第18話 鬼の夜叉と人の夜叉

 逢魔師連合会の本部は、忽那くつな氏の本家となっている。つまりは、逢魔師連の施設と民家が併設されているため、逢魔師連本部は広大な敷地を持っているのだ。


 上河内かみがち村の中でも最大である、立派な日本家屋の屋敷を見上げながら、結人たちは本部の巨大な門をくぐる。

 本部の敷地に入るなり、人の出入りが激しい様子がうかがえた。


 千生実が言った通り、逢魔師連本部はずいぶんとごたついているらしいことを、結人は密かに察する。

 しかし、本部の屋敷に向かっている最中。すれ違う、全ての人々や逢魔師から、結人は決して気分が良くなるものではない注目を浴び続けることとなった。


「おい、夜叉っ子じゃねぇか。あれ」

「ああ、あのアマ。よくもおめおめと、本部に足を踏み入れられるものだ」

「こちらは怨霊対策で手が回らんというのに。また騒ぎでも起こされたら堪らんぞ……邪魔者め」

「というか、夜叉っ子が山に入ったせいで、怨霊共が湧き出してんだろ? 山神の祟りに違いない。あいつは疫病神だ……!」


 結人を目にした逢魔師たちが、口々に罵る。


「クソ……野郎共。また散々、好き勝手言いやがって……!」


 耐え切れないと言った様子で、結人の陰口を叩く逢魔師たちの方に千生実が険しい表情で近づこうとする。それを咄嗟に、結人が千生実の腕を掴むことで止めた。


「いいんです、千生実。もう慣れてます」


 結人は小さく息を吐くとその場に立ち止まり、千生実と葉桜丸に眉を下げて笑って見せる。


「やはり、僕がいると情報収集は難しかったみたいですね……すみません、二人とも」

「そのようだな」


 葉桜丸が目を細めて周りの逢魔師たちを観察しながら、淡々と頷く。千生実は悔しそうに唇を噛み締めるが、すぐに結人の肩へと手を置いた。


「先輩のせいじゃないだろう、どう考えても。……情報収集は、俺が本部に入ってやってみるよ。先輩と鬼さんは庭の静かな所で待っててくれないか?」

「……ありがとう、千生実。助かります」


 千生実の精一杯の心遣いに、結人は申し訳なく思いながらも小さく頷く。そんな結人を励ますように、千生実は結人の肩を叩いて軽快に笑った。


「任せろ。何なら、茶菓子でも隙見て摘んでくるからさ。二人共、楽しみに待っててくれ。じゃあ、行ってくる!」

「お願いします。ですが、余計なことはしないように」


 千生実の冗談に結人は小さく笑いながら応える。そうして、千生実は本部の屋敷へと走っていった。

 その後、結人と葉桜丸は人通りの少ない、庭の端へと移動する。

 広大な庭園の中でもひときわ目立つ、大きな松の木の木陰に入った二人だったが、ふと、葉桜丸が結人へと短く尋ねてきた。


「お前。ずいぶんと人間たちに毛嫌いされておるな。同族だというのに」

「そうですね。僕もまあ、色々と特殊ですが。人間にはこういうことも多いんですよ。僕だけじゃなく、逢魔師の彼らも。見鬼の才を持っているというだけで、〝視えない人々〟から疎まれることも多いですから」

「……左様か。なれば、人間とはやはり。あまりにも愚かな生き物だ」

「愚かさあっての、人間ですよ」


 結人は額に薄く滲んだ汗をハンカチで拭いながら、笑いを含んだ声で葉桜丸に応える。ちらりと葉桜丸を横目で見上げると、葉桜丸は相変わらず汗一つかくことも無く、涼しげな顔をしていた。初夏とはいえ、こんなに日が照っていても、鬼は暑くないのだろうか。

 そんなことをぼんやりと結人は考えた。


「夜叉っ子……などと、呼ばれていたが。なにゆえ、〝夜叉〟なのだ。お前は」


 葉桜丸の灰と青が混じったような淡い瞳が、静かに結人を捉えた。結人は流し目でその瞳を見返すと、少し視線を漂わせた後に苦笑を零す。


「僕の、血の色をした目——強い見鬼の才を持つこの目を、鬼のようだと誰かが喩えたんです。確かに、血の色をした目は怖いかもしれません。それに、もともと女である僕が、前例のない女の逢魔師と成ろうとしているのが、くるっているのだと。手段を選ばず、色んなものを汚して足掻きくるっている姿が……夜叉のようだと。他人ひとは言うんです」


 結人の答えに、葉桜丸は一つ瞬きをして空を仰いだ。


「……私も、同族の者たちに〝夜叉〟と呼ばれていた」


 葉桜丸がぽつりと、独り言のような声を零す。草木の匂いが強いそよ風が、葉桜丸の濡羽色の長髪を、さらりと流した。


「我々、鬼一族の間では。〝夜叉〟とは心を失ってしまった者を指す——漠然とだが。私もその通りではないかと、思っている。私の心は、枯れ木のうろの如く朽ちておるゆえ」


 どこか、懐かしそうに。しかし、寂しそうな声を漏らした葉桜丸。濡羽色の伸ばされた前髪に隠され、表情のほとんどがうかがえない葉桜丸のたおやかな白い横顔が、桜の花の儚い美しさによく似ていると。そんなことを思いながらも結人は、葉桜丸の「自分の心は朽ちている」という言葉をどうしても否定したくて、咄嗟に口を開こうとした。


「こんなところにいやがったか! 櫛笥くしげの夜叉女が!」


 しかし、男の怒声が結人たちの耳に突き刺さったことで、結人の声は遮られる。

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