第29話 未知の感情はラムネ味

 椎塚家を出て、しばらく先頭を歩いていた葉桜丸の隣に、結人が駆け寄って来たかと思えば、小声で尋ねてくる。


実美さねとみさまのこと。あなたはどう思いますか、葉桜丸」


 葉桜丸は結人を一瞥すると、鼻から細く息を漏らして答えた。


「お前の推測通り。いにしえの怨霊の依代である実美が怨霊跋扈の件について、何やら知っている可能性は十分ある。我らを監視し、話を盗み聞きしたうえに逃げ出すとは。怪しまずにはおられまい。それに……」

「それに?」


 一度口を噤んだ葉桜丸に、結人が首を傾げて見せる。葉桜丸は、眉根を寄せた険しい顔をして、神妙な声を漏らした。


「……あの男。私を知っているような顔をしておった。怨霊跋扈の件以外についても、私はあの男から聞き出さねばならぬことがある」


 葉桜丸は、実美の「鬼の大将」という言葉を思い出す。己の真名を名乗りもしていないというのに、〝あの言葉〟を人間の口から聞くとは思いもよらなかった。

 さらに眉根に皺を寄せた葉桜丸を隣で見上げてくる結人が、葉桜丸の背中を軽く叩く。


「葉桜丸の探している錫杖も、早く見つけないといけませんね。実美さまの行方については、千生実が心当たりを追ってみてくれるとのことなので。実美さまの行方が掴めるまで、僕たちは葉桜丸の錫杖を探しましょうか」

「……ああ。あいわかった」


 葉桜丸は、結人が葉桜丸の事情を深く追求してこないことに、何だか胸がつかえるような——妙な心持ちになりながらも、ふと、一軒の古びた店の前を通りかかって、葉桜丸はそこで足を止めた。


「店? これは……何を売っている?」


 小さな店の前には、葉桜丸が初めて目にする、色とりどりの不思議な品物が並んでいる。

 そこに、結人と千生実も追いついてきた。


「お、駄菓子屋か。ガキの頃は、よくここには世話になったな」

「おや。千生実はこの駄菓子屋さんの常連でしたか」


 葉桜丸を挟んで、後ろから覗いてくる結人と千生実を見比べて、葉桜丸は首を捻る。


「ダガシ? ……なんぞ、これは菓子? なのか?」

「あれ、鬼さん。もしかして駄菓子、知らないのか?」


 目を丸くする千生実に、葉桜丸は首を横に振って見せる。


「知らぬ。斯様な鮮やかな色の菓子など……毒ではないのか?」

「ど、毒って……でも、そっかぁ。結構美味いんだぜ? 駄菓子」

「お待たせしました、二人共。手、出してください」


 いつの間に店に入っていたのか、目を離した隙に結人が駄菓子屋の中から出てくると、葉桜丸と千生実の手に、何かを持たせてきた。

 それは、透明な青色をした筒状の容器。その中には、色とりどりの粒状の何かが入っている。


「あ、ラムネだ。っていうか先輩……駄菓子を知らない鬼さんはともかく。ガキじゃないんだから、俺の分はいいのに」

「後輩は大人しく、先輩に奢られてください」


 千生実が返そうとした「らむね」を、結人が再び無理やり持たせて、千生実は苦笑を零す。

 一方、「らむね」を知らない葉桜丸は、その不思議な「らむね」の入った青い容器を、日に透かしてじっと見つめていた。


「らむね……? 可笑しな名だ。しかも、これが菓子だと?」

「そう、ラムネっていう駄菓子。美味しいので、食べてみてください。葉桜丸」


 訝しむ葉桜丸を見て、何故か楽しそうな笑みを浮かべた結人が、葉桜丸から一瞬ラムネを受け取る。そして蓋を外すと、葉桜丸の大きな掌に、ラムネの粒を何粒か転がした。


 葉桜丸は、色とりどりのラムネの粒をしばらく怪しんで見ていた。しかし、不意に横から結人がラムネの粒を葉桜丸の掌から摘まみ取って口に放ると「美味しい」と顔を綻ばせたので、そんな結人を見た葉桜丸は自然とラムネの粒を一つだけ、口に運んでいた。


「!」


 ラムネを口にした葉桜丸は、思いがけず大きく目を見開いた。

 口の中いっぱいに広がる、爽やかな甘さ。ころころと舌の上で粒を転がす度に、ラムネはさらりと甘さと共に溶けていく。


「……美味い」


 気が付けば葉桜丸はぽつりと、小さく零していた。

 それを間近で聞いた結人が、また花が綻ぶような笑みを見せた。


「そうですか。よかった」


 結人の笑い顔を目にした葉桜丸は、何だか心の臓の音が妙に大きく脈打った気がして、思わず首を傾げる。

 近頃は、結人の笑い顔をみていると。妙に心の臓が、せわしなくなるのだ。


 この現象は——この気持ちは、いったい何なのだろう。


 物思いに耽って、ぼうっと結人の横顔を見つめていた葉桜丸だったが、ふと、足元に何かがぶつかった感触がして、我に返った。


「おわ!? 何だ、こいつら……狸?」


 隣にいる千生実も驚いたように声を上げる。視線を下げて足元を見ると、そこには何匹もの〝化け狸〟たちがいつの間にか結人めがけて集まって来ていた。


「結人どの! 結人どのだ!」

「駄菓子! 駄菓子を持っておられるのですか!?」

「我らにも、我らにも! 駄菓子をお恵みくださいませんか……? また、山の瘴気祓いを手伝いますので!」

「手伝いますのでー! 駄菓子をば!」


 化け狸たちに一瞬で囲まれた結人は、小さく噴き出すように笑い声を上げながら、化け狸たちに頷いて見せた。


「わかりました。じゃあ、次の瘴気祓いでもよろしくお願いしますね? ……さあ皆、お店の中で好きなものを選んでください」

「わーい!」


 結人の言葉を合図に、化け狸たちは次々と人間の子どもの姿に化けると、駄菓子屋の中へと駆け込んでいった。

 結人は葉桜丸と千生実を振り返って、ひらりと片手を振る。


「すみません。化け狸さんたちにはいつもお世話になっているので……二人は、外でゆっくりしていてください」


 そう残して、結人が化け狸たちの後を追って店の中に行ってしまう。

 葉桜丸は千生実と顔を見合わせると、千生実が小さく笑いながら肩を竦めて見せた。


「そんじゃまあ、俺たち野郎共は外でラムネの味を楽しみますか」

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