第17話 金蘭の契り

 そんな二人のやり取りに呆気にとられた梔子が、結人の背後でふらりとよろけて頭を抱えた。嘆息する梔子を慰めるように、鎌鼬が梔子へと寄り添っている。


 結人は自分の右手の親指を嚙み切って、掌に血を滲ませると、その手を葉桜丸に差し出しながら、首を傾げて見せる。


「〝まろうどの契約〟を交わすとなると、互いの魂を深く結び付けることにもなりますが……人間の僕と、そういうことできそうですか? 葉桜丸」

「何を言う。お前が人間だろうと、そのようなことは些事に過ぎぬ。ただ——」


 葉桜丸も、己の親指を鋭い牙で嚙み切ると、掌に血を滲ませて結人の方へ手を差し出した。


「たとえ人間と魂が交わろうとも。私は人間が大嫌いなだけだ」

「そうですか。なら、全くもって問題ありませんね」


 結人は目を伏せて笑いを零すと、差し出された葉桜丸の大きな手を握った。そして、空いた片方の手で素早く印を結ぶ。


肉叢ししむらよ鎮まれ。御魂みたまえろ。我らに流るる血潮とえにしの紐をほどいて結べ」


 結人の肩に登ってきた鎌鼬が、藤の花と桜の花がついた枝を咥えている。結人の呪文によって、それらの枝は眩い赤と青の火花へと弾けて変化し、結人と葉桜丸の周りを回り始めた。


「赤き血潮は二季草ふたきぐさ。青き血潮は夢見草ゆめみぐさ。我は青き血潮と共に在ろう。君は赤き血潮を迎えよう。我ら、御魂の深淵にて相響あいとよむ」


 結人が、葉桜丸の手を握る力を強める。すると、辺りを舞っている赤と青の光が溶け合い、紫色の火花が散って、金色の鎖が顕現する。火花と鎖は幾重にも重なって、結人と葉桜丸を囲んだ。


「一樹の蔭のもと。我ら、金蘭の契りを交わそう」


 パキン! と甲高い音が鳴り響き、二人を囲んでいた金色の鎖が結人と葉桜丸の体内へと複雑に絡まりながら一瞬にして吸い込まれ、紫色の火花が華々しく弾け飛んだ。


 結人が葉桜丸の手を離すと、二人の手の傷はいつの間にか消え去り、血の痕も一切消えている。結人は深く息を吐き出しながら、葉桜丸を見上げた。


「はい——これで、僕と葉桜丸の〝まろうどの契約〟は確かに結ばれました」

「まことか」

「うん。ほら、頭とか触ってみてください」


 結人に促された葉桜丸が己の額に触れてみると、そこにあるはずの三本の角が無くなっていた。葉桜丸は一度目を丸くするが、すぐに満足そうな顔をして、結人へと頷く。

 結人も葉桜丸へと頷き返して、笑って見せた。


「では。これからは僕の賓として、よろしくお願いします。葉桜丸」

「あいわかった——結人」


 その時、結人は初めて葉桜丸に名前を呼ばれた。

 結人は思わず大きく目を瞠って葉桜丸を見つめるが、葉桜丸は気にした風もなく首を傾げるだけ。


(……ずるいヒトだ)


 結人は内心で小さくぼやくと、湧き上がってくる何とも言えない、言葉にしがたい面映ゆさに似た感情を胸の内だけに押しとどめ、何とか平静を装いながら葉桜丸へと尋ねる。


「それで。今日はどうしましょうか。せっかく葉桜丸が人間に化けられるようになったので、まずは、葉桜丸の探し物について何か少しでも情報を得たいところですが」

「そうだな……私は、火中ほなかもりの封印を解ける者がいるとすれば、それは結人と同じ逢魔師しかおらぬではないかと考えている。聞いている限り、逢魔師は多くの者が見鬼の才を持つのだろう? 火中の杜は、見鬼の才がなければ認識することなどできぬゆえ」


