第20話 夜叉の瑕

 葉桜丸の煽りに激昂した逢魔師たちが、再び葉桜丸へと突撃していく。葉桜丸は短く鼻を鳴らすと、逢魔師たちの拳を軽々と躱して、逆に拳を振るってきた勢いを利用し、次々と投げ飛ばしていく。


「おっと、危ない。人間の頭蓋は容易く砕ける」


 葉桜丸は頭ごと片手で鷲掴んでいた男が泡を吹いていたことに気が付くと、ぽいとその辺に投げ捨てる。未だに立っている数少ない逢魔師たちは口々に葉桜丸を「ぎゃあ! ば、バケモノ!」「怪物だあ!」と恐れて、悲鳴を上げていた。


「斯様なこと。この世に生まれ落ちた時より、とうに承知しておるわ」


 呆れたように息を吐く葉桜丸の袖を、結人は動悸で苦しい胸を押さえながら必死に引いた。すると、すぐに葉桜丸はそれに気が付いてくれたようで、結人を振り返ろうとする。


「結人」

「結人さん!?」


 葉桜丸の声に被さって、別の高い声が結人を呼んだ。

 葉桜丸がそちらを振り向くと、少し離れた場所から、品の良い着物を身に纏った少女が、こちらに向かって駆け寄ってきた。

 結人はその少女を前にして、蒼い顔のまま目を丸くする。


「お庭が騒がしいと思って、来てみたら……結人さん、こんなところで何をなさってらっしゃるの? それに、そのお顔の怪我は!? いったい……」

「結人の怪我は、あの者共の仕業だ」


 駆け寄ってきた少女に、葉桜丸が倒れている逢魔師たちに向かって顎を振って見せる。少女は何かを察したのか、大きな瞳を怒りで瞬かせると、倒れている逢魔師たちに厳しい口調で言い放った。


「何をしているのですか、あなたたち。本部で暴力沙汰の騒ぎを起こすなんて……! お祖父じい様に言いつけますよ」

「! お、お嬢様! それだけはご勘弁を!」


 逢魔師たちは皆、少女へとひれ伏し、頭を地面へと擦り付ける。少女は険しい表情で眉を顰めたまま、逢魔師たちを促すように片腕を振った。


「早く立ち去りなさい。これ以上、結人さんに近づかないで。二度目は無いと思ってください」

「ははあ!」


 逢魔師たちは逃げ出すように、その場から立ち去って行った。

 ぼやける視界でそれを見届けた結人は、ふらりとその場に座り込む。そんな結人を見た少女が、ひどく心配そうな顔で結人へと再び駆け寄ってきた。


「結人さん、結人さん! 大丈夫ですか? お早く、怪我の手当てを……」

「けほ……げほ、げほっ! おぇ……ごほっ……」


 結人は未だに吐き気が収まらず、激しく嘔吐く。

 全身は、冷水を頭から被ったかのような寒気に襲われており、ぶるぶると震えが止まらなかった。これでは、立ち上がることもままならない。


『責任取れや、夜叉女——幹部連中のジジイ共を誑かした、その汚ねぇ身体でよ』


 胸に深く突き刺さった言葉が、脳裏を過る。併せて、男たちの手の感触が生々しくフラッシュバックして、結人は息が出来なくなった。


「結人さん、何て酷い顔色……わたしはいったい、どうすれば……」

「私に任せよ。お嬢さん」


 心配のあまり戸惑う少女の肩を引いたのは、葉桜丸だった。

 葉桜丸が少女を後ろに下がらせ、結人のすぐ目の前へと跪く。


「げほ、げほっ……は、はっ……う、あ……!」

「案ずるな、結人。私がそばにいる」


 葉桜丸が結人の耳元で声を掛けると、結人はぶるぶると震えながら顔を上げた。葉桜丸が結人を真っ直ぐに見据え、短く尋ねる。


「私に、何をして欲しい」


 結人は嘔吐きながらも、弱々しく縋った。


「……ごほ、ごほっ……さ、むい……息が、できな……!」

「寒いか。どれ、温かくしよう」


 葉桜丸は、大きな手で結人の両手を取ると、そっと包み込んだ。酷く冷えていた結人のか細い手は、葉桜丸の低めの体温によってぬるく、溶かされてゆく。同時に葉桜丸は、空いている片手で結人の背中をゆっくりさすった。


「怖かったな——もうだいじょうぶだ、結人。怖くない。怖くない」


 子どもをあやすような葉桜丸の声色に、結人は徐々に正気を取り戻して、乱れていた呼吸も落ち着いていった。

 結人はようやく葉桜丸と共に立ち上がると、申し訳ない顔をして小さく息を吐く。


「すみません……見苦しいところを、見せました」

「気にせずともよい。それより、私も間に入るのが遅くなって悪かった。このままでは、梔子殿に賓失格だとお𠮟りを受けるやもな」


 葉桜丸は欠片も気にした風もなく、真顔で冗談を言った。結人はそんな葉桜丸の不器用な気遣いに笑みを浮かべて、目を伏せる。


「……本当に、ありがとうございます。葉桜丸」

「ああ」


 葉桜丸は短く頷いた。それに結人も頷き返すと、次は葉桜丸の後ろに隠れている少女へと目を向ける。


珠鶴たまづるも。駆け付けてくれてありがとうございます」


 少女の名は、忽那くつな 珠鶴たまづる。逢魔師連合会会長、忽那くつな 源三げんぞうの孫娘であった。

 珠鶴はひょこりと顔を出して、結人に駆け寄ってくると、結人の手を握った。


「いいえ……わたし、結人さんに何もしてあげられなくて。ごめんなさい、結人さん」

「そんなことないです」


 結人はやさしく珠鶴の短い黒髪を撫でた。

 珠鶴は気を取り直すように頭を振ると、勢いよく顔を上げて、結人の手を引いた。


「それでは、そのお顔の手当てだけでもさせてください。忽那家の離れへと行きましょう。あそこなら、誰も来ませんから……もちろん、結人さんのまろうどさんもご一緒に」


 珠鶴の提案に、結人は小さく笑って頷くと、葉桜丸を振り返る。葉桜丸も同意するように、結人へと黙って頷いて見せた。

 そうして結人と葉桜丸は、珠鶴に連れられて、忽那家の離れへと案内された。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る