第26話 鬼の大将
結人と葉桜丸が反射的に立ち上がってそちらに視線を向ける。そこには、真っ白な長い頭髪が不自然に乱れた一人の小柄な体格の老爺が、ひっそりと立ち尽くしていた。老爺は片手に神楽鈴のようなものを持って、どこか遠くを見るような目でこちらを見ている。
結人はその老爺を目にして、小さく呟く。
「まさか……あのお方が、椎塚家の……?」
「いまは、むかし。八百年以上前のこと」
老爺はぽかんと口を開いて、何やらぼそぼそと語り始めた。葉桜丸はぴくりと眉を動かして目を細め、結人はその老爺の声に自然と耳を傾けていた。
「我らが遠つ
老爺は声を震わせて、神楽鈴を高く掲げると、けたたましく鈴の音を鳴り響かせる。
老爺の濁った目の焦点は、せわしなく漂っており、身体はふらふらと覚束ない足取りで踊っているようだった。
「かつて華を咲かせた落武者の
老爺は皺くちゃの顔を歪めて泣きじゃくり、嗄れた声で喚き散らした。
(正気を……失っている?)
老爺のただならぬ様子に、結人は内心でそう推測すると、危なっかしい足取りで半ば暴れている老爺の身体を心配して、老爺へと駆け寄った。
「お爺さん、落ち着いてください!」
結人が老爺の腕を取ろうとすると、存外、老爺は強い力で結人を振り払ったかと思えば、同時に結人の身体を突き飛ばした。
「お、わ……!?」
「結人」
声を上げてよろけた結人の肩を掴んで、葉桜丸が支えてくれる。結人は顔だけで振り返って、葉桜丸に眉を下げて礼を言った。
「ありがとう、葉桜丸。それにしても、どうしましょうか、あのお爺さん……」
悩む結人に、葉桜丸は眉間に深い皺を寄せて睨むように老爺を見据えたまま、冷たく言い放った。
「……憐れな人間だ。ほうっておけ」
「いや、ほっとけるわけないでしょう!? どうにかして、落ち着かせないと。転んだりでもしたら危ないですし」
「くだらぬな」
「くだらなくはない!」
小さく言い合う二人であったが、そんな中、ふと暴れていた老爺がすんと大人しくなってこちらを凝視してきた。
「あれ……?」
「……こちらを見ておるな」
結人が訝しんで首を傾げるのと共に、葉桜丸は苦々しげに老爺を見据える。
老爺の大きく見開かれている濁った瞳は、葉桜丸だけを映しているようだ。老爺は葉桜丸に向かって、とてとてと子どものような拙い足取りで近寄ってくる。そして、葉桜丸のすぐ目の前まで歩いてくると、嫌そうに顔を歪めている葉桜丸を見上げて、またぼろぼろと泣き始めた。
「おお、おお! ようやく、見つけましたぞ……鬼の、大将さま……!」
「! 貴様……」
「鬼の大将」という老爺の言葉に、葉桜丸が大きく目を瞠った。
(鬼の大将? 人間に化けている葉桜丸のことを、どうして? それなら、この人は……葉桜丸を知っている?)
老爺と葉桜丸の反応を見て、咄嗟にそんなことを内心で思い至った結人。結人は葉桜丸に声を掛けようとしたが、葉桜丸は突如、老爺の胸倉を掴むと、老爺を揺さぶって問いただし始めた。
「貴様、我が鬼の一族のことを……私の役目を知っておるのか? 答えよ!」
「ふ、はは! ふははははは! 栄えある我が一族を讃え給え! 慰め給え! ……鬼の大将よ!」
老爺は両手を高く掲げて、興奮したような笑い声を上げながらも鼻水を垂らしてまで泣いていた。葉桜丸はそんな老爺の様子に更に顔を歪め、強く老爺を揺さぶった。
「貴様! 私を愚弄しておるのか!?」
「ちょっと、待って! 葉桜丸! 落ち着いてください!」
結人が慌てて間に割って入って、二人を引き離そうとする。すると、老爺の方は勝手に自分からずいぶん後ろの方へと引き下がっていった。
「悪い、遅くなった! 大丈夫か!? 先輩!」
老爺を引き下がらせたのは、いつの間にか座敷へと戻ってきていた千生実であった。
「千生実! こちらは問題ないですが……そのお爺さんの方は大丈夫ですか?」
「ああ、こっちも大丈夫だよ。……少し、待っててくれ。事情はその後に話す」
そう言って、千生実は老爺を連れて座敷を出て行ってしまったが、すぐに結人たちのもとへと戻ってきた。
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