第一部 薫る古都にて少年は言う(2-1)

 カエデが繊細な梢を揺らす庭の奥に、小さなやしろがある。朱塗りの鳥居は人ひとり通り抜けるのがせいぜいの細さで、土の盛られた上に建つ社は、格子戸が閉ざされ中は見えない。蝋燭と花瓶が置かれただけの質素なものである。

 使いから帰ると蝶乃はまずそこに寄る。手前のししおどしの水で手を清め、二礼二拍してから目を閉じた。

 颯の日々安泰を願う。それと良縁祈願。

「こないうちの送り迎えばっかりしとったら、好いた女のひとりもできまへんで。たまにはよそで遊んで来はったらどないやのん」

 以前、そう言った蝶乃に少年はすねた様子で唇を尖らせ、

「そんなのまだ早いよ」

 と返した。

 彼が幼い恋慕の情を自身に抱いていることを蝶乃は薄々感づいている。けれどそれはいけないことなのだ。まだ子供だから、同性だから、という理由ではない。

 芸に身をやつす蝶乃は古き舞々の伝統文化のひとつとして、すでに男の肌を知っていた。

 『古都』に住むおとなたちなら大抵その事実を知っている。当然に客は彼らなのだ。西側では蝶乃の家、東側では武家のさる屋敷が、陰子かげこ稚児ちごの文化を担っている。それもまた家業のうちだった。

 だが颯はそんなことを知りはしない。素直で屈託のない、純真な少年だ。蝶乃には眩しく思われる。

 気が優しく、それでいて芯の強い忍びの少年を、蝶乃もまた憎からず思っていた。なればなおのこと、汚れた身で恋い慕われることは心苦しい。

 それに彼が少しでも男を見せたなら、蝶乃は彼を恐れ、嫌ってしまうかもしれなかった。己を舐り蹂躙する浅ましい男らと、颯を同列に考えたくない。いっそのこと、惚れた女のひとりも作って、どこか遠くへ行ってしまって欲しかった。

 でなければ、蝶乃自身が、恋しい気持ちに屈してしまいかねない。

 抱きしめて、慰めて欲しかった。苦しいつらいと泣き咽びながら、その一方で悦びに打ち震え、喘ぐ醜い自身を、優しく許して欲しい。

 だがそんなことになれば、彼は『古都』を追放されるかもしれない。

 陰子や稚児に色恋は許されていない。仮に誰かに恋慕の情を抱いたとしても、それはそっと胸にしまわれ、日の目を見ることはない、成就させてはならないものだ。もしも表沙汰となれば処罰は免れないだろう。

 『古都』を追われることは俗に『都落ち』と言い、『都落ち』した人間は『落人おちうど』と呼ばれる。『落人』になることは、『古都』に生きる者にとっては何より恐ろしい罰である。なぜなら他に生き方を知らないからだ。

 『古都』の者は『古都』に生まれ『古都』に育ち、就学年齢に達しても学校教育を受けることもなければ、一般の人々の暮らす『居住区』を見たこともなく、当然によそでの働きかたも知らない。外にどんな世界が広がっているのか、その知識すらなかった。

 『古都』の住民はみな、囲われ守られ閉じ込められて生きている。外から訪れる者はあっても、中から旅立つものはいない。そういう場所だった。

「蝶乃、帰ったんか」

 ハッと声に振り返る。祖父が矍鑠かくしゃくとして歩み寄ってくるところであった。

 肩に手を置かれる。しわが深く骨ばっているが、その力は強かった。

「何をお祈りしとったんや?」

 穏やかな声音で問われる。張りがあり、よく響く、厳しさを秘めた声だった。

「今宵の舞で粗相のないよう祈とりました」

 細く震える返事に祖父は、

「ほな今夜は飯を控えて、はようにゆっくり風呂につかっとりなさい」

 そう言いつけて、蝶乃の細い肩に手を回し、屋敷へ向かって歩み始めた。

 逆らうことなど許されない。有無も、否応も、ありはしない。

 これは『古都』のすべての家における慣わしだ。家長と、また前の家長である隠居には、絶対の服従が強いられる。古の家長制度を模したものだった。

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