番外編

My sweet darling

友人の一人が、彼氏に浮気されたと言う。


「男なんてちょっとボディタッチされたら、自分のこと好きだと勘違いして流されんのよ! 最低!」

「あんた男運ないよね」

「というかそもそも、まともな男が少なくない? すぐ浮気したり、DVしたり、ヒモだったりさぁ」

「そこまでいかないにしても、やっぱり不満はあるよね。うちの彼氏なんて毎回デートに遅刻してくるんだけど」

「わたしの彼氏は、わたしと一緒にいてもいつもゲームしてる。もういっそスマホと付き合えば? みたいな」


そこでみんなの視線がわたしに集まった。


「咲彩の彼氏は良いよね。あんた一筋じゃん」

「見た目も良いし、優しそうだし」

「なんかめっちゃ尽くしてくれそうで可愛いよね」


それを聞いて、わたしは苦笑するしかなかった。


「そうかな」


わたしにとってはただのストーカー野郎でも、周りからはそんな風に見えているらしい。

イケメンは得だな、と思う。


「いいな、咲彩は。幸せ者だよね」

「感謝しなよ? あんな良い彼氏、探しても見つからないって」


そう言えば、空にちゃんと感謝したことはあっただろうか。



はっと目を覚ますと、目の前に空の顔があった。

驚いて大きな声を上げそうになってから、ここが大学の図書室であることを思い出す。


「おはようございます、咲彩先輩。よく眠れました?」

「あれ、わたし……」

「レポートやってて寝ちゃったみたいですよ」


広げられているテキストと、出しっ放しの筆記用具を見て、状況を整理する。

提出期限が迫っているレポートを終わらせてから、一休みするつもりで寝てしまったのだ。


「あ、そうだ、期限!」


わたしは急いで時計を確かめる。

17時を回ったところだ。

そして確か、レポートの期限は今日の16時だった。

サーッと血の気が引いていく。


「終わってるようだったので、勝手に提出してきちゃいました。ごめんなさい、ダメでした?」


青ざめるわたしを見て、空は眉を下げながら首を傾けた。

彼に天使の輪っかと羽の幻覚が見える。

今この瞬間ほど、空に抱きつきたくなったことはないだろう。


「ダメじゃない。というか、助かった」

「良かったー! 惚れ直しました?」

「ん?」

「あれ?」


だけど、実行はしない。

だってここは公共の場だし、と言い訳がすぐさま頭の中に浮かんできた。


安心して深い息を吐いてから、わたしは散らかしたままの荷物を鞄にしまう。


「最近お疲れだったのは、あのレポートがあったからですか?」

「うん。結構手こずっちゃって」

「そっか。じゃあそれが終わったってことは、僕と一緒にいられる時間が増えるってことですよね!」

「さて、次は予習でもしようかな」

「あれ?」


わたしの帰り支度が終わるのをじっと待っていた空は、わたしが荷物を仕舞い終えたのを見て立ち上がった。


「まあ、いいや。お疲れ様でした。帰りましょう?」


そう言って彼は笑顔でわたしに手を差し出す。

その手を取るかどうか迷って、友人の言葉を思い出した。

こんなに出来た彼氏は、滅多にいないらしい。

感謝の意を込めてその手を取ると、空は衝撃を受けたような表情をした。


「咲彩先輩が手を振り払わない!?」

「あんた、わたしのこと何だと思ってるの?」

「ツンが90%な僕の可愛い恋人です!」

「声が大きい。黙って」


うるさいから、やっぱりやらなければ良かった。

そう思いながら、彼の手を借りて立ち上がる。

空は満面の笑みで、いつも以上に嬉しそうだ。


わたしが完全に立ち上がった後も、彼は手を離そうとしない。

少し無理に振り払おうとしても、離れる様子はなかった。


「ちょっと、何?」

「今日は手を繋いだまま帰ってもいいですか」

「5秒以内に離さないと殴る」

「暴力的なボディータッチですね」

「そうか、空くんは5秒待たずに今すぐ殴られたいのね」


反対の手で握った拳を構えると、空は残念そうに肩を竦めながらやっと手を離す。

手が自由になってから、自分が感謝とは真逆のことをしていると気付いてバツが悪くなった。


「……空」

「はい?」

「どこか、寄って帰る?」


普段は彼に誘われても断ってばかりだ。

たまには悪くないかな、と思いながらそう尋ねると、空は信じられないものを見るような表情をする。


