春の始まり

第43話

やっと、春が来た。

新年度が始まって、短い春休みも終わってしまう。


「久しぶりだね、空くん。入学おめでとう」

「お久しぶりです。これからよろしくお願いします」


学校が始まって二日目、わたしたちは大学の中庭で真希と向かい合っていた。

わたしたち、というのは、わたしと空のことだ。


「真希に報告があります」

「見れば分かるけど、一応聞くよ」


彼女はニヤニヤしながらわたしを見る。

わたしは恥を忍んで、口を開いた。


「空と付き合うことになりました」

「咲彩先輩が落ちてくれました」

「ちょっと君は黙ってて」


余計なことを言う空の脇腹に肘を入れる。

ぎゃっ、と悲鳴を上げる彼を見て、真希は楽しそうに笑いだした。


「おめでとう。空くん、お疲れ様」

「ありがとうございます」


真希はずっと、わたしと空が結ばれることを応援していてくれた。

わたしの悩みを何回も聞いてくれたし、感謝しかない。

どちらかというと、わたしのことではなく、空のことを応援していた節があるが、それは気にしないことにする。


「咲彩も、良かったね」

「うん」


真希の言葉に頷くと、隣で空が嬉しそうに頬を緩めた。


「真希先輩、あとで色々教えてください」

「色々って?」

「僕がいない時の咲彩先輩の様子とか」

「真希、絶対に言わないで。今日のランチ奢るから」


どうしようかな、と面白がる真希に頼み込んで、空には何も教えてあげないことを承諾させた。

彼は不満そうだけど、これくらいじゃないとフェアじゃない。


「でも本当に、幸せそうでよかった。安心したよ」

「どうもご心配かけました」


わたしが彼女に頭を下げると、面白がって空も真似をする。

真希は笑いながら、立ち上がった。


「じゃあわたし次の授業あるから行くね」

「うん、ありがとう。行ってらっしゃい」


わたしが真希に手を振ると、空もまたそれを真似する。

真希は「犬みたい」と言いながら笑って中庭を出て行った。


真希がいなくなると、そこに残ったのはわたしと空の二人きりになる。


「咲彩先輩」

「何?」

「僕のこと好きですか」


唐突な質問に驚きながら、わたしは空から距離を取った。


「何で? 分からないの? というか、どうしてここで言わなきゃいけないの?」

「言ってもらいたくなっちゃいました。真希先輩に報告してる咲彩先輩の顔があまりにも幸せそうだったので」


わたしはその場から逃げ出すように、急いで歩き出した。

彼が後を追いかけてくる。


「ねーえー、言ってくださいよー」

「あんた、しつこい」

「知りませんでした?」

「知ってた」


追いかけてくる空から逃げながら、わたしは建物の中に入った。

出なければいけない授業までは、あと一時間ある。


「空、授業はいいの?」

「大丈夫です。出なきゃいけなくても、咲彩先輩の方が大事ですし」

「何のために大学来てるんだか」

「え、咲彩先輩に会うためですよ?」


また馬鹿なこと言っている空に呆れながら歩く。

それでも彼は嬉しそうな顔をしていた。



遠くに、小鳥遊先輩の姿を見つけた。

彼はこちらに気付いていない。


「気になりますか?」


小鳥遊先輩に気付いた空が、不安そうにわたしを見る。

わたしは空に微笑んでみせた。


「少しだけね。振り回しちゃったから、申し訳なくて」


わたしは手を伸ばして、まだ表情を変えない空の頭を撫で回した。


「大丈夫だよ。恋愛的な意味で気になるわけじゃないから」


彼を撫でていた手が絡め取られる。

空は複雑そうな表情をしていた。


「年下扱いしないでくださいよ」

「してない。わんこ扱いしてた」

「余計に酷いなぁ」


腰を引き寄せられて、一瞬だけ唇にキスが落とされる。

驚いて、わたしは彼の肩を思いきり叩いた。


「ここ、学校!」

「大丈夫、どうせ誰も見てませんよ」


そう言い切れる証拠がないから、こんなに焦ってるのに、空は余裕そうだ。


「それに、ただわんこがじゃれてるだけですから」

「ああ、そのことに拗ねてるの?」

「拗ねてません」


そう口では言っても、表情を見れば分かる。

わたしは空の手を引いて陰の方に移動した。


「ごめんね?」

「だから拗ねてませんってば」

「わたし、空のこと本当に犬だなんて思ってないよ」


犬を相手にこんなにドキドキしない。

わたしが空にときめくのは、彼のことをちゃんと男だと思ってるからだ。


「好きだよ、空」

「僕も好きです」

「知ってる」


周りに誰もいないのを良いことに、空はわたしに抱きついてくる。

わたしも彼の背中に腕を回した。

このために陰に移動したのだ。


「ねえ、空」

「何ですか?」

「わたしには、空だけだよ」


いつも彼に言われ続けていたことを、同じように言うと、空の耳が真っ赤に染まっていくのが見えた。


「僕にも、咲彩先輩だけです」


何度言われても、慣れない。

だけど、もうその言葉が冗談だとは思わなくなった。

空の気持ちは、ちゃんと伝わっている。

わたしも耳まで真っ赤にしながら、彼の言葉に頷いた。





【完】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る