 葉桜丸の言い分に、結人は「確かに」と頷く。


「なら……逢魔師連の本部に、聞き込みに行きますか。成果が得られるかどうかは、正直わかりませんが……それでもいい? 葉桜丸」

「私は構わぬ」


 即答した葉桜丸の横から、がばっと起き上がった梔子が慌てた様子で割り込んでくる。


「ちょ!? ちょっと、ちょっと、ちょっと! さっそく逢魔師連んとこに行くの? それなら、あたしも……!」

「梔子と鎌鼬は、怨霊跋扈の件について、妖怪の間での聞き込みをお願いします。二手に分かれた方が効率もいいでしょう」

「はあ!? でも、あんたたち二人で逢魔師連はいくら何でも危なっかしいでしょう!」

「前に、逢魔師連本部に梔子と行った時。梔子も他の逢魔師に喧嘩を売って、大騒ぎになったじゃないですか。あの時で対処法は身に染みて学んでいるので、だいじょうぶですよ」

「う、ぐぅ……」


 梔子が唸りながら項垂れる。そんな梔子の肩に鎌鼬が乗り移り、「こちらは任せろ!」と言わんばかりに甲高く鳴く。結人は鎌鼬の頭を撫で、梔子の肩を軽く叩いて笑って見せた。


「頼りにしてますよ。二人とも」


 結人と葉桜丸は、縁側から外に出ていった梔子と鎌鼬を見送ると、二人で玄関を出る。そして、結人が玄関の壊れた鍵をどうしようかと悩んでいるところに、その人物は現れた。


「あ、せんぱ……は?」

「ん? ……おや。千生実ちおみ?」


 結人が振り返った先には、ひどく驚愕した顔で口を力なく開閉させている千生実の姿があった。

 千生実はごくりと息を吞んで、結人とその隣にいる葉桜丸を何度も見比べると、すっとんきょうのような声を上げる。


「せ、先輩の家から……男が!?」

「……何奴だ? この喧しい人間は」


 如何にも嫌そうな顔をした葉桜丸が、じろりと千生実を睨む。結人が「葉桜丸。睨んではだめですよ」と宥めながら、未だに心なしか顔色が蒼ざめている千生実へと葉桜丸を紹介した。


「いいところに来てくれましたね、千生実。こちらのヒトは、僕の新しいまろうど。鬼の葉桜丸です」

「は……あ、ああ! なるほど、新しい賓か!? び、びっくりした……」


 結人の紹介に、何故だか心底ほっとしたように胸を撫で下ろす千生実。そんな千生実に首を傾げながらも、結人は次に、葉桜丸へと千生実の紹介をした。


「そして、葉桜丸。彼は千生実。彼も逢魔師で、僕の後輩にあたる人です」

「左様か」


 葉桜丸は短く頷くと、煩わしそうに千生実へと顎を振って見せた。


「それで、後輩とやら。私たちは早々に逢魔師連の館へ行きたいのだが。貴様は何用か? 手短に済ませよ」

「こら、葉桜丸。言い方が悪いですよ。……そう言えば千生実、どうしてここに? 僕に何か用でも?」


 葉桜丸のあからさまな態度に、結人は葉桜丸の背中を軽く叩いてやりながら、千生実に尋ねる。千生実はようやく我に返ったように「ああ」と声を漏らすと、結人の問いに答えた。


「実は、逢魔師連本部が何やらごたついてるようでな。怨霊跋扈の件が関わってるかもしれないんで、先輩も誘って、一緒に本部に行きたいと思って来たんだ」


 千生実の答えに、結人と葉桜丸が互いに顔を見合わせる。そして、結人は小さく噴き出すように笑うと、千生実と葉桜丸の二人に視線を巡らせて、大きく頷いて見せた。


「それなら、話が早いですね。さっそく逢魔師連本部へ向かいましょう——この三人で」


 こうして結人は、葉桜丸と千生実という異色の面子と共に、逢魔師連本部の館へと向かうのであった。

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