第3話 九つの大魔が御座す地

 仁原山にわらやまの入り口に近づくに連れ、もやと瘴気が濃くなった。空気は重くよどみ、息をするのも少し苦しい。

 肺に沈むような、貼りつくようなどろりとした空気に耐えながら、結人たちは仁原山の入り口へと辿り着く。


 九州の南。急峻な山々に囲まれたこの土地——「九魔きゅうま盆地」と呼ばれる地域の山々の多くには、山神を祀る祠が造られている。仁原山もその一つだ。


 結人と梔子が、仁原山のものと思われる石造りの祠に歩み寄る。仁原山の祠は苔に深く覆われており、供え物も無い。人の手が離れて永いようで、寂れていた。

 結人は祠の前で跪くと、小さく息を吐く。


「いよいよ、人里に近い仁原山でも、民間の慣習が途絶えましたか。ここら辺も、逢魔師連の管轄に登録した方がよさそうですね。山神さまへの信仰が薄くなったことも、怨霊跋扈の原因の一つかもしれません」


 結人は、腰のベルトに引っ掛けているポーチから酒と餅を取り出し、それらを丁寧な手つきで祠に供えた。そんな結人を見下ろす梔子が、呆れたように長い溜め息を吐き出す。


見鬼けんきの才が無い人間も、この時代じゃ何の役にも立たないわね。山は身勝手に切り開く癖に、山神さまへの感謝の心も忘れるなんて。愚の骨頂よね」

「そんな人たちのためにも、逢魔師がいるんですよ」

「そんな馬鹿な奴らのために働くあんたらは、それ以上の馬鹿よ」

「まあ、そう言わず」


 立て続けに毒づく梔子に苦笑を零しながら、結人は立ち上がる。そして、腰に下げているポーチの一つのボタンを外した。


「おいで。鎌鼬かまいたち


 結人の呼び掛けに応えるように、ポーチからは小さなイタチがひょっこりと顔を出したかと思えば、素早い動きで結人の肩の上まで登ってくる。


鎌鼬かまいたち」も、梔子と同じ結人の「まろうど」となった妖怪だ。鎌鼬の操る風はあらゆるものを切り裂くが、その風は言霊をより遠くまで、鮮明に届けることができる異能も秘めている。


「力添え、よろしくお願いします」


 肩にいる鎌鼬に結人がそう声を掛ければ、鎌鼬は一声鳴いて見せると、ぴょんと飛んでくるりと回転する。

 すると、鎌鼬は結人の身の丈をもゆうに超える、長大な大鎌へと変身した。

 大鎌を手にした結人は、大鎌の刃を祠の上でかざし、赤い目を静かに伏せた。


「かけまくもかしこき、山祇やまつみ比売ひめよ。天照す血潮流るる三つ火の緒のもと。産土を跋扈せし穢れを祓え給い、清め給えと白すことを聞し召せと。畏み畏みも白す」


 まじないを唱え終えた結人は大きく目を見開き、大鎌の石突を大地に力強く突き立てる。瞬く間に、祠を中心として淡い光が風と共に波紋上に広がった。

 澱んだ空気をそよ風が彼方へと運んでゆき、瘴気は淡い光によって泡のように弾けて浄化されてゆく。

 仁原山の麓の靄は晴れ、陽の光が差してくる。結人は辺りを蔓延っていた瘴気を祓うことができたのだと悟ると、小さく息を吐いて大鎌を肩に担いだ。

 二歩ほど後ろで控えていた梔子が結人の隣へと並んできて、瘴気の晴れた仁原山を仰ぐ。


「これでしばらくは、この辺りの山に潜む怨霊共も大人しくなるでしょ。……それにしても、最近多いわね。こういうの」


 梔子の言う通り、近頃は突如活発に蠢き出した怨霊による瘴気の大量発生が、各地の山々で相次いでいた。瘴気発生の知らせを多くの妖怪たちから聞き及び、ここ最近の結人は瘴気祓いのために忙しくしている。

 結人は梔子の言うことに頷きながら、大鎌を鎌鼬の姿に戻して肩に乗せてやると、梔子の方へと振り向く。


「ちょうど、今日の昼は逢魔師連の会合があるので。そこで、おかみの皆さんにこの近況を報告しようと思います」

「え。今日!? ……あんたそれ、大丈夫なの? あの幹部連中のジジイども、厄介なのばっかでしょう。他の雑魚どもも最悪にうるさいけど」


 梔子が目を剥いて、結人に詰め寄る。結人はそんな梔子と、心配そうに結人の頬にすり寄ってくる鎌鼬それぞれに視線を向けながら、赤い目を細めて笑って見せた。


「だいじょうぶ。いくら僕が相手だろうと。報告くらい、きっと聞いてくれますよ」

「はあ……あんたってほんと、馬鹿みたいに楽観的なんだから……。いい? 何かあったら、すぐにあたしたちを呼ぶのよ。ムカつく人間共なんて、蹴散らしてあげるわ!」


 呆れたように溜め息を吐いたかと思えば、梔子が意気込んで更に詰め寄ってくる。それに同調するように、結人の肩にいる鎌鼬も大きな声で鳴いた。

 結人はそんな賓の二人に、肩を竦めて見せる。


「二人とも、ありがとう。……まあ、何とかなります。きっと」

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