ぎながら笑いかけてくる結人。

 同族には「無能」だと憐れまれた、「灰花かいか」の異能も、結人は子どものように目を輝かせて、自分のことのように嬉しそうな顔をして「素敵だ」などと言う。


「……私には、色恋沙汰はわからぬ。ただ一つわかるのは、私は人間が憎い。人間が大嫌いだということだけだ」


 葉桜丸は頭を振って、深く息を吐いた。

 そんな葉桜丸に顔を向けて、千生実が人好きのする笑みを浮かべる。


「そうか。あんたは人間が嫌いだろうが……先輩のことは、そうとは限らないと思うよ。心ってのは、ままならないもんだからさ」


 千生実は目を細めて、独り言のように呟く。


「現に俺も、憎く思うものが数え切れないほどたくさんある。だけど……先輩の隣にいると、安らげる。死ぬほどの絶望さえも忘れられる。椎塚家の生まれだからって逢魔師連中にも疎まれていた俺に、先輩は笑いかけてくれるどころかずっとそばに居てくれた。ずっと独りだった俺を、見つけてくれた……俺は先輩に、〝愛〟っていうものを教えてもらったよ」


 葉桜丸は一瞬目を丸くするが、すぐに目を伏せて、呆れたように千生実の言葉を一蹴した。


「愛? ……くだらぬな」

「ええ。酷いこと言うなあ?」


 葉桜丸の容赦ない一蹴に、千生実が苦笑を零す。

 葉桜丸は千生実を振り向くと、鋭い眼差しで唐突に千生実に尋ねた。


「一つ聞くが」

「ん? ああ、何でもどうぞ。鬼さん」

「後輩は結人を好いておるのだろう。それならばなにゆえ、椎塚家が怨霊と縁の深い一族だということを今まで明かしていなかったのだ? 結人を信じておるのではないのか」

「……」


 千生実は目を大きく見開くと、すぐに視線を泳がせて口ごもる。そして、しばらく間を置いてゆっくりと答えた。


「……正直なところ、先輩にはもう怨霊跋扈の件には関わってほしくなかったんだ。俺は。もうこれ以上、危険な目に遭ってほしくなかった……九魔の地が滅びようが、俺は何より先輩を守りたいから」


 力強く言い切る千生実に、葉桜丸は目を細めて見せる。


「私が言えたことではないが——後輩は、結人を信じておらぬのだな。それゆえに、その思いの丈も未だ結人に伝えられぬのだ。違うか?」

「な! それは……!」

「千生実?」


 千生実が大声を上げてその場に立ち上がる。そこでちょうど、千生実を呼ぶ結人の声が重なった。

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