第9話 火中の杜の鬼

 それに驚く間もなく、結人は突如、下から首を鷲掴みにされて、身体が宙に浮いた。一気に全身が高く持ち上げられた結人は、咄嗟に視線を巡らせて目を大きく見開く。


 結人の首を掴んで高く持ち上げていたのは——今まで深い眠りの中にあったはずの、件の鬼であった。


「貴様……見た顔だ。いつぞやに我が〝火中ほなかもり〟に入り込んだ人間か」


 鬼は結人を掴み上げたまま立ち上がると、ぎょろりとした灰色の目で結人を睨み据えながら、唸るように低い声を漏らす。


「ここは何処か? ……私を現世うつしよに攫ったのは貴様であろう。何を企んでおる。人間風情が」

「かっ……は……!」


 鬼が首を絞め上げる力を強くし、結人は微かに息を漏らして顔を歪める。


「結人!」


 そこに、梔子が声を上げて、己の黄色い髪を結い上げているかんざしを引き抜いて下ろすと、自在に髪を操って鬼へと鋭い髪の槍を突き刺す。同時に、梔子の肩から畳の上に降り立った鎌鼬は、尻尾を大きく振って、風の刃を鬼に向かって放った。


 鬼は結人を掴み上げたまま、軽々と二人の攻撃を片手で受け流すと、一瞬梔子たちを見て目を丸くする。しかし、すぐに眉を顰めて、梔子たちへと剣吞な声を掛けた。


「そなたら、この土地に永く在る妖怪と見受けるが。なにゆえ、私の邪魔をなさる。此奴は人間。そなたら妖怪も、人間なぞどうなろうと構わぬだろう?」


 鬼の問いかけに、鎌鼬は大きく唸り声をあげ、梔子も間髪を容れずに答えた。


「あたしたちは、その子のまろうどだからよ! 逢魔師であるその子と交わした契約に基づいて、その子を……結人を死なせるわけにはいかない!」

「逢魔師……まろうど……」


 鬼は梔子の言った言葉に興味深そうに目を細め、反芻して呟くと、何を思ったのか結人を離してその場に落とす。


 解放された結人は座り込み、俯いて何度も咳き込んだ。結人のもとへ、すかさず梔子と鎌鼬が駆け寄ってくる。結人は心配そうに寄り添ってくる二人に、「だいじょうぶです」と小さく笑って見せると、再び目の前に立つ鬼を見上げた。


「成程。つまりはそなたら、人間に下った妖怪であったか。斯様な者たちもおるとは……私には到底、理解できぬ」


 梔子と鎌鼬に視線を向けて、鬼は首を横に振る。


「下った、ですって?」


 鬼の言葉に、梔子は顔を引き攣らせて、青筋を浮かべた。


「さっきから黙って聞いてやってたら……好き勝手言ってんじゃないわよ! あたしたちは人間だろうが鬼だろうが神だろうが、誰のもとにも下らない! 結人とは対等な盟約を結んでるって言ってるでしょうが! このクソ鬼!」

「ちょ、待ってください……梔子!」


 結人の制止の声も意味をなさず。梔子は立ち上がると、ぶわりと黄色の髪を広げて無数の髪の槍を作り出し、それらを鋭く放ちながら鬼へと襲い掛かる。

 鬼は梔子の髪の槍を軽々と捌き、躱しながらゆるりと口を開いた。


しなさい、ご婦人。私は人間以外との争いは好まぬゆえ」


 宥めるように言い聞かせながらも、鬼は何やら口元に左の掌を寄せて、ふうと静かに息を吹きかける。すると、息によって鬼の掌から灰のようなものが舞い踊り、梔子の足元の畳の上へと散った。

 刹那。みるみるうちに、灰が散った畳から様々な植物やら低木がうねるように生え、梔子の身体を身動きが取れなくなるまでに縛る。


「な……何よ、これ!?」

「あれは……異能?」


 困惑の声を上げる梔子と、目を丸くする結人。

 戸惑っている結人たちにも構わず、鬼はおもむろに歩き出した。


「否……今は人間などどうでもよい。それよりも、〝火中ほなかもり〟は……」


 ぶつぶつと小さく呟きながら、鬼が玄関の方へと向かう。

 そうして鬼はなんと、玄関に掛けていた鍵さえも容易く壊して、外へと出て行ってしまった。鬼の後ろ姿を茫然と見ていたが、結人はすぐに我に返って立ち上がる。


「鎌鼬、梔子のことを頼みます。あの拘束を解いてあげてください」


 鎌鼬にそう声を掛ければ、鎌鼬が頷いて鳴き声を上げる。


「二人はここにいて。僕は彼を追います」

「はあ!? 何言ってんのよ、結人! あんなクソ鬼、もうほっときなさいって!」


 鎌鼬と梔子に背を向け、一声かけながら玄関へと駆け出す結人に、慌てて梔子が制止の声を上げる。しかし、結人は一瞬振り返って、小さく笑った。


「でも。やっぱり、放っておけない。それじゃ、行ってきます!」


 結人はそれだけ残して、玄関の外へと迷いなく走り出した。

 結人の背中を見送るしかなかった梔子は、もう何度目かもわからない大きな溜め息を吐き出して、がっくりと項垂れた。

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