「先輩もしかして、僕に優しくすればポイントがたまる制度を導入したんですか? 500ポイントで割引券と交換ですか?」

「本当に何言ってるの?」

「じゃあまさか、誰かから僕に優しくするように脅されてるとか?」

「喧嘩したいのかな? 受けて立つけど」


そんなに驚くほど、普段のわたしは彼に優しくしてあげていないだろうか。

そこまでではないはずだ、と自分では思う。


空の追求が面倒臭いから、わたしは友達から言われたことを正直に話すことにした。


「あんたみたいな一途で尽くしてくれる彼氏はなかなかいないから感謝しなさい、って言われたの」

「へえ。それで実行しようとしてくれてたんですね」

「そういうこと」

「そのわりには『手を離さないと殴る』とか言われましたけど」

「ドMにはそれも優しさのうちに入るのかと思って」

「咲彩先輩、今更ですけど僕はMじゃありませんよ」


わたしたちは図書室を出て、構内を並んで歩く。


「でもね、先輩」


ちゃっかり手を絡めてきながら、空はわたしの顔を覗き込んて言った。


「僕はどんな先輩でも愛してるので大丈夫ですよ。そりゃあ、優しくされたら嬉しいですけど、普段の先輩に不満なんかないし、いつでも大好きですから」


わたしはつい足を止める。

友達が言っていたのは、こういうことなのだろうな、と思った。


浮気は絶対にしないし、デートの待ち合わせにはわたしよりずっと先に来ているし、一緒にいる時はわたしに夢中になって通知が来てもスマホには振り向かない。

空はいつだって、わたしを一番に愛してくれている。


「咲彩先輩がツンデレで、普段はツンツンしてるけど本当は僕のこと溺愛してくれてることも、ちゃんと分かってるので!」

「現実と妄想の境が分からなくなってきてるんじゃない?」


わたしは赤くなった顔を隠すので精いっぱいだった。


わたしは周りを見回して、他に人がいないことを確認する。

深呼吸をしてから、彼に向き合った。


「空、ちょっとかがんで」

「はい」


空は大人しくわたしの言う通りにする。

キスでも期待しているのだろうけど、そこまでするつもりはない。

わたしは犬を愛でるように、彼の頭をわしゃわしゃと撫でまわした。


「10年に一回しか言わないからよく聞いて」


咳払いをしてから、恥ずかしさを押し殺して口を開く。


「いつもありがとう。それと、好きだよ」


早口でそう囁くと、空は顔を上げてわたしのことを見た。


「咲彩先輩」

「何」

「それは、10年後も20年後も僕と一緒にいて、その言葉を言ってくれるという解釈でいいですか」


わたしは目を逸らして答える。


「お好きにどうぞ」


恥ずかしさに耐え切れなくなって、その場から逃げ出したくなった。

一歩踏み出した瞬間、彼の腕が伸びてくる。

あっと言う間に、わたしは空に後ろから抱きすくめられてしまった。


向こうからやって来た人が、わたしたちを見てぎょっとしたように立ち止まる。


「ちょっと! 離せ馬鹿!」

「僕も好きです。めちゃくちゃ好きです」

「知ってるから!」

「僕、絶対に咲彩先輩のこと離しませんから」

「分かった! その意味で離さなくてもいいから、今は物理的に離して!」

「やっぱり先輩って僕のことかなり好きですよね?」

「そう思ってていいから離してってば!」

「ダメです。今みんなに見せつけてるところなので」


わたしがいくら暴れても、空の腕の力は強まる一方だ。

周りの「うわ、やってるよ」と言わんばかりの呆れたような視線を受けて、いっそ殺せと思う。


「あー、どうしよう。幸せすぎて泣けてくる」

「泣いていいから離してよ」

「あと5分だけ」

「長い長い」


本当に5分離れないんじゃないかと思うくらい、空は動かなかった。

歩いていた人が通り過ぎて行ってまた誰もいなくなったから、わたしは諦めてされるがままにしている。


「咲彩先輩、好きです」

「さっきも聞いた。というか、いつも聞いてる」

「帰り、どこに寄りますか」

「あんたの好きなところでいいよ」

「じゃあ僕の家」

「それはなし」


まあ、10年に一度くらいなら、付き合ってやってもいいかもしれない。

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きみじゃなきゃ嫌だ 長町紫苑 @nagamachi_shion

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