第21話 鬼の殺意

 結人と葉桜丸は、珠鶴たまづるに案内された忽那家にある離れの縁側に、二人並んで腰かけていた。

 結人の顔の怪我を手当てしてくれた珠鶴は、遠慮する結人を押し切って、「せっかくなので、お茶でもお持ちしますね」と張り切りながら、お茶を用意しに母屋の方まで行ってしまった。


 二人きりになり、しばらく沈黙を保っていた結人と葉桜丸だが、その沈黙は結人によって破られた。


「さっき会った逢魔師の方々が、僕に言っていたようなことは……珠鶴の前では、決して口にしないでください。お願いします」


 結人が俯きがちに語調を強めると、葉桜丸は空を仰いだまま、一つ間を置いて応える。


「……言われずとも、誰に言うつもりもないが。なにゆえだ」

「珠鶴は……『将来、逢魔師になることが夢だ』と語る、女の子です。そんな夢見る女の子が、今の僕の境遇を詳しく知ってしまうのは……あまりにも、酷なので」

「左様か。あいわかった」


 葉桜丸はすんなりと承諾してくれた。結人は目を伏せて「ありがとうございます」と、微かに笑みを浮かべる。

 次は、葉桜丸の方が結人に尋ねてきた。


「なにゆえお前は、あのような目に遭って今も笑っていられる。お前が望むのならば、まろうどとして私が奴らを殺してやってもよいのだぞ」


 葉桜丸の言葉に、結人は大きく目を瞠るが、すぐに笑みを浮かべて首を横に振ってみせる。


「殺すって、物騒な。でも、あなたは誰かを殺さない」

「……私が殺せぬとでも? 私を侮っておるのか?」


 険を帯びた葉桜丸の返しに、結人は穏やかな声で応える。


「違います。僕は、あなたを信じている。ただ、それだけです」


 結人の言葉に、葉桜丸が小さく息を呑んだ気配がした。一人分距離を開けた隣に座る葉桜丸に、結人は顔を向ける。

 葉桜丸の表情はやはり、濡羽色の前髪に隠されてうかがえない。


「……久方ぶりに、殺意が湧いた」


 葉桜丸が鼻を鳴らして、ぽつりと小さく呟く。

 その言葉はまるで——葉桜丸が結人のために、怒ってくれているように思えた。

 自分の勘違いかもしれない。だって、葉桜丸はもともと、結人も含む人間という存在が嫌いなのだから。

 それでも結人は、じわじわと胸に滲み出てくる仄かな喜びを隠しきれなくて、小さく笑った。すると、葉桜丸がようやく結人に顔を向けてきて、眉を顰めた訝しげな表情で首を傾げる。


「……何を笑っている」

「いや、ごめん……あまりにも嬉しくて、ですね。ありがとう、葉桜丸」

「? 感謝されるようなことを言った覚えはないが……それより。疾く、答えよ。なにゆえお前は、そのように笑っていられるのだ。逢魔師共にあれだけの仕打ちを受けておきながら、何も思わぬのか?」


 急かしてくる葉桜丸に、結人は空を仰ぎながら答えた。


「別に、僕にとっては大したことじゃないですから。あんなこと。強いて言えば——いつかの笑い話のネタが増えたくらいですかね」


 結人は流し目で葉桜丸に視線を寄越し、目を細めて朗らかに微笑んだ。

 そんな結人と目が合った葉桜丸は、何かひどく驚愕したような顔で目を瞠ったが、すぐに呆れたように息を吐き出して、結人から視線を外し、目を伏せる。


「笑えぬわ——少なくとも、私はな」


 葉桜丸の呆れの混じった言葉に、結人はまた嬉しくなって笑い声を零す、


「やさしいですね、葉桜丸は」

「どこを聞いてそのように思った、戯け。やさしくなどない。私は思ったことを述べただけだ」


 葉桜丸の低くて心地好い声が、鼓膜を震わせる度。何故だが結人の両目は、どうしようもなく熱くなった。

 結人の血の瞳からこれ以上、結人の激情が溢れ出してしまわないように。結人はそっと目を閉じた。


(どうして、このヒトの隣にいると。こんなにも——泣き出したく、なるんだろうか)


 珠鶴が戻ってくるまで。それからずっと、結人と葉桜丸の間には、心地の好い沈黙が五月のそよ風と共にそらを流れていた。

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